いまや伝説の超音速旅客機「コンコルド」は、どのようにして“最後のフライト”を迎えたのでしょうか。運用が終了した理由とともに、初飛行から退役まで27年を振り返ります。

2003年11月26日にラストフライト

 いまや伝説となっている、長く旅客便に就航した唯一の超音速旅客機、「コンコルド(Concorde。コンコードとも)」。2003年11月26日は、この機が最後に商業運航した日になります。全世界の航空ファンが惜しんだ伝説の旅客機は、なぜこのときに退役したのでしょうか。

 先述の「コンコルド」のラスト・フライトの日は、3便の特別招待飛行という形で実施されました。実は、定期便での運用は、このラストフライトの日よりも前に終えています。そして、ラストフライトでは、100人の乗客と、11人のクルーを乗せニューヨークを出発し、マッハ2の超音速飛行を含む3時間半の飛行を行ったのち、ロンドン・ヒースロー空港に降り立ちました。空港の周囲には1000人を超える群衆が集まり、最後の着陸を見守ったとのことです。


ブリティッシュ・エアウェイズの「コンコルド」(画像:ブリティッシュ・エアウェイズ)。

「コンコルド」は、1976年1月21日にブリティッシュ・エアウェイズ(イギリス)とエール・フランスの2社で定期旅客便の運航が開始されました。この機の目玉路線は、ヒースロー空港(ブリティッシュ・エアウェイズ運航)とパリのシャルル・ド・ゴール空港(エールフランス運航)〜ニューヨーク・JFK空港間を従来機の約半分、3時間30分程度の時間で結ぶというものでした。

 しかし、当初はアメリカへの乗り入れが禁止され、それが解除されても、JFK空港では騒音問題を理由に、依然として同機の乗り入れは拒否され続けました。ただ、のちにFAA(アメリカ連邦航空局)が設定した騒音制限をクリアしていることが判明したため、アメリカ最高裁が禁止延長の要求棄却という法的判断を下します。こうして2路線は、1977年11月22日に就航を開始し、ブリティッシュ・エアウェイズ便で実施されたラストフライトでもこの路線が選ばれたというわけです。

 さて、そんな「コンコルド」のスペックや開発経緯を振り返ってみましょう。

スピード全振りとトレードオフだった「コンコルド」の仕様

「コンコルド」は長さが約60m、主翼の幅が約25mの大きさです。ただスピードを追求したがゆえに生まれたその細長いルックスからわかるように、胴体の幅は約3mしかありません。ちなみに現在、日本の国内線でも多く就航しているボーイング737は胴体幅が約3.7mあるため、それよりも一回り機内は小さいといえるでしょう。窓の大きさも、スマートフォンより少し大きい程度のサイズでした。

 客室は1本の通路を挟んで、横2-2列の座席レイアウトを採用。ただ、特別な機体であることから、これらはすべて「ファーストクラス」で、運賃も高額でした。その一方で、特別な機内サービスや機内食、専用の空港ラウンジなどが用意されていたそうです。


ブリティッシュ・エアウェイズの「コンコルド」(画像:ブリティッシュ・エアウェイズ)。

 そのような「コンコルド」は、イギリス・フランスが共同した国家横断的プロジェクトで開発されたもので、試作型6機、量産型14機が製造されました。

 かつて、世界の航空先進国は、こぞって超音速旅客機の開発が進めていました。アメリカでは、ボーイング社が2707、ロッキード社がL-2000などを計画しましたが、両者とも実物大模型が作られただけで、実機の開発には至っていません。

 一方、旧ソ連(現ロシア)は「ツポレフTu-144」を開発し、「コンコルド」よりも早く初飛行を実施し、世界最初のマッハ2で巡航できる旅客機としてデビューさせました。ただ、この機も、実際には半年ほどで運航停止に。こうして長く実用化した超音速旅客機は「コンコルド」のみとなったのです。

 ただ「コンコルド」は超音速旅客機という特殊性ゆえ、高度な整備が必要であり、維持費も高かったほか、燃費なども通常の旅客機より遥かに高額でした。そういった経済性の悪さゆえ、最終的に定期路線でこの機を運航したのは、開発国のフラッグキャリアである、ブリティッシュ・エアウェイズとエール・フランスのみとなっています。

波乱にのまれた「コンコルド」退役の決め手は?

 就航後の「コンコルド」は、その唯一無二の存在感で、四半世紀ものあいだ、2社の“顔”として君臨し続けました。この流れが大きく変わったのが、2000年です。

 2000 年7月25日、エール・フランス4590便としてシャルル・ド・ゴール空港を出発した「コンコルド」は、離陸直後に大炎上しながら空港近くへと墜落しました。これをうけ、ブリティッシュ・エアウェイズの機体もふくめ、すべての「コンコルド」が飛行停止になります。

 公式記録によると、この原因は、その前に離陸した旅客機が落とした金属片を踏んでしまい、タイヤがバーストし、そのタイヤ片が燃料タンクを破壊したというものでした。その後「コンコルド」には、タイヤや燃料タンクなどに改修が加えられ、2001年7月17日にテスト飛行を実施。その年の11月7日に定期路線へ復帰しています。


エール・フランス航空の「コンコルド」(松 稔生撮影)。

 こうして、安全を確認したあと再出発を図った「コンコルド」ですが、2003年4月10日、両エアラインが同型機の退役を発表しました、これは、事故以来「コンコルド」便の搭乗客が減ってしまったことだけでなく、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件、いわゆる「9.11」による旅行需要の大幅な落ち込みなども影響したとされています。

 加えて、機体自体も経年化が進んでいたほか、民間航空の世界では、「ジャンボ・ジェット」とよばれたボーイング747を始めとし、スピードよりも居住性を重視する傾向が高かったことは否定できません。結果、巡航速度こそ速いものの、高額な運賃のわりに著しく狭く、古い機体になったことも退役の決定打だったといえるでしょう。

 こうして「コンコルド」は冒頭に記したように最終商用飛行を行い退役したのですが、それはブリティッシュ・エアウェイズ機によって実施されたものです。一方のエール・フランス便は、2003年5月30日のパリ発ニューヨーク行きで、最終フライトが実施されています。ちなみに、英仏両国の「コンコルド」運航実績はブリティッシュ・エアウェイズが5万便弱で搭乗者数は250万人以上、エール・フランスは約3万3000便で搭乗者数はおよそ141万人と記録されています。

 なお、欧米の航空博物館では、「コンコルド」がいくつか保管・展示されており、その勇姿は、それぞれの博物館において目玉のひとつとなっています。

 2022年現在、アメリカの・ブームテクノロジー社が新たな超音速旅客機の実用化にむけ取り組みを進めていますが、ぜひこの機が「21世紀版コンコルド」として飛ぶ姿を見たいものです。

【映像】なんちゅう角度! コンコルドの上向き着陸シーン (71秒)