1−2で敗れたカナダ戦。多々ある突っ込みどころのなかで、筆者がいま、最も強調したいのが3バックだ。森保一監督は後半40分、4−2−3−1の1トップ下、南野拓実をベンチに下げ、代わって吉田麻也を投入した。これを機に日本の布陣は3バックに変化した。

 それは3−4−3と3−4−2−1の中間的な3バックだった。両ウイングを張っていた相馬勇紀(左)と堂安律(右)は、それまでよりポジションを幾分内寄りに変えたが、いわゆる2シャドーを形成したというほどでもなかった。一方で、それまで両サイドバック(SB)を務めていた長友佑都(左)と山根視来(右)は、守備的MFと同じ高さまでポジションを上げた。

 この目的は何だったのか。ラスト数分となった段での布陣変更は、6月のガーナ戦以降目にするようになるが、筆者は森保監督のその意図をサッパリ理解することができない。

 それまでの4−2−3−1から、守備固めに走ったのか。攻撃のギアをもう一段上げたいのか。どっちなのか。


1−2で敗れたカナダ戦で選手に指示を送る森保一日本代表監督

 前戦のエクアドル戦(9月27日)の後半38分から採用した3バックは3−4−1−2だった。数ある3バックのなかでも、最も5バックになりやすいとされる、概念的には守備的とされる3バックである。だが、その時スコアは0−0で、残り時間は7分プラス追加タイムだった。そこでエクアドルに対して守備固めに出たわけだ。なぜなのか。

 その前のアメリカ戦(9月23日)。この試合の後半41分から採用した3バックは、カナダ戦に近かった。3−4−3と3−4−2−1と中間型。5−4−1とも言えるし、5−2−3とも言えたが、中盤フラット型3−4−3を維持しやすい、攻撃的と言っていい3バックだった。だが、その時スコアは2−0。攻撃的な3バックを採用するタイミングとして、相応しかったのかという疑問が残る。
  
 3バックとひと口に言っていいのかとは、筆者が森保監督をはじめとする日本の指導者に常々抱く疑問である。3バックの括りというか、定義が大雑把すぎるのだ。

必然的だった勝ち越し点

 その不透明さが1−1で迎えたカナダ戦にも現れていた。筆者はそう見ている。後半40分、森保監督はこの時、いったい何をしたかったのか。その3−4−3と3−4−2−1の中間型のような3バックに変える必要があったのか。ただ3バックをやってみたかっただけではないのか。

 森保監督といえば、サンフレッチェ広島時代には一貫して3−4−2−1で戦っていた。Jリーグのある試合後の記者会見では「これからは3バックが流行ると思いますよ」と、3バックの興隆を予見するようなことも言っていた。言わずと知れた3バック好きの監督として認知されていた。ところが、日本代表監督に就任すると、広島時代、好んで使用した3−4−2−1に別れを告げた。明確な理由を述べことはなかった。

 それが任期の最後のほうになって、3バックを再開した。未練があるのはわかるが、それ以外の理由は不明だ。コンセプトの異なる3バックを試合毎に採用する、なんというか支離滅裂な采配に、それは現れている。

 3バックの問題は、3バックの脇が空くことだ。言い換えればウイングバック(WB)の背後だ。相手はそこを突くのがセオリーとされる。この試合でいえば、右センターバック(CB)谷口彰悟の右横であり、右SBから右WBにポジションを変えた山根の裏である。後半の追加タイムに、山根が裏を突かれ、反則を犯した大元の原因が、布陣の変更にあることは言うまでもない。布陣の特性に基づけば、起きるべくして起きた事故になる。

 カナダ戦の終盤はちょっとした撃ち合いになっていた。いわゆるオープンな展開で、どっちに転ぶかわからない状況だった。そのタイミングで森保監督は布陣を変更した。もし攻撃的に出たいのなら、4バックのままでも十分対応できる。4−2−3−1の1トップ下を南野拓実から、FW系の選手(前田大然とか)に代えて4−4−2的にするとか、概念的には4−2−3−1よりさらに攻撃的とされる4−3−3に移行するとか、4バックの範囲内でも選択肢はあったはずだ。

 にもかかわらず、森保監督は3バックに変えた。3バック好きの虫を抑えることができないようにも見える。危険と言わざるを得ない。

生まれ変わることはできるのか

 そこで森保監督が採用した3−4−3と3−4−2−1の中間型のような3バックは、先述のように相馬と堂安が1トップ上田綺世の近くで、シャドープレーヤー然と構えたわけではなかった。そのうえ1トップ下(南野)がベンチに下がったわけだ。そうしたいわば半分孤立したような状態でプレーすることが、上田より格段にうまいのが、大迫勇也だ。ボールを高い位置で保持する力がある。

 カナダ戦は大迫不在を痛感させられた試合でもあった。日本の攻撃は立ち上がりからプレッシング頼みだった。相手ボールを奪った勢いで、相手の陣形が整わぬうちにゴールに迫ることはできても、一から組み立てることはできなかった。高い位置でボールが収まらなかったからだ。

 1トップとして先発した浅野拓磨は、言わずと知れたスピード系だ。ボールを収める術はない。だが、近くで構える1トップ下にその力があれば話は変わる。ボール回しは円滑になる。浅野の1トップ起用で問われたのは、1トップ下で先発した南野の、浅野に足りない要素を補う力だった。ところがそれはまるで発揮されなかった。

 日本のパスワークとカナダのパスワークと展開力を比較した時、日本が劣ることは一目瞭然で、それは大迫の不在を嘆きたくなる瞬間でもあったのだ。

 南野では力不足。1トップ下にはやはり鎌田大地を据えたい。トップ付近にボールが収まらないと、展開のなかに日本の技術を反映することはできにくい。

 また、この試合では低身長国の悲しさも味わうことになった。セットプレーの際には、ことごとくピンチに陥った。解決策は残念ながら見当たらない。

 冨安健洋、守田英正、遠藤航、三笘薫。この試合を欠場した4選手が、ドイツ戦のピッチに立てるのかという問題も抱えている。合流が遅れていた三笘は、17日深夜、無事にドーハ入りしたそうだが、カナダ戦の前半でベンチに下げた久保建英の使い方を見ていると、ドイツ戦の先発は三笘ではなく久保であることが透けて見える。筆者が見るに、戦力ダウン必至である。

 日本代表は順風満帆ではまったくない。いま、ベスト8以上を意味する「新しい景色」の話をしている余裕はない。最後のカナダ戦でいいサッカーができなかったチームが、6日後のドイツ戦で生まれ変わることができるだろうか。

 1番の不安材料は選手ではない。森保監督だ。ラストワンプレーで敗れた4年半前の教訓を、意味不明な3バックを採用し、アディショナルタイムに決勝ゴールを許したこのカナダ戦に見て取ることはできなかった。心配である。