イギリス王室のメンバーが、スコットランド滞在中にタータンチェックのアイテムを身につけている姿は、写真にもしばしば収められている。Netflixで大ヒット中のドラマ『ザ・クラウン』の最新シーズン、シーズン5に登場する「ギリーズ・ボール」の場面でも、このチェックに気付いた人は多いはず。

「ギリーズ・ボール」とは舞踏会のことで、エリザベス女王の高祖母であるヴィクトリア女王と夫のアルバート公が、スコットランドのバルモラル城を入手してから開催したのが始まりのイベント。その後、ヴィクトリア女王の在位期間を通じて、毎年恒例の王室の伝統行事となった。

『Twilight of Splendor: The Court of Queen Victoria During Her Diamond Jubilee Year』(原題)の著者であるグレッグ・キング氏によると、ヴィクトリア女王は晩年になっても、黒のサテンドレスを着用し、「バルモラル・タータン」のサッシュ(帯)を胸元にかけてギリーズ・ボールに出席していたそう。

エリザベス女王の祖父である国王ジョージ5世、父ジョージ6世、そして女王自身もこの伝統を受け継ぎ、スコットランドを象徴するタータンチェックを取り入れていた。

ヴィクトリア女王は「バルモラル・タータン」を好んだが、『ザ・クラウン』では、ロイヤルファミリーの女性たちが「ロイヤル・スチュアート・タータン」という少々異なる柄を身にまとっているのがわかる。

では、このパターンはどのようにして生まれ、どのような意味があるのかを見ていこう。

ロイヤル・スチュワート・タータン

スコットランド・タータン登記所によると、最も有名な王室のタータンである「ロイヤル・スチュアート・タータン」(「Royal Stewart」または「Royal Stuart」とも表記される)の歴史は、少なくとも1800年までさかのぼるが、実際はそれよりもずっと古い可能性があるそう。

このタータンの名称は、スコットランドのスチュアート朝に由来している。1700年代半ばにチャールズ・エドワード・スチュアート(別名「ボニー・プリンス・チャーリー」=「いとしのチャールズ王子」)が、スコットランドの反乱でスチュアート王政を復活させようとして失敗した際に、その支持者が着用していたという説がある。

しかし、スコットランド・タータン登記所は、そのような主張は「証明されておらず、作り話である可能性が高い」と指摘している。

ともあれ起源はおぼろげながら、この「ロイヤル・スチュアート・タータン」は長年にわたって王室に受け継がれてきた。国王ジョージ4世(ヴィクトリア女王の伯父)が、1822年にスコットランドを訪問した際にこれを着用し、ヴィクトリア女王はその後、「ロイヤル・スチュアート・タータン」をロイヤルファミリーのタータンとして正式に採用。

また国王ジョージ5世は、在位中に君主の許可なくこのタータンを着用することを禁じる規制を作ろうとしたが、人気が高く数多くのバリエーションが存在し、幅広く使用されていたこの柄に制限をかけるのは、困難だったそう。

バルモラル・タータン

いっぽうで、「バルモラル・タータン」はロイヤルファミリーの私的な裁量に委ねられることとなる。

「ロイヤル・スチュアート・タータン」と同様、「バルモラル・タータン」の正確な起源は歴史に刻まれていない。しかしスコットランド・タータン登記所によると、アルバート公がヴィクトリア女王とともにバルモラル城を購入した後、1853年にこの柄を作ったという言い伝えがあるそう。

いっぽう現代の学者たちは、このタータンが1850年に使われていた例を発見したため、この説は信憑性が薄いと主張している。

いずれにせよ、ヴィクトリア女王がスコットランド滞在中に「バルモラル・タータン」を好んで着用したのは明白であり、後にジョージ5世により王室が独自に管轄する柄とされたため、このタータンを身につけることができるのは、バルモラル城のバグパイプ奏者を含む、君主から許可を得た者のみとなった。

現代に至るまで、「バルモラル・タータン」はロイヤルファミリーと密接な関係にあり、チャールズ国王がバルモラル城で休暇を過ごす際、この柄を身につけている姿が頻繁に目撃されている。

Translation: Masayo Fukaya From TOWN&COUNTRY