中日・京田陽太【写真:荒川祐史】

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「打てなくても、絶対態度に出さない」守れなかった約束

 捕れたはずの二遊間のゴロを、グラブではじいた。記録は内野安打でも、ミスだと自分が一番わかっていた。中日の京田陽太内野手は、反射的にベンチを見た。溝脇隼人内野手がベンチ裏へ準備に向かっているのが見えた。「ああ、交代か」。5月4日のDeNA戦(横浜)。わずか数時間後に名古屋に向かう新幹線に乗ってるとは思いもしなかった。【小西亮】

 選手会長として3年目を迎えた今季、課題は相変わらず打撃だった。新人王を獲得した1年目に打率.264をマークしたのが最高で、2割台前半から抜け出せないプロ人生が続いてきた。その一方で、負担の大きい遊撃の定位置を担ってきた自負もある。今季から就任した立浪和義監督も、センターラインの重要さは理解。ある程度、打撃には目をつぶる方針でいてくれるのは分かった。

 その代わり、ひとつの約束を交わした。「どんなに打てなくても、絶対に態度だけには出さない」。周囲を見渡せば、20代前半の若手も多くなってきた。主力が不貞腐れたり、苛立ったりすれば、チームの士気にも影響する。打撃開眼は一丁目一番地だったが、影のテーマには「我慢」があった。

「堅忍不抜」

 LINEのプロフィール画面のメッセージ欄には、好きな四字熟語を記している。どんなことがあっても心を動かさず、じっと我慢して堪え忍ぶこと――。昨年5月にプロ初の2軍降格を味わった際、チームスタッフからこの言葉を教えてもらった。もともと直感的な性格で、感情が言動に出やすいと分かっているからこそ、自らに言い聞かせる“呪文”のようでもあった。

打率1割台に低迷「申し訳ない気持ちも強くて、さすがに辛かった」

 まずは守備。打撃は日々コーチ陣に助言を受けながら、試行錯誤する。一朝一夕で劇的に改善するほど容易くはない。「だんだん良くなっている」。首脳陣の言葉を頼りに、わずかながら手応えが芽生えた瞬間もあった。ただ、結果はついてこなかった。打率は1割台を抜け出すことはなく、規定打席に達した選手では最下位だった。

「これだけ打てないと……。申し訳ない気持ちも強くて、さすがに辛かったです」

 凡退の山に、精神的に追い詰められる。打席以外にも影響が出始めたのを、立浪監督に見透かされた。溝脇との交代を覚悟してベンチに戻ると、血相を変えて歩み寄ってきた指揮官に一喝された。

「もう帰れ! ファーム行ってこい!」

 他の選手たちはその光景を見ることすらはばかられ、ベンチが凍りついた。強い剣幕は、期待の大きさの裏返しでもあった。“強制送還”を告げられ、京田は目の前の野球用具を抱えてベンチ裏に引き上げた。荷物をまとめ、いったん宿舎へ。帰り支度を整え、思考停止のまま新幹線に飛び乗った。

父の変化を感じ取った3歳の愛娘「パパ1人でいける〜?」

 くしくも、ちょうど1年ぶりの2軍降格。しばらくはリハビリ組に入り、ゆっくりと開幕からの日々を反芻した。立浪監督との約束を守れなかったのなぜか。我慢の本当の意味を考える。苦しい状況に、ただ歯を食いしばって堪え続けようと受け身になっていなかったか。「僕自身の野球人生。もしダメでも、前のめりにやらないと意味がない」。それが、指揮官が口にした“戦う顔”だと思った。

 いつまでも2軍にいるわけにもいかない。2児の父。勘の鋭さは似たのか、我が子は変化に敏感だった。降格後、初めて2軍の遠征に向かう日。久しぶりにスーツを着て家を出ようとすると、3歳の長女が珍しく両手を広げて抱きついてきた。

「パパ1人でいける〜? 大丈夫〜? ぎゅーしてあげる! 頑張ってね〜!」

 愛娘からのエールを受け、福岡へ。今月14日からのソフトバンクとの2軍戦で、2試合連続のマルチ安打をマークした。直後に1軍昇格が決定。16日にバンテリンドームでの練習に合流した。

 この1か月余りの間にチームは失速し、6連敗で最下位に沈んだ。もちろん、責任の一端は自分にある。もう立浪監督を失望させるわけにはいかない。17日から再開するリーグ戦から、チームも自らも反攻へ。竜の遊撃は、やっぱり背番号1だと思わせてみせる。(小西亮 / Ryo Konishi)