※この記事は2020年03月30日にBLOGOSで公開されたものです

法改正までの悶着から、一斉休校、自粛要請、「和牛券」「お魚券」の登場まで、様々な施策の検討・実施がされている新型コロナウイルス対策。政策の一貫性について疑問に感じている方も多いのではないでしょうか。今回はこうした迷走がなぜ起こるのか、外交官としての経験もある前衆議院議員の緒方林太郎氏に解説していただきました。

新型コロナウイルス(COVID-19)についての日本政府の対応について、「遅い」、「混乱している」から「よくやっている」というものまで、様々な見解が表明されています。私は医療面での専門家ではありませんが、政治・行政の観点から私見を述べたいと思います。

習主席訪日と東京オリンピック 日本政府が後手にまわった2つの原因

当初から、私は「出来るだけ大事件にしたくないのだろう」という雰囲気を政府に感じました。理由は2つ。習近平国家主席の国賓訪日と東京オリンピックが念頭にある事は強く見て取れました。外交的に見て、昨年半ばくらいから「何故、こんなに習近平主席訪日を謙って懇願しているのだろうか」と思う事が多かったのです。中国との間には、これまで1972年、1978年、1997年、2008年と4つの文書が交わされていて、今回、安倍総理は対中外交のレガシーとして習近平主席訪日と第5の文書にこだわったと言われます。

しかし、あれだけ武漢市でコロナウイルスが猛威を振るっている中、4月の国賓訪日など到底無理である事は想像に難くなかったと思います。結局、引っ張るだけ引っ張って3月5日に国賓訪日延期を発表、同日に中国からの入国制限が発表されました。政府は「偶然」と言っていますが、それを信じる人は少なくとも私の周囲には(政治信条を問わず)居ません。中国のご機嫌を損ねて、国賓訪日が潰れる事のないよう中国側に精一杯の忖度をしたのでしょう。国民の安全安心と外交上の成果を天秤に掛けるやり方はどうだったのか、と思います。

東京オリンピックも然りです。3月24日に延期が決まるや否や、東京において矢継ぎ早に様々な措置が講じられるようになりました。緊急事態宣言までもが取りざたされるようになるに至っては、突然、危機の度合いが上がったように受け止めた方も多かったのではないかと思います。

今回の意思決定の中で、COVID-19と関係のない別の成果と天秤に掛ける事で、色々な意思決定に遅れが出たという面は否定できないでしょう。「科学」の要素よりも優先された事があったわけですから、対応が科学に基づかないものになっていくのは当然の帰結でした。今後の対応では、COVID-19関係で取るべき措置と「他の分野での成果」とを天秤に掛けた対応は厳に慎むべきです。

法的根拠も法的義務もない「要請」連発は無理筋な手法

さて、法律面の対応でも非常に違和感の多い事が続きました。

まず、最初に行われた1月28日の感染症法の政令では非常に重要なポイントが隠されています。それはCOVID-19が同法上の「指定感染症」だと定義づけられた事です。その結果として、「(強い措置がとれる)新型インフルエンザ等対策特別措置法」の対象にならない事が確定していたのです。感染症法における「感染症」には様々なカテゴリーのものが含まれますが、その中で「指定感染症」と「新感染症」は別物です。そして、新型インフルエンザ等対策特別措置法の対象となるのは「新感染症」のみでした。COVID-19が現行法で読み込めるかどうかという議論は有益ではありませんでした。

また、総理が記者会見で「要請」した外出自粛、イベント自粛、休校といった内容には、何の法的根拠もありませんでした。総理が述べる「要請」は政治的には重みがあり、無根拠で乱発するのは法治国家のあり方としては正しくありません。一方、「要請」は何処まで行っても「要請」でしかなく、その法的効果は相当に限定的です。国民側からすれば従う法的義務はありません。その効果を支えるのは「緊急事態なのに従わないとはけしからん」という社会の同調圧力でしかありません。そして、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法で緊急事態宣言を発してやれるのも「要請」なのです。改正新型インフルエンザ等対策特別措置法で緊急事態宣言を出しても、今以上の事は大して出来ないのです。

諸外国の状況を見て、より強い法的措置の必要性に政府も気付いたのだと思います。今になって、政府は感染症法の政令を再改正して、商業施設やビルなどで集団感染が確認され、いくつかの条件と緊急性が認められた場合に限って、都道府県知事は建物の封鎖や立ち入りの制限をしたり、建物に入れないよう周辺の道路などを遮断できるようにしました。ただし、この措置は限定的なので真の緊急事態には対応できません。東京を始めとする関東が厳しい局面になってきて、政府はあたふたしているように見えます。

新型インフルエンザ等対策特別措置法改正の時点で、指示、命令を伴う私権制限を可能とする強い法律を作っていれば、今になってあたふたする必要は無かったはずです。勿論、人権制限をするわけですから、対象、期間を厳格に絞り込んだ上で、国会承認も(事後で良いので)盛り込んだ法律とすべきでした。こういう時だからこそ、野党はきちんと人権擁護と感染症押さえ込みの必要性のバランスを取った案を出して、それを強く政府に訴えるべきでした。人権制限というのは非常に辛い判断ですが、私の肌感覚では多くの国民は理解してくれただろうと思います。

ちぐはぐな事態はなぜ続く?内閣官房の連携に疑問

何故このようなちぐはぐな事態になっているのかという事ですが、私は内閣官房が機能していない事が原因にあると思っています。もっと言えば、官房長官を中心とするチームが機能していないのでしょう。

現在、外から見ていても、菅官房長官が本件で強いイニシァティブを振るっているようには見えません。総理と官房長官の関係が悪く、今井総理補佐官が中心となってやっているという事が聞こえてきます。官房長官とは内閣の要であり、主要政策の練り上げには、官房長官の所で各省庁の知見を結集して下拵えをする事が必要です。少し前まではこの仕組みが非常に上手く行っていました。

総理補佐官は実力者だと思いますが、何処まで行ってもやはり総理の黒子です。総理の権威にのみ依拠する存在であるという観点からも、国務大臣たる官房長官に比べ、内閣全体を統括する力には欠けます。

好意的に言えば、総理のトップダウンで物事が決まっていると言う事が出来ますが、私の目には「なんでもかんでも総理(と総理補佐官)のトップダウンで決まっている」ようにしか見えません。しっかりとボトムアップで積み上げて行って、最後にトップダウンが来るというのが理想的な姿です。最初からトップダウンを目指すと失敗するのは、民主党政権で明らかになった事ですが、その轍を現政権も踏んでいるような気がします。

よく役所を批判する時に「縦割り」という言葉があります。ただ、日本の官庁は横でとてもよく協議をします。厳しくも激しい協議をした結果として、お互いが譲らないので縦割りという現象が生じます。したがって、縦割りなのですが「隙間」はありません。しかし、今はその下拵えが無い状態で上(総理)からモノがポーンと落ちてくるわけですから、各省庁がやっている事の間に隙間が出来てしまいます。つまり、真の意味での「(スカスカの)縦割り」が生じているという事です。考えてもみましょう。今、厚生労働省がオーバーシュートを警戒する中、文部科学省は休校解除です。国民各位の脳裏に大きな「?」が浮かんでいるはずです。どんなに総理や総理補佐官が有能であったと仮定しても、政策相互の連関性をすべて調整することは不可能です。

また、現在、厚生労働省の負担が重くなっています。そのフォローのために、新型コロナ担当、特措法担当を西村内閣府特命担当相がやっていますが、この2大臣(や他の大臣)の間をどのように調整を付けるのかと言えば、普通は官房長官とそのスタッフがやるはずです。国務大臣を束ねるのが総理補佐官では力不足でしょう。

「総理の一日」から読み解く意思決定プロセスの変化

さらに現在、様々な意思決定プロセスが重くなっている可能性が高いと見ています。新聞の政治欄にある「総理の一日」を見ていて感じるのは、最近は総理の所に入る官僚が局長や次官級審議官ではなく、「(事務方トップの)事務次官」となっている事が多いという事です。当然だと思うかもしれませんが、過去の政権では必ずしも通例とまでは言えません。しかも、一回の会議に入っている人数がとても多くなっています。恐らく、そこでは総理補佐官の口から総理のトップダウンが連発されて物事が決まっていっているため、事務方トップの事務次官でなくては怖くてリスクを取り得ないという意識が霞ヶ関に蔓延しているのではないかと思えるのです。結果として、各官庁の中でも、係長で決めていた事が課長で、課長で決めていた事が局長で、局長で決めていた事が次官で、と意思決定者が繰り上がっているように見えてなりません。「どうせ、官邸で決まって来るんでしょ」と思えば、官僚の士気が下がり、独創力を発揮しようという気概が無くなるというものです。

そして、自由民主党内の政策立案能力が下がっている事も気になります。最近、部会で了承された「和牛商品券」、「お魚商品券」といった構想は、過去の自由民主党農水族であれば考えられないような代物です。内容以前の問題として、通商ルール(WTO協定)違反です。私は外務官僚時代、頻繁に自民党の会議に出ていましたが、当時は中川昭一さん、松岡利勝さんといった知見に優れた議員が居られて、このような提案が出てきたら「WTO協定に引っ掛かるんじゃないか?」という指摘が出てきたものです。

何故このような事が起こるかといえば、本件に限らず、官邸主導で政策が決まっていく事が増えたため、自ずと党内での政策立案能力が下がっているのではないかと考えられます。通商ルールの知識は、政治家の足腰としてはとても重要ですが、勉強しても大した票にはなりません。その知見が活かされる事が無いのであれば、そもそもそんな事をやらない議員が増えているのではないかと思います。でなければ、あの何の捻りもない「商品券」構想は出て来得ません。外から見ている限り、党内を束ねる力があるのは二階幹事長なのでしょうが、あの方は政策よりも政局で動く方なので、結局の所、不勉強な議員の不勉強な提案が跋扈するという事なのではないかと思います。


今回の対応の内、政治・行政面に注目して批判的に私見を述べました。ただ、「もちこたえている」という政府の説明は事実だと思います。ここを疑う向きがある事は知っていますが、私は毎日、英国のBBCとフランスのRFI(フランス国際ラジオ)を聞いているので、諸外国の情勢からすると日本はとてももちこたえている事をひしひしと感じます。

それは、関わる全ての方の献身的な努力によるものです。医療関係者、ビジネス関係者、官僚、そして何よりも日本人の封じ込めに向けた努力は世界に冠たるものだと確信しています。だからこそ、政治は「科学への立脚」、「チームでの対応」、「政局ではなく政策」、「信頼される力強いメッセージ」でこの国民の努力を支えるべきだと思うわけです。