人類が何度も克服してきた「流行り病」新型コロナ対策は歴史に学べ - 毒蝮三太夫

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※この記事は2020年03月17日にBLOGOSで公開されたものです

新型コロナウイルス、厄介な野郎だね。今月で俺は84歳になるんだけどさ、振り返ると俺の周りには厄介な流行り病がいくつもあったよ。忘れようにも忘れられないのがガキの頃にかかった発疹チフス。戦後すぐの1945年、俺は9歳だった。流行っててさ、案の定俺もかかっちゃった。

1946年に3千人超が命落とした発疹チフス

40度以上の熱が出てもうろうとしてね。今みたいにすぐ来てくれる救急車なんかないよ。当時はアメリカ進駐軍のMP(憲兵隊)と保健所の職員が白衣を着て街を見回ってたんだ。そこで進駐軍が俺を見て「ヘイユー」なんて言ってさ、浅草からトラックの荷台に親父とおふくろと一緒に乗せられてね、俺は荷台に寝そべって、ボーっとしながら通り過ぎる風景や空を見上げてるうちに駒込病院に運ばれたんだ。

そのまま入院してね。周りにも多くの入院患者がいて次から次と死んでくの。そのたびにガラガラと運び出されていくんだ。行く先は霊安室だよ。ああ、そのうち俺もああなるのかなって思ったりもしたよ。枕元ではおふくろが「この子を助けてください、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」ってお題目を唱えててね。こっちはまだ死んでないっていうのに(苦笑)。

当時、発疹チフスで命を落とした人はホントに多かった。1946年のデータがあるの? 国内で発疹チフスにかかった患者が3万2366人、死亡者が3351人か。かかったら10人に1人が死んでたんだな。俺はおかげさまで命拾いしたけわけだ。そのとき医者にこう言われたよ、「この子はよくがんばりました。これから風邪もひかない元気な子になりますよ。でも少々バカになりますけど(笑)」って。まあ、風邪ぐらいはたまにひくけどさ、ジジイになってもこうして元気でいるよ。

時代ごとに現れる恐ろしい流行り病

この発疹チフスや他の伝染病の原因となるのがシラミだった。戦後の東京なんかどこもかしこも、きったねえ街だったからね。ノミもシラミなんか湧き放題だもの。その予防で殺虫剤のDDTを何度もかけられたよ。朝、学校の校庭でみんな並ばされてさ、ペコペコするポンプみたいので頭とかシャツの中に白い粉をかけられるんだ。髪の毛にアタマジラミってのがつくんだよ。DDT、くさくてイヤだったな。たまにメシについたりしてさ、美味かないよ、殺虫剤のフリカケだもん(苦笑)。

あと、日本脳炎も流行ったな。これは蚊に刺されるとかかっちゃうってんで、おふくろから「夕方歩いちゃいけないよ」なんて言われたよ。日がかげって夕暮れ時は蚊が出やすいんだ。それで蚊が湧かないよう発生源を無くすために、路地裏のドブとか水たまりなんかに石油乳剤なんてのを撒いてね。牛乳が薄まったような白い液体。あれを撒くとボウフラが息が出来なくなるんだ。

うちの兄貴は戦争で南方に行ってマラリアにかかった。高熱でふるえて現地で大変な思いをしたって聞かされたよ。

振り返ると時代ごとに恐ろしい流行り病があったって話だ。コロナなんてのは江戸時代からあったんだろ。講談や浪曲に出てくるよ。『コロナ元禄十五年、師走半ばの十四日、赤穂浪士の一党は吉良邸に討ち入りを果たし~』って、こりゃ忠臣蔵か。『頃は元禄』だな(笑)。ま、そんな冗談でも言ってないと何だか気がまぎれないよな。

100年前のスペイン風邪 死者は世界で約5千万人

世界じゅうに猛威をふるった流行り病ってことだと、かれこれ100年前のスペイン風邪がある。当時、世界の人口が15億人ぐらいの頃に、5億人がかかって、約5千万人が死んだって話だ。つまり、全人類の3割が感染して、うち10人に1人が死んだ。日本でも45万人が死んでる。とんでもない病気だよ。

名前はスペイン風邪だけど、最初に流行ったのはアメリカなんだよな。でもアメリカ風邪とは呼ばれなかった。当時は第一次世界大戦の只中で、アメリカがヨーロッパに参戦して世界に広めちゃったんだ。しかも戦争下で各国が報道を統制していたから、アメリカを始めどこも自国に都合の悪い、マイナスになる報道はカットだよ。

その中でスペインは参戦してない中立国で、スペイン国内でこういう病気が流行してるってことを普通に報道していて、それが世界に伝わって病名に国名が残っちゃったって話だ。スペインはいい迷惑だよな。

このスペイン風邪の蔓延で、これから兵隊になるような若者も次々に感染して、これはいつまでも戦争やってる場合じゃないぞって第一次世界大戦の終結を早めたって話だよ。

そうしてスペイン風邪に人類は翻弄されたわけだけど、どうやって人類がこの疫病を克服したかってことに、今の時代につながるヒントがあると思うよな。当時やったことを調べると、学校を休校にしたり、集会を中止にしたり、マスクを浸透させたり、感染者を隔離したり、ほとんど今と同じことをしている。そうこうして2年も過ぎた頃に最初のスペイン風邪は収まっていった。

これがさ、対策が功を奏したっていうよりも、結局、感染が隅々まで行き渡って、かかる人はかかり、かからない人はかからず、もうそれ以上は拡がりようのない限界にまで達したから収まった、ってことなんだって。おいおい、ヒントも何も無えじゃねえか!(苦笑)。

でも、どんな「流行」も「ブーム」もピークがあっていずれ必ずしぼむ、そういう世の道理があるってことを肝に銘じて、目先のことで慌てすぎず、やるべきことを粛々とやるってことが一番なんだろうな。

それにさ、スペイン風邪の時代から100年経ってウイルスの研究も医学も確実に進歩している。今はまだないワクチンとか治療法もきっと徐々に見つかるはずだ。それまでヤケにならずに持ちこたえることだ。

あとね、こういうときだから、各国で協力体制を見せてほしい。非常時を逆手にとって外交を深める。ピンチはチャンス。互助しあう。自国だけが助かれば、っていう独りよがりな考えに陥らないようにする。困ったときに差し伸べられる手は忘れ難いんだから。スペイン風邪の時代よりも世界の対処が進歩していることを見てみたいよ。世界が100年前と違うのはネットによる情報の速さだろ。他国の対処でいい方法はすぐに学んで取り入れる。それが出来れば広がる速さに負けないくらい、収まる速さを出せると思う。

トイレットペーパーの買い占めは残念

そう考えると、残念なのがマスクやトイレットペーパーの買い占めだな。これって日本だけでなく各国で起きてるんだろ。俺も思い出すね、昭和48年にオイルショックでトイレットペーパーが無くなった頃を。もう半世紀も前なんだな。当時の俺は30代。ラジオの中継で大田区にあるスーパーに行ったの。現場に着いたら店の前にすごい人だかりが出来てて、俺のラジオもえらい人気だなって思ったんだ。そしたらみんなトイレットペーパー待ってんの(笑)。

当時、政府は「トイレットペーパーはある」ってさんざん言ってたけど、みんな言うこと聞きやしない。中にはさ、トイレットペーパーを買い占めまくってトイレの中に溜めこみ過ぎて、トイレ入るのに狭くてしょうがないって家があったよ。よくさ、トイレに「紙が詰まって流れない」ってのはあるけど、「紙が詰まって入れない」ってバカな話だよ(苦笑)。

買い占めってさ、自分が必要以上に買って溜めることで品薄が起きて、ホントに必要としている人に渡らなくなるっていう想像力が欠けてんだよね。公共施設とかコンビニとか会社のトイレから、紙を盗んでいくヤツも横行してるんだろ。さもしいな。そいつ1人が盗まなければ、何十人という人がトイレで困らないのにな。

非常時は人の本性があらわになる。まさしくそれを神に試されているんじゃないの? この非常時に人間がトイレットペーパーをどう扱うか、「神」は「紙」を試してる・・・なんてな(笑)。

(取材構成:松田健次)