※この記事は2019年11月22日にBLOGOSで公開されたものです

11月13日に行われた、第11回経済財政諮問会議で、安倍晋三総理大臣が、学校のICT環境整備という流れの中で、教育現場にパソコンが1人1台ずつとなるのが当然であるということを、国会意思として明確に示すことが必要であると意見していたという。(*1)(*2)

見出しを見た時「今は1990年代か?」と思った。

かつて森喜朗が総理大臣だった頃にIT利用の促進が叫ばれ、堺屋太一新千年紀記念行事担当大臣推進の下、インターネット内での博覧会「インパク」が大々的に行われ、鳴かず飛ばずで終わった。

まさか「平成三十年」も通り越した令和の時代に、そんな昔のことを思い浮かばせる話が出てくるとは思わなかった。

別に安倍首相が時代遅れだと批判したいわけではない。議事要旨でも安倍首相は「10年来の話」(*2)と言っており、教育現場へのICT導入が叫ばれながら、まだ十分ではないという話である。

しかし、今だからこそ、1人1台という数的目標にはあまり意味があるとは思えない。

そもそも配布されるべきパソコンとはなんだろうか?

デスクトップやノートと言ったいわゆる「パソコン」なのか、タブレットなどの携帯アプリ利用を前提としたものなのか。

仮にパソコンだとしても、学校に据え置かれ、学校の管理監視下で自由にいじることのできないパソコンに教育的価値はあるのだろうか?

タブレットにしても今現在ですら「新しいアプリ入れるの禁止、壁紙変えるの禁止、先生の指示がなければ触るの禁止」のような執拗な管理が行われている学校もあると聞く。

そもそも1人1台である必要性は、シェアではパソコンを使う時間が限られるが、1人1台であれば自分のパソコンをいつでも使えるという部分にあるはずだ。

現状で提供されているデバイスの利用を、生徒に開放できていない状況で1人1台を達成したとしても、学校側からの利用制限を受けるのならばシェアと同じことである。

また、教育内容についても疑問が残る。

今でもインターネットなどを利用する上でのリテラシー教育は必要であろうが、2020年から必修化されるプログラミング教育は本当に必要だろうか?

まぁ変数などの概念を学べば、中学以降の数学教育にはいいステップになるかなとは思うが「プログラミング的思考」を学ぶという考え方には疑問が残る。

それよりはOSはもちろん、ハードウェアレベルからパソコンを自分で保守管理できる方法を学び、自分で自在に設定などをいじってもらうほうが、パソコンに慣れ親しむには近道であると思われる。

また、すぐに使える知識として、表計算やグラフ作成などにEXCELを使わせる教育も考えられる。データをさまざまな用途で利用することができれば、多角的なものの見方を学べるだろう。

ただし一方で「神EXCEL」と呼ばれる、データの集計や再利用、計算利用などを利用できない残念なEXCEL利用が役所で蔓延しているという話も聞く。子供にEXCELを教える前に、まずは官僚の皆様に覚えていただく必要があるだろう。

いずれにせよ、現代は子供がみんなスマホを持っている時代だ。

そんな時代に今さら、パソコンを1人1台という、古い概念の数的目標を提示している場合ではない。

パソコンなどのデバイスの自由な利用を前提に、どのように使えば自分の目的とすることを達成できるのかを考えさせるという、もう少し質的に寄った目標をしっかり提示してもらいたい。

そうした目標を定めて初めて、1人1台のデバイスを子供たちに渡す必然性が出てくるのである。

*1:学校PC1人1台、安倍首相「当然」 経済対策に盛り込まれる公算(ロイター Yahoo!ニュース)
*2:令和元年第 11 回経済財政諮問会議 議事要旨(内閣府)