「永遠の乙女」だった八千草薫さん 新幹線のホームで夫を待つ大女優の素顔 - 毒蝮三太夫
※この記事は2019年11月17日にBLOGOSで公開されたものです
八千草薫さんのことを話しておきたいな。俺より5歳年上だった八千草さん。俺もこれまで何千何万という女性に対して「ババア」って言ってきたけどさ、八千草さんにはそんなこと絶対に言えないね。歳を重ねてもちっともババアにならなかった、ずーっと乙女だった。ずーっと少女だった。本当に稀有な女性。ステキな女性だったよ。八千草さんはご自宅が世田谷だった。俺はそこに何度か伺ってるんだ。というのはね、旦那さんが有名な谷口千吉監督。日本映画史にその名を残す監督だよ。俺は若い頃に谷口監督の作品に2~3本出演しててね。芸名が毒蝮ではなく石井伊吉の時代だ。例えば「潮騒」(昭和29年 東宝)、三島由紀夫さんの原作で何度も映画化されてるけどこれを最初に映画化したのが谷口監督だった。俺は漁師の役だったよ。
谷口監督は名優・三船敏郎を初めて主役に抜擢した人なんだ。三船さんは写真館の息子でさ、戦争から復員して仕事が欲しくて東宝の試験を受けるんだけど、元々は撮影カメラマン志望だったのに空きが無くて俳優の試験に回されてね、俳優志望ではないから試験に落っこちちゃう。ところが、三船さんの風貌を見た山本嘉次郎監督…、黒澤明監督を育てた名監督だね、この山本監督が「あいつ面白いじゃないか、目つきがいいよ」って裏から手を回して三船さんを役者で採用したんだ。
その三船敏郎を見初めて主役に抜擢し、俳優デビューさせたのが谷口千吉監督。「銀嶺の果て」(昭和22年 東宝)という銀行強盗が冬山に逃げ込む話。これは名作だよ。その三船敏郎を見て黒澤明監督も見初めちゃって、黒澤監督が谷口監督に「千ちゃん、あいつを俺に預けてくれ」って黒澤監督が三船さんを起用するようになって、それからはあれよあれよとスターになって世界のミフネになっちゃうんだ。
その谷口監督が八千草薫さんと出逢ったのが「乱菊物語」(昭和31年 東宝)。東宝としては宝塚出身の八千草さんをこれから育てていこうって矢先に、まあ、谷口監督と恋仲になっちゃったわけだな。谷口監督はね、モテたんだよ。女優に人気があったんだ。身体も大きくて1メートル80以上あってさ。男らしく頼りがいがあって逞しいんだよな。映画「潮騒」の時に俺たち役者が300メートルぐらい高さのある山にいてね、監督がずーっと下の浜辺で撮影してるんだ。そこで監督が「よーい、スタート!」って言った声が山の上まで聞こえたからね。
それでまあ、谷口監督も女性にはモテるから結婚離婚いろいろありつつ、八千草さんと結婚しちゃったわけだ。谷口監督は山が好きで、ご夫婦でもよく山登りをされてたけど、晩年は身体を壊しちゃってね。あまり表に出なくなるんだ。今から20年ぐらい前かな、谷口組の役者やスタッフで「監督、元気出してくださいね」と励まそうってことで、監督を招待して映画「潮騒」のロケ地だった鳥羽の神島を懐かしく訪ねる旅行をしたんだ。
新横浜のホームで夫を待つ大女優
新幹線に乗って名古屋から近鉄特急に乗り換えてね、みんなでわいわいと行ったんだよ。何十年も前に撮った映画の仲間がそうやって集まるんだからさ、谷口監督はすごく慕われてたんだ。人徳だね。で、ひと通り旅行して、帰りの新幹線が新横浜に近づくと、監督が妙にそわそわし始めるの。監督の様子がおかしいぞ、監督どうしたんだ、ってみんなも気になっちゃって。監督は自宅が世田谷だから新横浜で降りて帰るんだけど、ボソッと「ひとみは迎えに来るかなあ…」なんて言ってるの。ひとみっていうのは八千草さんの本名。普段はそう呼んでるんだ。
そうして新幹線が新横浜のホームに着いたらさ、八千草薫さんが待ってるんだよ! まるで映画のワンシーンだよ。新幹線の窓から八千草さんの姿が見えた途端、谷口監督も喜んじゃってさ。それまで落ち着きのない顔してたのが、すっかり笑顔になっちゃって。こっちもまさか八千草さんが迎えに来るとは思ってないから驚いたね。ホームで大女優が待ってるんだから。
いやあ、お二人とも高齢熟年、いい歳のご夫婦だよ。奥さんがホームまで来るかい? なんていい夫婦なんだろうってしみじみ思ったよ。まあ、八千草さんもさ、もちろん監督のことが心配だっていうのもあったろうけど、監督を囲んで旅行した我々に御礼を伝えたいって気持ちもあったんじゃないかな。おかげで旅の終わりにステキなラストシーンを観た気分で、みんなすっかり感激しちゃったよ。
仕事より谷口監督を大切にしていた
谷口監督が亡くなられたのが2007年、95歳だった。お亡くなりになる何年か前かな、お身体の具合もすぐれず寝たきりになってるってことで、映画「潮騒」に出演された先輩女優で、その後はシャンソン歌手をされてた北桂子さんに誘われてさ、監督のご自宅にお見舞いに伺ったんだ。家にはもちろん八千草さんがいて、お化粧もしてなくて素顔なんだけどとても可愛らしくてね。ごく普通に甲斐甲斐しく家事をされて、寝たきりになってる監督の介護をしてるの。その姿がとても似合ってるというか、板に付いてるというか、ちっとも女優女優してなくて、ああ介護の達人だな、いい奥さんだな、って思ったよ。
八千草さんは監督のこと昔から「先生」って呼んでるんだけど、「先生、お茶飲みますか? 先生、何か召し上がりますか?」なんてね。監督のほうは何から何まで奥さんに面倒見てもらってるのを、俺たちを前にして照れたのか「俺はヒモだよー」なんて言ってたよ。
八千草さんは人生において仕事よりも夫である監督のほうが大事だった。だから監督の具合がすぐれないと仕事は受けずにみんな断ってたんだよな。そういう八千草さんに看取られて谷口監督は最後まで幸せだったろうね。
たしかご自宅の庭にバラが咲いてたな。犬もいてね。犬が大好きだったんだよね。犬の散歩もあるのかな、砧公園によく出かけるって言ってた。帽子かぶって歩いていると、「誰も私のことなんか気づかないわよ」って言ってた。
あと印象に残ってるのがお宅に飾ってあった八千草さんの肖像画。これが何ともステキでね。まだ若い頃の絵なんだけど、聞いたら当時、週刊朝日の企画でモデルになった絵が表紙になったんだって。描いたのは高名な洋画家の小磯良平さん。八千草さんの清楚で可愛げある雰囲気が見事に描写されてて見入っちゃったよ。
当時、東宝では高峰秀子さんもスターで、あの方は画家の梅原龍三郎さんに可愛がられてて、梅原さんに肖像画を描いてもらってるんだ。だけど梅原さんの画風は抽象的で写実ではないから、時の美人である高峰秀子さんも大胆なニュアンスの顔になっててね(笑)。アートとしての魅力があるんだろうけど、八千草さんは「デコちゃん(高峰秀子)は梅原先生に描いてもらってるのよね。私はたぶんそっちは似あわないわ…」なんて言ってたよ。
「八千草ですけどマムシさんは?」
ああ、あの声がまた独特で可愛らしくて素敵だったよね。ある時うちに電話がかかってきてカミさんが出たら「八千草ですけどマムシさんいらっしゃいますか?」って、受話器越しにあの声が聞こえて、カミさんたまげてたよ。あの可愛らしい声で「八千草ですけどマムシさんは?」って、何だか落差がすごいもんな。アハハハハ。八千草薫さんが亡くなられて、女優としての八千草さんについては多くの人が触れてたからさ、俺は素顔の八千草さんを語らせてもらったよ。きっと今頃、あの世で谷口監督と再会して、にっこり微笑んでいるんじゃないかな。
(取材構成:松田健次)