【又吉直樹の新刊「人間」】直木賞作家・西加奈子に明かす初の長編小説に込めたもの「火花・劇場の続編を書いてる」 - BLOGOS編集部

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※この記事は2019年11月14日にBLOGOSで公開されたものです

『火花』で芸人、『劇場』で演劇の世界を描いた、お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹が三作目となる、初の長編小説『人間』(毎日新聞出版)を上梓。発売を記念して直木賞作家の西加奈子とのトークイベントが東京都渋谷区の紀伊國屋サザンシアターで開催された。

各場面に込めた想いや、小説を書くことについて、そして芥川賞受賞時の裏話を披露した1時間45分にわたる対談の一部を紹介する。

毎日新聞出版社

『人間』あらすじ

絵や文章での表現を志してきた永山は、38歳の誕生日、古い知人からメールを受け取る。若かりし頃「ハウス」と呼ばれる共同住居でともに暮らした中野太一が、人気芸人で作家でもある影島道夫をコラム上で批判。そのやりとりが世間を賑わしているという

永山の脳裡に、ハウスで芸術家志望の男女と創作や議論に明け暮れた日々が甦る。当時、永山の作品が編集者の目にとまり、出版に至ったこともあったが、ハウスの住人たちとの間にある事件が起こってしまう。知人からのメールをきっかけに忘れかけていた苦い過去、そして自分自身と向き合っていく永山だったが――。

◆『人間』を読んで脳みそが飛んでいきそうになった

西:(『人間』を読んで)脳みそが飛んでいきそうになった。『人間』はページを戻って「なんやったんやろ?」っていうシーンがものすごくありました。例えば「そとば」のシーン(※)ってわかる?

※住宅街を歩く主人公の永山が、見知らぬ親子のやりとりに遭遇するシーン。「おそば」という母親を真似をして子どもが「そとば」という言葉を繰り返す。

又吉:わかりますよ。

西:そら書いたんやからわかるよな(笑)。読み飛ばす人は飛ばすんやけど、読んだ後にあれなんやったんやろって。昔からシークエンス(場面)のつなぎ方は素晴らしかったんやけど、まじでどうやって繋いでいってんのかわかりませんでした。

又吉:僕もわからないですね。

西:(笑)。好きに書いてるってこと?

又吉:割と好きに書いてますけど、考えているというよりは、「なるほど」っていう感じで書いてるかもしれない。

西:(今回は)新聞連載だったことは関係ありました?

又吉:ありました。今日から読む人もおるかもしれんから、1回の中でその日1日、引っかかるようなセリフや描写はやっぱり入れたいというか。

西:でも、全然わざとらしくない。褒め言葉として、ほんまに狂ってきてんなって。永山くんと奥くんの長い会話のシーン(※)を読んでる時に、めっちゃ体痛くなってきた。又吉さんってここまでのレベルの会話をしたいんやったら、友達いないやろなと。

※永山が若いころ共同生活をしていた「ハウス」の住人であり、友人だった奥と20年近く経って再会する場面。

又吉:友達はいます。

西:(笑)

◆登場人物がどういう会話をするかは考えていない

又吉:連載なんで、進行もギリギリやったんですけど、奥と永山が会話をする場面に行くまでの間、めっちゃテンション上がってたんですよ。「もうすぐ会える!」みたいな。自分次第やのに。

会場:(笑)

又吉:「こういうことを言うんかな」っていうのはあるんですけど、具体的にどういう会話がなされるか考えてない。めっちゃ楽しみで、酒飲んでる感じでした。

西:こういう場面ってどういうスイッチがあるの? 永山くんが喋ってる時は永山くんになって、奥くんが喋ってる時は奥くんになるのか。それとも第三者的な位置でいるのか。

又吉:2カメですね。同時というより、切り替えてる感じですかね。主に両方見てて、ひとりが質問する時に、相手がなんて答えるかっていう想定はしてないです。

西:会話のシーンが終わったら寂しかった?

又吉:客観的に長いというのはあるんですけれども、僕は「まだこれ終われないぞ」っていう感じではありました。寂しいからもう少し話したいと思いましたね。

◆芸人からマイクや舞台を奪うとおかしくなる

西:長いといえば、影島がナカノタイチというライターにめっちゃキレてメール送るシーン(※)。あの長さの狂気性は面白かった。

※永山が自身の過去を振り返るきっかけとなった出来事。「ハウス」の住人の一人で、永山とは犬猿の仲であったコラムニスト/イラストレーターのナカノタイチが、芸人/作家の影島道夫を批判するコラムを書いたことに激怒した影島が、長文のメールで反論。そのやりとりをネットに公開したことで世間の話題をさらう。

又吉:あれは倍くらい書こうと思えばかけましたけどね。得意分野なので(笑)。芸人のくせに文化人のふりすんなみたいなことをいわれた影島はとにかく異常な気迫。影島自身は人に読まれる前提でメールを書いていて、芸人として漫談っぽく語ってるけど、途中でコントロールできんくなって崩れていってる。

西:誠実さがありすぎておかしくなる人っている。誠実であることってまっすぐやから、絶対なにかにぶつかっていく。傷だらけになるのは当たり前で、穏やかなものを誠実さってとらえる傾向は違う。まじでちゃんと言おうとしてもおかしなってしまうっていう。そこが(『火花』の)神谷さんとかぶりました。

又吉:ナカノタイチはそもそも「芸人をやるしか生きていくすべがなかった」という大前提を見失っている。ボケを放棄したら芸人じゃないっていうのは、影島に「死ね」と言っているに等しい。人間じゃない、居場所はないと。芸人から舞台を奪ったり、マイクを奪うとおかしくなる。僕も必死でふざける衝動を抑えているんですよ。ストッパーを外したらずっと崩れていられる。でもそれは努力してないし、よくないと思う。

◆芥川賞受賞式2次会で平成ノブシコブシ吉村が渾身のボケ 「美しい、ほんま人間の瞬間やったな」

又吉:『火花』で神谷が「普通のことを言う」というボケをやってるけど、実はそれが一番面白い。この感覚ってあんま伝わらへんかもと思ってたんですけど、千鳥の大悟さんが昔、笑い飯の哲夫さんと家まで帰る時、一言も喋らんっていうのをやってた。ようはいつでも面白いこと言えるのに黙ってるってのが一番のボケなんです。

西:小説書く時は?

又吉:僕はそのモードを使い分けていない。ここは真面目にやろうとか、スイッチみたいなものを自分では持っていないんです。

西:書きたいから書いてるだけ? でも、芥川賞のスピーチはめっちゃ笑いこらえてたやん。めっちゃ真面目にスピーチしてましたね。ボケとして真面目にしようとすると面白くない。本当に心から感謝して、美しいことを思っているのがおもしろくて、場にしっくりなじんでんのがめちゃくちゃおもろかったです。

又吉:羽田圭介さんと一緒に受賞し、芥川賞は僕のものじゃなくて、誰かがもらったものやし、これから先もずっと誰かのものじゃないですか。あそこで芸人がボケて面白かったみたいにするのって、旅館でいったら、すごい部屋汚して帰るっていう感覚。でも、(平成ノブシコブシの)吉村君が来てて、完全にエンジンかかってた。会場で僕を見つけるなり、走ってきて、「一応、つけ髭だけ持ってきたぞ」って。

西:美しい瞬間やな(笑)

又吉:全員に僕は「ちゃんとジャケット着用してきてな」って言った。立食パーティの時も、この枠から出るなと。俺はいろいろ挨拶してくるけど、ここにいろ、今日はほんまに大人しくしといてくれって(笑)。

西:楽しくなかったでしょう(笑)

又吉:楽しくないですよ、あんなもん。気使いまくって。

西:でも、2次会でやっぱり吉村さんが我慢できずに(ボケた)。本当に吉村さんもボケないと死んじゃう方というか。美しいボケ方やった。

又吉:西さんたちが僕に激励の言葉をくださってる流れで、吉村くんの番になった。吉村くんはなんかせなって(エンジン)かかりすぎて、第一声が「グッドイブニング」って言うたんですよ。2秒間の静寂のあと、爆発的な笑いが起きた。吉村くんのその日1日、抑圧されていたパワーがフルで出たという感じして、すごい人間らしい。

西:それを隣にいて、一番状況を理解してらしたパンサーの向井さんが全力で突っ込みはった。うち泣きそうになって。

又吉:成立させようとしてな。

西:そうそう。吉村さんが割れた瞬間、破片を全部受け止めるって決めて。又吉さんもめっちゃ笑って、あれってめっちゃ美しい、ほんま人間の瞬間やったな。

◆価値観に囚われずに小説を執筆 「全部一緒やん」って思ってまう

又吉:(最近は)「なんでもええんちゃうかな」っていう感覚になってきたというか。誰かの価値観みたいなものに囚われすぎではなくなってきてるかもしれない。危険かもしれないんですけど、「全部一緒やん」って思ってまう。「あいつ嫌なやつやな、ということは一方で良い奴がいて、嫌な奴っていうのは~だから嫌な奴で、いい奴っていうのは~だからいい奴で、つまり一緒やな」って。

西:そんなに言葉を尽くせるのに最終的に一緒になる。「僕はあなただ」って、昔からおっしゃってたもんね。

又吉:僕はみんなだ、僕はあなただっていう感覚は、むちゃくちゃありますね。

◆「登場人物=ぜんぶ僕なんです」の意味とは

又吉:(小説を書くときは)自分自身と登場人物がある程度の距離を保っていた方がいいのかなって結構意識したんですけど、『火花』を読んだうちの母親が「お酒の飲み過ぎに気をつけて」と言ってきて、やっぱり僕の話として読んでるんやと。

よく「これは又吉さんですか?」と聞かれるんですけど、全部僕なんですよ。でも、「僕です」って言ったら、違う捉え方をされる。僕が言ってるのは、たとえば(太宰治の)『人間失格』を読んで、(主人公の)大庭葉蔵に対して「あ、俺これや」って思うみたいに、ずっといろんなものに対して「自分や」と思って読んできた。

西:公言してましたよね。

又吉:公言してきた自分が、いざ小説書いた時に、「このなかに俺いないです」って無茶苦茶やん。僕は芸人として知ってもらってたから、「僕自身と作品は分けて読んでくださいよ」って都合のいいことは言えない。受け入れた上でやろうと。たぶんいろんなものが「一緒やな」に繋がってる。俺であっても俺じゃなくてもどうでもいい。一緒やなって。

西:それって悟りみたいなものじゃない?

又吉:下手したらもう死んでるかもしれへん。

西:そうやなあ(笑)。もう実体がないかもしれへんって思ってきた。

◆カテゴリー分けになんで信仰みたいなものが生まれてもうてるん

又吉:『火花』とか『劇場』は私小説とはいえないですけど、私小説っぽい。『人間』は私小説やなって書いてる感じで思うけど、これを私小説って言ったら、「違う」と言う人は多いと思います。誰が決めんねんっていう。私小説でも私小説じゃなくても一緒やん。

西:一緒やな。だから『人間』っていうタイトルは正しい。人間やん、小説やんっていうことなんや。

又吉:カテゴリー分けに、なんで信仰みたいなのが生まれてもうてるんっていう。

西:タンスのここに何が入ってるって分かりたかっただけやのに、靴下以外のものをいれたら死ぬっていう思いしてるみたいな。

又吉:みんな、無茶苦茶なことをやってる。「一緒」っていうタイトルにすればよかったな(笑)。

◆前作の続きは間違いなく書いてる

又吉:なんとなく文芸界って、大きな賞をいただいたりすると、年間何冊書いてと言われたりするけど、なんで決められなあかんねんって。それぞれのペースでやればいい。僕は五年に一冊だけ書くっていうスタイルの作家がいたとしても、その人の小説が面白ければ待つ。

自分のなかで、前作の続きは間違いなく書いてるんです。あとはポジティブな問題や疑問に対しては、自分も同じように思えた時は、すごい共鳴してもいいと思っているから、それに対しては考えたり、続きをやったりするけど、そうじゃない時には、あんまり惑わされたらあかんかなって思ってやってました。

西:強い作品やもんなあ。うちも、作家として書いてたらようなっていくものなのかなって思ってたけど、勝手な文芸界への反射だけやったんかな。ほんま人それぞれやもんな。

又吉:人それぞれですよね。僕はまだ三つしか書いてないし、やり方もわからんし、習うもんでもないですもんね。習ってもいいし、習わんでもいいし。

西:一緒やな(笑)

又吉:一緒です(笑)

西:ほんまに「一緒」っていうタイトルいいな。むっちゃ書くん難しいでしょうけど。