メディアの「エネルギー変換効率」をどう上げるか 田端信太郎氏に聞くメディアビジネスのこれから - BLOGOS編集部

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※この記事は2019年10月31日にBLOGOSで公開されたものです

本特集で話を聞くなら誰かと考え、真っ先に浮かんだのがこの人物だった。10年前、BLOGOSを立ち上げた創設メンバーの1人、田端信太郎氏。田端氏はLINEやZOZOなどでさまざまな立場を経験しており、ネットを活用したビジネスに詳しいことで知られている。今回は、メディア業界についても鋭い意見を持つ同氏に、BLOGOSも含めた業界の課題について話を聞いた。【取材・文:村上隆則、撮影:弘田充】

-- BLOGOSが10周年を迎えました。田端さんは創設メンバーの1人でもあるので、ぜひお話をうかがいたいと思い、お時間いただきました

おめでとうございます。生みの親の1人としては細々とでも続けていただいて嬉しいです。

悪貨が良貨を駆逐する ネットメディアのアドネットワーク依存

-- いっとき「メディア野郎」とも称されていた田端さんに、今回はBLOGOSも含め、メディア業界の課題についてお聞きしたいと思っています

業界の課題はわかりきっていて、アドネットワークに依存した形の広告モデルですね。これがページビュー(PV)重視の運営にもつながっていて、しかも単価が下がってみんな苦しんでいる。

このモデルだと、良質な記事もしょうもない記事も、すべて同じ価値になってしまいます。つまり、質がすぐれていても広告的なプレミアムが乗っかっていかないわけです。そのうえ、悪貨が良貨を駆逐するかのように、良質な書き手はいずれ愛想を尽かして逃げてしまう。かといって、媒体としてはダメな方を切るのもなかなかすぐにはできない。抜本的に変えないとだめですよね。

-- PVを追っていくと、専門的でしっかり書かれた良質な記事よりも、扇情的な記事のほうが数字を取ってしまうという現状もあります。そうすると、広告収益を維持するために、後者のような記事を除外しづらくなってしまうのでは

そこはもう根本的にバグってますよね。僕が以前LINEで広告営業をやっていてわかったのは、「広告っていまどうなの?」ということです。なぜなら、広告営業というのは放っておくとメディア企業において、抵抗勢力になっていくからです。

-- とはいえ、営業はマネタイズの要でもありますよね

でも営業って、「YouTubeに転載されています」「こっちで見られても1円にもなりません」ということを言いがちなんです。これは組織の構造的な問題で、それが悪いというわけではありません。実際、テレビ局や出版社なんかはその典型で、社内調整に余計なコストがかかっている。反面、広告の影響を受けないNHKはネット対応も進んでいますよね。

従来メディアの構造はエネルギー変換効率が悪い

-- 広告そのものにも課題はありますか

旧来のメディアもそうなんですが、広告という時点で、広告代理店や広告営業など、どんどんオーバーヘッドが乗っかって来るわけですよね。そうすると、直接のコンテンツ制作者に対してはクライアントが出した金額の2~3割が支払われればいいほうです。

テキストメインのサイトなら、その2~3割から外部のライターさんに対して原稿料が支払われるわけですが、その金額はさらに少なくなる。これってつまり、従来のメディアの構造はコンテンツ制作者に対してのエネルギー変換効率が悪いということなんですよ。

-- 広告は中間業者が色々と挟まるので、末端の取り分が減っていくというのはありますね

BLOGOSも10年間ずっと同じビジネスモデルでやってきてると思いますが、思い切って課金するとか、よりプラットフォームを志向するということを考えてもいいと思いますよ。いずれにせよ、同じことだけをやっていると環境の変化に耐えられなくなる時が来ると思います。

記事を書いてわかった「note」の効率のよさ

-- ビジネスモデルの転換という意味では、ユーザーが書いた記事に課金できる「note」など、課金モデルのサービスも存在感を増しています

僕、自分でnoteを書いて記事を売ってみたんですけど、書いていてすごいなと思ったのは、著者に対して課金の最大85%が支払われることなんです。これは書き手にとってものすごく効率がいい。労力の点からみても、本だったら10万字書かないと1冊にならないのに、noteだったら5千字もあれば長文になりますよね。しかも、その記事の売上の85%が懐に入るなら、仮に単価と部数が半分になったとしても、本で得られる著者印税の手取りよりは多いでしょう。

-- 仮に印税10%で1冊売れた場合、本だと「1000円(単価)*1(部数)*0.1(印税)=100円(著者収入)」、この単価と部数が半分になったとして、noteの場合は「500円*0.5(部数)*0.85(著者取り分)=212.5円(著者収入)」ですから、そうなりますね

そもそも、印税10%の契約でも、残りの9割は書き手ではない人たちのところにお金が回っていたんですよ。繰り返しになりますが、これは中二階の中間業者が多すぎたと言えると思います。自分もやっていたので、編集者や広告営業マンの価値を否定するわけではないんですが、装置としてはあまりにも効率が悪すぎる。

「受注生産型ジャーナリズム」に可能性あり?

-- では、どういった装置が理想だと思いますか

今風のものでいうと、ジャーナリストやクリエイターに特化したクラウドファンディングのようなプラットフォームというのはアリだと思います。「カンボジアで大企業が児童労働をさせているらしい」というネタがあって、それについて取材旅行をしたいというジャーナリストがいたときに、その取材費をみんなで出し合う、受注生産型ジャーナリズムのようなものですね。

課金なんだけど、まだ形になっていないクリエイターが作りたいものにお金を払う。クラウドファンディングmeetsデジタルコンテンツみたいな。

-- サブスクリプションのような定期課金型ではなく?

書き手にとっては安定するサブスクリプションでもいいんだけど、それは人気のある人じゃないと成立しにくい。そうではなく、題材ありき、テーマありきで、無名な人でも「お前に課金するから行ってこい」という、切り口の面白さで勝負できるプラットフォームはあってもいいですよね。

-- なんとなく、悪用や詐欺などの色んな想像をして難しそうだなと思ってしまいますが

みんながそう思いすぎてるんだと思います。先ほど出たnoteが上手いのは、仕組みとしてはコンテンツを売るためのプラットフォームなわけですよ。これは場合によっては情報商材だらけになってもおかしくない。だけど、「noteはそうじゃない」という雰囲気を作った。それはまさしく加藤貞顕さん(ピースオブケイクCEO)の編集者的なセンスです。

それと、ルックアンドフィール。noteって、ユーザーがUIを変えられないですよね。あれがいい。従来のエンジニア的な発想だと、みんなが好きにできるようにしようとしますよね。するとこれまであったブログと変わらなくなって、世界観の統一が図れなくなってしまう。だから、僕から見ると、noteってひとつの新書レーベルのようにも思える。そうした編集的なエッセンスが盛り込まれつつ、出版社ではあり得ない売上の85%を著者に渡すという条件面での変更。すばらしい事例だと思っています。

-- 一方、ニュースメディアで、書き手を巻き込んだプラットフォームを作って成功したという事例は日本だとまだ聞かないですね

結局、2019年にジャーナリストたちが自分の活動をしやすくして、そういう人のコンテンツを読みたいと思っている人が気持ちよく経済的な対価を戻すというムーブメントを起こせるかなんだと思います。

いまは、それを実現するための歯車が錆び付いている。でも、これを変えるための具材はすでに揃ってますよ。たとえばLINEだって決済やブログ、コミュニティなど色んなサービスがありますよね。これらをどうつなぎ合わせてパッケージングするかだけです。これが1番難しいんですけど。

ヒントはマイケル・ムーア氏にある?

-- 切り口で勝負になると、お金を払ってでも見たくなるニュースを作るための手腕がジャーナリストに求められるようになりますが

やらせはダメなんだけど、いい意味で現在進行形にすることによってみんな見たくなると思います。映画監督のマイケル・ムーアなんかはその典型で、監督でもあり演者でもあり、思想については色々な意見があるにせよジャーナリストでもある。日本の記者ってすぐ不偏不党、中立みたいなことをいうんだけど、透明人間にはなれないんだから、いい意味で自分を出したほうが今風になると思います。しかも、彼くらいだともう中立だとも誰も思わない。

-- 彼の目線ですべて語られているという前提は共有されていますからね

実行するにも、大きな金額はいらないじゃないですか。5千円か1万円くらいのカンパが数百人分あればいい。いまって、これまでの時代に比べて課金への心理的ハードルはめちゃくちゃ下がってるんです。だから、払いやすい課金装置があるなら、チャレンジしてみる価値はある。

かつて、伝説的な戦場カメラマンのロバート・キャパは、マグナムフォトというカメラマン集団を作って、そこで活動をサポートする仕組みをつくったり、権利関係をまとめたりした。だから、そういう人が出てきて、新しいやり方もあるという啓蒙をおこなうことも大事。それがムーブメントになれば大きく変わってくる。

-- 最近でいうと、ネットサロンが普及した背景には、先駆者の成功事例が一役買っていました

堀江(貴文)さんや箕輪(厚介)さんですよね。そういう人はなかなかジャーナリストには出てきていない。大多数のジャーナリストは結局出版社やテレビ局依存なんですよね。もし今、若かりし頃の田原総一朗さんみたいな人がいたら、絶対にYouTubeや様々なプラットフォームにコンテンツを出していたと思いますよ。

広告モデルがゼロになると「オープンな言論が成立しなくなる」

-- 最後に、田端さんのいうような世界が訪れたら、どんな課題が出てくると思いますか

BLOGOSっぽいことをいうと、広告モデルがゼロになると、オープンな言論が成立しなくなるという問題があります。リンクを張って記事を紹介しようとしたら、いきなり課金ページが出てくる。そういう、信者しかいないような外から見えない世界って、根拠不確かな適当なこと言えちゃうわけです。しかも批判もされない。それは世の中全体にとっても、書き手にとってもどうなんだというのは思います。少なからず、オープンな場でやっているという緊張感はあったほうがいい。

ただ、いまはマーケット全体で見ても広告モデルのほうがはるかに多い。特にニュースの領域だとそうですよね。そう考えると、色んなチャレンジはあっていい。付け加えるなら、アドネットワーク事業者も、もっと個別の記事を評価して広告の単価を変えるなど進化するべきだと思います。Googleが先日「オリジナル記事を評価する」という指針を打ち出しましたが、SEO面などではそういう変化の兆しも見えてきています。

結局、なんらかの形でオリジナルな記事を作って、しかもそれが報道的なもので、日々作っている人にも金銭的な対価が支払われて、なおかつやる気や能力がある人は沢山の収入が得られるような仕組みが必要だという話ですよね。これは1000年経っても変わらない話です。いまは過渡期だと思いますが、それを時代時代にあわせて上手くチューニングしていく必要はあると思います。

プロフィール
田端信太郎(たばた・しんたろう):
株式会社ZOZO 執行役員 コミュニケーションデザイン室長。1975年石川県生まれ。NTTデータを経てリクルートへ入社後、「R25」を立ち上げる。メディアに対する深い理解を生かし、2005年よりライブドアでニュース事業を統括。その後、コンデナスト・デジタル、NHN Japan(現LINE)を経て現職。著書に『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体』(宣伝会議)、『ブランド人になれ! 会社の奴隷解放宣言』(幻冬舎)。