※この記事は2019年10月31日にBLOGOSで公開されたものです

ゴーンショック以降、ドタバタが続く日産自動車(以下日産)の再生に向けた新体制が、ようやく確定しました。社長兼CEOに53歳の内田誠専務執行役員が就任し、COOにはルノー出身で49歳のアシュワニ・グプタ氏を登用。

経営陣の一気の若返りと脱旧体制的な新鮮味を感じさせる新首脳人事となり、新生日産をイメージさせるという点からは一定の評価を与えられる布陣になったように思います。

日産の企業史上において今回の内田新体制が意味するもの、そしてこの体制で乗り越えるべき重要課題解決のポイント等について、少し考えてみたいと思います。

日産の新体制人事は「遅すぎる粛清」

昨年11月に発覚したカルロス・ゴーン元会長の組織私物化に端を発した問題は、ゴーン氏の後を受けた西川広人社長兼CEOまでもが不正報酬受領での辞任に至り、「不正の連鎖」という最悪の展開になりました。これは日産自動車自体の組織としてのガバナンス欠如以外のなにものでもありません。

すなわち、長期化したゴーン独裁政権による実権者の組織私物化が、「長いものに巻かれる」組織風土により、それを見過ごしかつ次なる不祥事を生むという負の連鎖を生んだ、と考えるのが至極常識的な理解であると思えるところです。

ゴーン氏の不祥事発覚の際にも申し上げましたが、経営者の不祥事を牽制すべき立場にありながらそれをできずにいた取締役には、職務遂行上重大な瑕疵があるわけです。従い、「ゴーンチルドレン」でもある西川氏がトップのイスに座り続けることには、個人的には大きな違和感をもって見ていました。

西川氏に関しては、自身の不祥事が恣意的なものであったか否かにかかわらず、ゴーン氏の不祥事に対して経営の一翼を担ってきた立場として責任を自覚し、即座に辞任すべきであったと改めて思うところです。すなわち今回の人事は、日産にとっては「遅すぎる粛清」であると言っていいと思うのです。

瀕死の日産を救ったゴーン氏体制の光と影

歴史を紐解けば、90年代までの日産には「赤信号みんなで渡れば」的な旧来のサラリーマン経営者的マネジメントがはびこり、それがゆえに90年代の日産に深刻な業績不振をもたらしました。

すなわち、下請けおよび部品メーカーの集まりである日翔会(54年設立の日産宝会と66年設立の晶宝会が統合されて94年に発足)という、時代錯誤的な縦型系列企業群のしがらみの温存です。総数約1400社とも言われたこの系列企業グループが足かせになって、日産はめぼしいリストラ策すら思うに任せず、瀕死の状態に陥っていったのです。

日産救済のミッションを背に99年資本提携先の仏ルノーから派遣されたゴーン氏は、その強腕によって同社は見事なV字回復を果たします。

歴代の日産経営者、すなわち縦型系列企業群のつながりを重視するプロパーの日本人経営者たちでは決して手をつけられなかった脱系列化に、何のしがらみもない外国人経営者のゴーン氏はいとも簡単に大ナタを振るったのでした。

具体的には、主力4社を除く全ての系列企業から資本の引き上げをおこない、「新たな株主は自力で探せ」と突き放すという系列破壊を実行したことで、下請け企業に多大な犠牲を強いながらも日産の窮地を救いました。

これが日産にとって、第二創業とも言える経営の大転換期であったと言っていいでしょう。しかしその結果として、第二創業の立役者であるゴーン氏はそれまでの穏健経営を大きく転換させ、カリスマトップとして強大な権力を握ることになります。

役員の報酬決定権、人事権を自身に集中させた独裁体制を築いたことで、今度はトップ追随型の新たな悪しき組織風土が醸成され、不祥事連鎖体質への道へと足を踏み入れていったわけなのです。

カリスマ独裁経営からの決別で日産は第三創業期へ

このように昭和以来長年にわたる縦型グループ企業群経営から一転、約20年間のカリスマ独裁経営を経験した日産。今回の役員人事刷新はこれらの過去との決別による、いわば第三創業のスタートです。

すなわち、今般指名委員会の判断で選ばれた内田誠社長兼CEOには、早期の「新生日産」再構築が期待されているわけなのです。まず直近に課された最大の課題は、業績の回復と提携先ルノーとの関係改善です。

内田日産はこの難題を解決に向かわせつつ、昭和の日産はもとよりゴーン日産からの脱却による新たな企業風土の醸成を義務付けられている、と言っていいでしょう。

業績の回復に関しては、まずは落ち込みの激しい海外販売の立て直しが急務であり、商社時代の海外経験および日産に移ってからも中国をはじめ国際畑で手腕を発揮した内田氏の実績は、今回の大抜擢人事の大きな評価点であったことは疑う余地がありません。

加えてビジネス上の人間関係構築に定評があるとされる点から、指名委員会はルノーとの折衝役にも適任という判断に至ったのではないかと思えます。

しかし業績に関して申し上げるなら、国際部門だけでなく国内部門に関しても厳しい状況が続いており、主力モデルのフルモデルチェンジまでの長期化や国内ラインアップの減少が足を引っ張っていると言われています。

現実に私個人も先月新車を購入する際に、複数の大手メーカーの車を比較検討しましたが、日産車は技術偏重での売らんかな精神ばかりが強く、利用者目線の車づくりという視点が弱いと感じられ、真っ先に候補から外れることになり事態の深刻さを実感させられました。

このような国内事業の立て直しに、異業種の商社出身で国際畑の内田氏がどのように挑むのか、不安がないといえば嘘になるでしょう。また、内田氏が日商岩井出身で日産社内では完全外様である点は、新たな風土を醸成する上で大きな不安を抱えていると考えます。

日本航空等の再生を見ても分かるように、組織風土の変革が求められる時、外様新リーダー体制移行の有効性は確実にありますが、改革の成否は新リーダーの経験値を元にしたプロパー社員との融合をいかにうまくすすめるか、という点にもかかってきます。

日本航空の場合には会長役を務めた稲盛和夫氏の豊富な経験値が、この点で大きく貢献したと言えるでしょう。今回はただでさえトップの大幅な若返りにより、副COOに内定した関潤現専務執行役員を除く日産プロパー役員の多くがお役御免となるであろう流れにあり、外様トップとプロパー勢との融和問題が新たな経営課題として俎上に上ってくることは確実です。

大企業マネジメント経験のない若い内田氏がこの問題をクリアしていくのは、業績回復以上の難題であるのかもしれません。

社外取締役が中心となる指名委員会人事の妥当性を占う試金石

この点を気にしてか、内田氏は就任に先立って「新体制での経営は、集団型経営陣による新しい経営スタイルになるだろう」と話しています。

すなわちこれは、内田氏とルノー出身のグプタCOO、日産プロパーの関副COOの三頭体制での組織運営を意味していますが、気になるのは融合重視での三行合併の弊害によりライバルに大きく遅れを取ったみずほ銀行のような例です。

融合を重視するあまり、ルノー、三菱自工を含めた社内外勢力との融合策にも気を奪われ、前向きな戦略進展に支障が出る懸念もまた払拭しきれません。

世界規模での事業戦略遂行に加え、100年に一度と言われる業界大変革「CASE」化への対応策としての同業提携、異業種連携等、歴史的最難局を迎えている自動車業界の舵取りは容易ではありません。

53歳の内田新社長兼CEOは、若さに裏打ちされた行動力と柔軟な発想に大きな期待が寄せられる半面、その若さ故の経験不足、思慮不足が足を引っ張ることにはなりはしないかという不安が内包されていることもまた事実です。

日産指名委員会が選んだ内田新社長兼CEOの経営手腕の如何は、今後日本でも盛んになるであろう社外取締役を中心とした指名委員会人事の妥当性をはかる試金石でもあり、大いに注目が寄せられるところかと思います。