アニメ化中止は「表現の自由」案件ではない - 赤木智弘
※この記事は2018年06月10日にBLOGOSで公開されたものです
5月22日に今年10月からのテレビアニメ化が発表されていた「二度目の人生を異世界で」のアニメ化が突然の中止(*1)、既存の同タイトルの書籍版も、増刷を含む、今後の刊行が未定となった(*2)ことが話題になっている。
最初は原作者によるツイッター上での謝罪(*3)、次に主要声優の一斉降板という形で報じられるという流れ(*4)であったが、これは情報リリースの時間差の問題で、最初に原作者が謝罪のツイートをした時点で、すでにアニメ化自体の中止も決定していたと考えるべきだろう。
刊行の未定について出版社であるホビージャパンの別判断であろうが、いずれにしても一度公表されたアニメ化が突然の中止というのは、穏やかではない自体であることは間違いがない。
ネット上では「中国人が日本のアニメを潰した」という話として騒いでいる人が多いようだ。
それはこの作品の主人公が「15歳で中国に渡り、黒社会で活動。日本の「世界戦争」に従軍し、4年間で4,000人弱を殺害した94歳の老人が異世界に転生する」という設定であるからだという。
この設定に対して「中国の連中が「中国人を虐殺した日本人を主人公にしたアニメだ!」と騒いでいる」として、これにより「日本の作品の表現の自由が脅かされている」と理解し、反発している人が多い印象である。
さて、この件は本当に「日本の作品の表現の自由が、中国人によって脅かされている」という事例なのだろうか?
まず最初にこの話にとって最も重要な点を明示しておく。それは「この話は表現の自由とは一切関係がない」ということだ。
表現の自由とは「国家が国民に対して検閲を課したりすることからの自由」を指すのであり、「他人の意見や他人の助力関係なしに、文章でもアニメでもどんな作品でも作って批判を受けずにお金を稼げること」を指すのではない。
実際の事例で言えば、子供をレイプするエロ漫画を書いていた作者のもとに、埼玉県警がこんにちわとやってきた問題(*5)や、コロコロコミックスに掲載されたギャグ漫画に外務省経由でクレームが入るという問題(*6)があった。これらの問題は、いずれも行政が関与していることから、表現の自由を脅かしかねない問題である。
しかし、少なくとも今回の件で騒いでいたのは中国の一部のSNSであり、中国国家がこの作品に口を出したわけではない。ましてや日本国家がなにか言ってきたわけでもない。国や行政が関わっていないのだから、この件は表現の自由の話ではないのだ。
にもかかわらず「表現の自由が中国人によって脅かされた」と主張する人がいるのは、それが決して表現の自由のための問題認識ではなく、単なる表現の自由を餌にしたイデオロギー闘争というネタに過ぎないからだろう。
では、表現の自由の問題でないとすれば、何の問題か。
お金の問題である。
今回の件で、実際に何がどうしてアニメ化中止という判断になったのかという過程は明らかにされていないが、一方でアニメの「製作委員会」が中止を決めたということだけはハッキリとしている。今回の件は少なくとも、出演予定だった声優個人や制作側の個別の判断でないことは明白である。
アニメにおける「製作委員会方式」とは要は「アニメ制作のためにお金を出し、アニメの利益を得る権利者の集団」のことである。幹事会社が複数の会社に出資を募り、各社調整の中で利益が出れば分配を得る。またBlue-ray化やキャラクターグッズの製造、ネットでの配信、関連書籍の展開などの権利も得る。現在のアニメ制作で必要なお金を集めるために取られる一般的な方式である。
本来であれば、一度出資を決めてアニメ化が公表された以上は、作品が放送される形に持っていくのが当然だ。毎シーズン様々なアニメが放送されては消えていく現状で、思ったほど作品が話題にならず、売れなかったとしても、その程度のリスクは通常は織り込み済みである。
しかし、今回はすでに公表されているアニメ化が中止という事態になった。それは一度決めたことを取り下げるに値する「よほど」のことがあったと考えるべきである。
では、実際には何があったのだろうか?
それは、結局は公式の見解を信用することでしか、判断し得ないだろう。
ネットでは一部の声の大きい人達の影響や、また「大抵のことは中国が悪い」というネット上によくある素朴な認知から「中国人がSNSなどで出演声優などに殺害予告を繰り返した。日本の表現の自由が中国人に踏みにじられた」と主張する人が少なくない。
しかし、出演声優に対する殺害予告が引き金になったという説に関しては、ホビージャパンがハッキリと否定している。(*7)
ネットでは、中国語での主要声優への殺害予告があるとして、それを引き金であると主張しているが、誰かの殺害予告がどこかにあることは、決してその犯罪性を決定する証拠ではない。ましてやそれを「アニメ化が中止された根拠」とみなすなど、論理の飛躍が過ぎる。
いずれにせよ、ネットの情報は憶測を超えるものではなく、公式に関係各所が出しているリリースを元に判断するのが最も妥当であろう。
公式な説明によれば、今回のアニメ化中止の原因は作者の過去のヘイト発言にあるとされている。
確かに書籍が刊行される前の過去の発言ではあるが、今や日本のアニメは日本だけにとどまるものではない。日本のアニメが世界に進出と言えば格好はいいが、実態としてはもはや日本国内での売上げだけでは制作費をペイできないという話でもあるのだろう。当然、中国を含む東アジア圏も商圏として含まれることから、そこで嫌われた作品をアニメ化しても、リスクばかりが大きくビジネスとしての旨味は少ないと判断されたのだろう。
つまりビジネス上の判断として、アニメ化が中止となったと考えるのが一番正解にほど近い、妥当な解釈であると考えられる。 ただ、こうしたビジネス上の判断に反発する人も少なくないだろう。
今後、中国マネーが膨れる中で、日本のマンガやアニメは中国市場を向いて、要は中国の顔色を伺いながら生み出されれるしか無いのかと。
きれいな考え方でいえば「表現がお金で捻じ曲げられてしまう問題」。ネット的な汚い考え方で言えば「金を持った反日中国人が、日本人の愛国的表現を狩ってしまう問題」である。
そしてこれについては「現状はそうなるしかない」と答えるのがまっとうだろう。
まず「各個人の表現の自由」というものは、国や行政が介入しないことによって保証される。個人の日記帳に何を書こうと自由だし、インターネットにどんな文章をアップロードするのも、どんな動画をアップロードするのも自由である。
しかし現実には、インターネットにアップロードした表現物が削除される場合がある。それはそのサービスを提供している業者の規約に触れる場合である。こうした場合の削除は、最初に述べたように国や行政が関与するものではなく、こうした削除もサービス提供者の自由である。
最近、youtubeの規約に反するヘイトスピーチを行っている動画を通報し、チャンネル自体を閉鎖させる祭りがネットの一部で流行っており、これに反発して「表現の自由を守れ!」と主張するものもいるが、そうした主張のほうがむしろサービス提供者の「必要な管理を行う権限」を脅かす、他者の自由を尊重しない主張であると言える。
一方で、サービスを提供するような側であったり、自分自身でメディアを持っていれば、その表現を押し止めるものは少ない。 例えば昨年問題になった、コンビニでの栄養サプリなどで知られるDHCの制作プロダクションであるDHCテレビジョンが製作、提供する「ニュース女子」は、かつて東京MXテレビの放送枠を購入して放送されていいた。
しかし、沖縄の基地問題に関する報道に対して批判が集まり、BPO放送倫理検証委員会により「重大な放送倫理違反があった」と公表され、MXテレビはニュース女子の放送を終了した。
だからといってDHCテレビがニュース女子の放送を諦めたわけではない。DHCテレビはMXテレビ以外の局の放送枠を買い取ったり、またyoutubeなどを通したネット配信をおこなうことで、今もなおニュース女子の放送を継続している。
また、今回の騒動で「過去のヘイトスピーチを問題にするなら、百田尚樹の作品はいいのか!」と言われることも多いが、これについても百田尚樹氏というベストセラー作家と、実績がないとは言わないが、一介のラノベ作家。ヘイトの問題があったとして、百田尚樹氏ならビジネス上の利益を考えて擁護しても、ラノベ作家は擁護しても儲からないから必要はないと考えるのはビジネスである以上、仕方のない考え方だろう。
他にも、宗教団体が自分たちの教義をアニメ映画にして町中の映画館で上映することもあるが、これも結局お金があればこそ実現できるのである。
確かに「表現の自由」は法的に守られている。我々はどのような表現をすることも自由だ。しかしその表現を文章にして売ったり、アニメ化して放送したり、たくさん宣伝をしてベストセラーにしたり、タレントや文化人をたくさん集めて論じさせたりすること、すなわち「表現をリッチにして、多くの人に見せていくこと」に関しては、どうしたって多くのビジネスが関わるのだから「お金の問題」が関係してくるのだ。
すなわち、すべての人に表現の自由は認められるが、その表現を喧伝する能力は、そのへんの個人よりも、権力を持ったお金もちや有名人の方が強い。さらにはそうした個人よりも会社や組織が強く、そして一番強いのは国家であるという、ごくごく平凡な結論に至るしか無いのである。
昨今、表現の自由を考える上で、これを「権力の管理監視からの自由」ではなく「自分たちが好き勝手にできる自由」であると勘違いしている人が増えているのではないか。そんな疑念を覚えるようになった。
実際、今回の「お金の問題」において、表現の自由を主張している人たちの中には、その一方でニュース女子で報じられる内容や、百田氏の言動には喝采を送っている人も多いと感じられる。
しかし、そのいずれもが「お金でメディアに露出すること」という同じラインの話であり、製作委員会が降りてアニメが放送できなくなることも、お金や権力のある誰かが商売上の損得を考えずに特定の思想を流し続けるのも、お金の問題であり、まったく同じ意味合いなのである。片方を批判してもう片方には快哉を叫ぶという考え方は成り立たないのである。
では、お金の問題をも含めて、表現の自由を守るためにはどうしたらいいか。
必要なのは決して「お金を持つ側が、お金を持たない側を守るべきだ」などという道徳論ではない。そのような「権力や富を持つものに対して良心や道徳心を求める考え方」は、長い歴史の中で散々裏切られてきた。権力者は聖人ではなく、一介の人間に過ぎない。人間に権力を与えながら、その権力を行使するなと押し止めるのは、犬に「待て!」を命令するよりも遥かに困難だろう。
結局は現実的に、お金やメディアを持つ側や国家権力そのものによる表現の介入に対して、一定の法的規制を加えることでしか、表現の自由は十分に守れないのである。
しかしながら、それは一方で本来の意味での「権力からの管理監視を禁止する」ための表現の自由を損じ得る考え方でもある。youtubeでヘイト動画が削除されるのは、もちろん欧米諸国での反ヘイトの潮流があってのことではある。また日本でも2016年にヘイトスピーチ解消法が施行され、サービス業者の規約に影響を与えている。そうした意味で、業者の管理の自由自体が、100%教科書通りの表現の自由に即したものではないということも、また事実だ。
私達は現実の中に生きていて、100%の理想は実現しない。表現の自由もそうであり、どこかしらに妥協が必要になる。誰かの表現の自由を守るためには、同時に誰かの表現の自由を制限する必要があるといえる。その調整に絶えず腐心をすることが「表現の自由を守ること」であり、誰のどんな表現でも批判してはならないかのような、安直な表現の自由論は、結果として金を持った権力者や国家権力側の表現のみが表舞台にはびこる結果となるだろう。
*1:TVアニメ「二度目の人生を異世界で」公式サイト(「二度目の人生を異世界で」製作委員会)http://nidomeno-jinsei.com/
*2:HJノベルス『二度目の人生を異世界で』に関しまして(ホビージャパン)http://hobbyjapan.co.jp/book_notices/index.php?id=157
*3:【お詫び】私の過去のいくつかのツイートにつきまして、多くの方に非常に不快な思いをさせてしまう、不適切な表現がありましたことを深くお詫び申し上げます。(まいん Twitter)
*4:アニメ「二度目の人生を異世界で」、主要の声優が一斉に降板 原作者がヘイトスピーチについて謝罪の直後(ねとらぼ)http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1806/06/news076.html
*5:漫画家・クジラックス先生、警察の「申し入れ」報道についてあらためて説明 「前例ができたと思ってほしくない」(ねとらぼ)http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/15/news163.html
*6:小学館 - 「コロコロ」販売中止 外務省の対応に批判も(BLOGOS)http://blogos.com/news/shogakukan/
*7:「二度目の人生を異世界で」出荷停止、出版社は「脅迫などは把握していない」とネットの噂否定(キャリコネニュース BLOGOS)http://blogos.com/article/302695/