【赤木智弘の眼光紙背】冗長性の高い社会を - 赤木智弘
※この記事は2008年02月14日にBLOGOSで公開されたものです
「冗長性」という言葉がある。コンピュータのシステム設計などでよくつかわれる言葉なのだが、簡単にえば「余分なもので、全体のシステムを安定させること」といったところか。
例えば、パソコンを長く使っている人なら一度は経験があると思うが、ある日突然ハードディスクが壊れて、多くのデータを失うことがある。それを防ぐためにハードディスクを2台用意して、両方のディスクに同じデータを常に書き込むことにする。すると、もし片方のハードディスクが突然壊れたとしても、もう片方のディスクにはしっかり情報が残っているというわけだ。
パソコンの動作としては、ハードディスクは1つで十分である。しかし、もしもの時のために「無駄な1台(あるいは数台)」を用意して、突発的な事故によるデータの消失を防ぐ。これが冗長性の高いシステムである。
先週から連続で申し訳ないが、マクドナルド店長による残業代請求の裁判。
店長が月100時間もの残業をしなければならなかったのは、そもそもの仕事量の多さもさることながら、アルバイトが時間どおりに来なかったり、在庫管理上でのイレギュラーなやりとり、そして客へのクレーム対応など、こうした突発的な事例に対して店長が対応しなければならない状況があったのだろうと思われる。最近は24時間営業の店舗が増え、また当然のように本部から「人件費を削減せよ」という命令がくる。そうしたなかで、アルバイトの数を極力減らしたところで、店舗運営そのものに余裕が持てなくなったのであろう。
それはまさに「店舗運営システムの冗長性が低い」ということだ。たかがバイトが一人休んだだけで、店長や周囲のスタッフの負担が増えてしまう。それは休んだバイトの責任ではなく、最初から事故を想定したシステムを構築していない経営陣の責任なのである。
最近の経営陣は人件費を減らすのが健全な経営だと思っているフシがある。実際、正社員をリストラで削減して、それを非正規労働者で置き換えることを、経済アナリストたちが「経営の健全化」であると太鼓判を押し、株価が上がるというのが一種のパターンになっている。
しかし、そうして人的資源を軽視し、目先の利益を追求することが、結局は会社そのものの冗長性を磨滅させてしまう。そしてやがて、ちょっとしたエラーが大事なる。マクドナルドの経営陣は、そのことを肝に命じるべきだ。
最後に。なんでわざわざ「冗長性」なんていう言葉を使ってこの記事を書いたのかといえば、日本マクドナルドの代表取締役会長兼社長兼CEOの原田泳幸は、元(日本)アップルコンピュータの社長兼、米国アップルコンピュータの副社長であった人物である。
Macからマックへ。なんていう冗談のような話だが、そのような立場の人物であれば、冗長性の重要性を身にしみて理解しているはずではないのか?
非正規労働者が多く、正社員が少ない現場は、まさに冗長性の低いコンピュータだ。そんなコンピュータは決して高い評価を得られないし、信頼されることもない。マクドナルドの経営陣……いや、大半の会社の経営陣たちがつくりたいのは、そんな情けない会社なのか?
いや、会社だけじゃない。それで作り出されるのは、国民をまともに養うこともできない、みっともない日本社会そのものなのだ。
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。バックナンバー一覧