※この記事は2008年01月22日にBLOGOSで公開されたものです

 1月17日、内閣情報調査室(内調)は、駐日ロシア大使館員から現金約400万円を受領した職員を懲戒免職処分にした。内調は、日本の最重要インテリジェンス機関である。カウンター・インテリジェンス(防諜)の基本訓練も受けているはずだ。内調は徹底的に真相究明を行い、再発防止につとめてほしい。

 今回の事案で明らかにのは、日本政府がロシア政府からなめられているということだ。

 外交活動やインテリジェンス活動において、情報収集はきわめて重要である。情報収集活動においても、尊重しなくてはならない「ゲームのルール」がある。東西冷戦期において、日本とソ連は敵対する陣営に所属していたので、そこでは相当激しいインテリジェンス戦争が繰り広げられていた。その前提で、日本外務省でロシア語の研修を命じられた外交官も、いきなりモスクワに留学することを避け、アメリカかイギリスの陸軍語学でロシア語の基礎を勉強した。軍学校の授業や情報将校との交遊を通じ、KGB(ソ連国家保安委員会)、GRU(ソ連軍参謀本部諜報総局)のインテリジェンス工作の恐ろしさについて叩き込まれた。筆者も、イギリス留学組である。

 東西冷戦終結後も各国は自国の国益を賭して激しいインテリジェンス戦争を展開している。しかし、米露間でも日
露間でも東西冷戦時代のような工作は行わないということが建前になっている。なぜか。それは、そのような乱暴な工作を行うと、インテリジェンス機関が正規に行っているコリント(コレクティブ・インテリジェンス=協力諜報)に悪影響が及ぶからだ。特に国際テロリズムとの闘いにおいてコリントはますます重要になっている。

 表面には、情報があまり出ていないが、日露間のコリントもかなり進んでいる。SVR(ロシア対外諜報庁)長官も何度か公式に訪日し、日本政府の要人と会見している。それにもかかわらず、東京のロシア大使館員が内調職員にカネを渡して情報を買うような工作を行うということは、「仮にこの工作が露見しても、しばらく頭を低くして、嵐を去るのを待っていれば、日本側はまた以前と同じようにロシア側に協力するだろう」とロシア政府が日本政府をなめているからである。

 なめられる日本側にも問題がある。ヒュミント(ヒューマン・インテリジェンス、人間による情報収集活動)の世界では、少しでも多く相手に貸しをつくろうとする文化がある。そうすることによって、優位性を確保したいからだ。奢られたら奢り返し、贈り物をもらったら贈り返すというのがルールである。相手をこちら側の協力者に獲得しようとする工作ではないコリントの場合でも、会食の際の費用負担は交替である。情報の対価にカネを支払うなどということは絶対にない。恐らく、内調職員はロシア大使館員との接触を新聞記者や学者との意見交換の延長線上で考えていたのだろう。ここに大きな落とし穴があった。仕事をするのに必要かつ十分なカネをもっていない者は、インテリジェンスのプロと接触してはならない。この掟を無視すると、どれだけ危険なことが発生するのかをこの事案は教えている。(2008年1月21日脱稿)


プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
著書に「国家の罠」(新潮社)など。


眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。