【赤木智弘の眼光紙背】第13回:来年こそは、社会責任の年に - 赤木智弘
※この記事は2007年12月27日にBLOGOSで公開されたものです
年末ということで、「今年一年の総括」を書いて欲しいと、担当の方にお願いされた。で、毎年年末に清水寺で発表される「今年の漢字」が「偽」に選ばれたといことなので、この「偽」というキーワードを基に、総括をしていきたい。
「偽」という言葉でもっとも象徴的なのは「食品偽装」であるが、私はいわゆる一連の食品偽装問題自体が「問題の偽装」であると考えている。当コラム第7回でも触れたが、食品偽装の問題は、企業の誠実さの問題ではあっても、それがただちに私たちの健康を脅かすという問題ではない。
しかし、マスコミはそれを大問題のように報じ、さも私たちの健康が、一部の悪質な人間によって損じられようとしているかのように伝えた。
健康という意味では、「メタボリックシンドローム」にしても、ただの中年肥りを言葉だけ変えて、さも健康に関する大問題であるかのように偽装している。これは「成人病」を「生活習慣病」と名前を変えて、それまでは「成人になったら誰もがかかる病気」であったものが、「ずさんな生活習慣による病気」という認識に変化させられたのと全く同じ事例だ。
こうした食の問題や健康問題の大半が、これまでは特になにも言われなかったものが、唐突に問題視され、問題意識が共有され拡大し、ある種の恐慌状態となって語られてしまっている。
また、コメント欄で多くの反応をいただいた、第10回のコラムで触れた「ガソリンの値上げ」にしても、問題の根幹は1つに「自動車の存在を前提とした都市設計」が、ガソリンという前提ひとつに異変があるだけで、簡単に崩壊するという問題である。
また、コラムでは触れなかったもう1つとして、サブプライムローン問題で宙に浮いた金が、原油に流れ込んでいるという、投機家の利益のために、多くの人間の利益が奪われているという問題もある。日本でも一部で「子供に株などの教育を」と、経済人教育をする流れがあるが、そうした経済行動が多大な利益を産む一方で、他者(その多くは経済弱者だ)の利益を大きく損なう可能性についても、ちゃんと教えているのだろうか。
そして、第1回のコラムで扱った年金問題についても、社会保険庁の怠慢や名簿の問題をどうにかすれば、年金は安泰などということはない。
高齢化社会で養うべき人数は多いのに、特殊出生率は下がり続け、若い人の負担が過剰に増えている。しかも、経済構造の変化によって、年金を払う余裕すらない若者が増えているという、日本経済全般がはらむ問題こそが、年金問題の根幹である。
にもかかわらず、多くの問題はその問題が徹底して語られることはなく、なかば居酒屋談義レベルの問題意識が広く共有され、問題の解決に向かうどころか、問題をより複雑にこじらせる方向に動いているという状況を、私はこの1年で数多く感じてきた。
私はこうした問題群はすべて「偽問題」だと考えている。
偽問題の裏には大小さまざまなごまかしが存在するが、もっとも重大なものは「社会責任の放棄」だろう。
国民の健康や都市設計、そして経済問題といった、本来社会全体をもって責任をもつべき問題を、個人、もしくは個別の機関の問題にすげ替え、社会全体での責任を放棄している。
ただし勘違いしないでほしいのは、社会というのは「政府」の意味ではなく、「日本というものを形作る全体」という意味である。もちろん、私たち個々人もそのなかに含まれる。
そうした意味で「社会責任を遂行する」というのは、私たちが身の回りの問題を、他人だけの問題(あいつが悪いのだ!)にすり替えることなく、かつ自分だけの問題(私が我慢すればいい)とすることもなく、すべての問題を私と私以外のすべての問題であると認識し、その解決に向けて、丁寧に読み解いていくことである。
しかし、ここ数年でそのような社会観は消え去り、いずれの問題もが誰かの問題であり、個人に対して「それはお前の問題だ」と、言い放つような問題意識が跋扈してしまっている。今年一年もそうした意識のありようを解消することはできなかった。
来年こそは、そんな状態は変わるのだろうか。
プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。