※この記事は2007年12月20日にBLOGOSで公開されたものです

 人気のインターネット動画サイト「ニコニコ動画」に「【吉野家で】メガ牛丼に対抗して、テラ豚丼をやってみた【フリーダム】」という動画がアップされた。動画には、丼に盛られたご飯の上に、豚肉をこれでもかこれでもかと、うずたかく積み上げる店員の姿が映っていた。積み上げられた肉は、だらしなく垂れ下がっていたり、店員の手にくっついたり、肉鍋の中に落ちたりと、非常に汚らしく扱われていた。
 動画は吉野家の店舗内で撮影されており、客に提供する食べ物を使って悪ふざけをしたとして、動画投稿者を非難するコメントが多数集まった。中には吉野家の本部に問い合わせる人などもいた。
 やがて、吉野家が公式に謝罪の文章を出したことから、この事件がマスコミでも広く報じられることになったというのが、この事件の経緯である。

 別に擁護するつもりはないのだが、単純に言ってしまえば、動画投稿者の悪ふざけが過ぎた。というだけの、正直どうでもいい事件である。
 確かに店員としての心構えに欠けているということはあるが、こうしたことが発覚したとしても、本来の罰としては、店長にこっぴどく叱られて終わりというのが関の山だろう。
 マスコミにしても「食の安全」に関心が集まる中、たまたまこうした事件があったから報じただけのことに過ぎないと思う。

 私が気になるのは、この投稿者が、BGMに往年のアクションゲーム、ロックマン2のワイリーステージの曲を使ったり、内部書類に「ニコニコ店」と書いてみたりなど、動画内に投稿先の「ニコニコ動画」で人気のネタを散りばめており、「私はニコニコ動画が大好きです」と、動画全体でアピールしている部分である。
 しかし、そのようなアピールも虚しく、それこそニコニコ動画の閲覧者や、2ちゃねんらーなどといった、彼と同じようにニコニコ動画を楽しんでいる人達から、多くの批判を受けたというのが、興味深い。

 これだけニコニコ動画に染まっている投稿者が、ニコニコ動画のユーザーから批判される。そこには身内意識が一切感じられない。
 同じような趣味を持っている同士、少々批判も緩くなるのではないかと、私は思うのだけれども、この動画に反応したユーザーは、全く投稿者に対して同情的ではないのだ。
 では、ニコニコユーザーは、裏金や不祥事の耐えない官公庁と違って、身内の悪ふざけも見逃さない道徳的な存在なのだろうか? いや、決してそうではない。
 彼らは、テラ豚丼は見逃さなくても、アニメや楽曲の違法アップロードには、極めて寛容である。こうした態度の違いは、どうして生まれるのだろうか?

 私は、彼らは皆「規範的」なのだと思う。
 そして彼らにとっての規範とは、自分で買ったわけでもない、店舗の食べ物をで悪ふざけを行うことはアウトでも、違法アップロードはセーフというものなのである。規範の明確な根拠はないが、基本的には社会の規範をベースにしながら、動画投稿サイトの特性、すなわち違法アップロードが大半であるという現状を加味した物になっている。テラ豚丼の投稿者は、そのような規範を読み間違えてしまったのだ。

 しかし、こうした規範は、あくまでもニコニコ動画の中だけのものでしかない。
 今回の件は、たまたま世間の規範意識と同調し、マスコミでも報じられることになったが、ニコニコユーザーのなかではOKなことが、現実社会の規範と、これからも親密に繋がっていくかは分からない。特に著作権については、著作権団体がニコニコ動画を初めとする動画投稿サイトを反社会的な存在と捉えていることは間違いない。

 問題はちょっとした規範意識のズレから起きる。
 規範意識は、当人が「それが正しい」と考えているからこそ、そのズレは大きな問題になりがちである。
 規範と規範がかちあってどちらも引かなければ、互いの規範をめぐった争いになる。
 今回は動画投稿者に対する批判は正当化される結果となったが、次に同じようなことがあったときに、それが正当化されるかどうかは分からない。
 そうした事態に陥ったときに、ニコニコ動画のユーザーはどうするのだろう。今回の件で勘違いしなければいいのだが……


プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。