【赤木智弘の眼光紙背】第10回:ガソリン値上げ? いいじゃないか - 赤木智弘
※この記事は2007年12月06日にBLOGOSで公開されたものです
ガソリンの値段が多くの地域でリッター150円を超えている。しかも値上がりは天井知らずのようで、今後は160円はもちろん、最終的に200円を超えるのではないかという予測まであるという。しかし、私個人に限っては、ガソリンの値上げはあまり気にならない。だって、私は自動車を持っていないから。
ちなみに、私が済んでいるのは北関東であり、電車やバスでたいていの場所に移動できる都心とはわけが違う。家族に一台どころか、ひとりに一台、車を持っている事があたり前の地域で、車を所有せず、自転車で移動する生活を送っている。
確かに不便ではあるが、生活上必要なものはスーパーやホームセンター、そして巨大ショッピングモールで手に入るし、そこで手に入らないようなものならば、ネットで注文すればいい。唯一困るのは、押し入れケースなどの、価格は安いが大きなもので、ネットでの注文だと送料がかかるし、自転車では運びづらい。
しかし、なぜみんなは当たり前のように車に乗ろうとするのかが、私にはわからない。
家族で一台所有していた頃ならともかく、ひとりに一台という現状を考えると、人ひとりが移動するために、わざわざ1トンもの金属の固まりを、時速60㎞のスピードで移動させなければならないのか。私としてはバカバカしく感じるし、なによりエネルギーの無駄だ。自動車が環境問題に与えている悪影響は、決して小さくはない。
環境問題はもちろん、安心安全という観点でも、私たちの身の回りの安全を最も危機に陥れているものの1つが車であることは間違いない。
平成18年の交通事故による死者数は6,352人。もちろんすべてが自動車絡みの事故ではないが、そのほとんどに自動車が関わっているのは間違いない。その一方、防犯カメラや地元民による監視、GPS携帯やスクールバス運行など、地域で必死になって予防しようとしている、不審者による通り魔殺人なんてのは、年間の認知件数がほぼ一桁のレアケースでしかない。ならば通り魔防止に関わっているすべての人が、車に乗ることをやめた方が、よほど安心安全な社会づくりに役に立つ。
また、郊外化が地域社会の空洞を生み出すといわれる。しかし、その要因の1つである巨大商業施設の郊外出店は、ひとり一台自動車社会の存在を前提としているのだから、高騰によって自動車に乗らず、地元で買い物をする機会が増えれば、地域も活性化するのではないか。
もちろん、商用車に対するガソリン高騰影響の問題はある。
トラックの燃料が高くなれば、輸送費の高騰は避けられず、我々の手元に届けられるすべての商品に影響があることは間違いない。
ガソリンだけではなく、石油製品全般の高騰による影響も無視できない。とくに本格的な寒さを迎えるであろう季節に、灯油の高騰が家計に与える影響は少なくない。
しかし、自家用車に限っていえば、市街地に住む人間が、近所のコンビニにいくために車を動かすような現状は、決して好ましいとは言えないと、私は考えている。
マスメディアは市民の声を伝えて、「ガソリンの高騰が庶民にあたえる影響は大きい」などと、ガソリン高騰を即、悪い状況であるかのように報じているが、そのような近視眼的な視座でよいのだろうか?
今回の高騰を機会に、自動車社会そのものが包有する諸問題を見つめ、自動車だけに頼らない交通のありようを考えてみることも必要なのではないか。
プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。