【赤木智弘の眼光紙背】第7回:またか…… - 赤木智弘
※この記事は2007年11月15日にBLOGOSで公開されたものです
最近テレビのニュースを見るたびに、耳にしない日はないというぐらいの頻度で「食の安全性の問題」という言葉を聞く。その度に私は「またか……」と思う。とはいっても、「日本の食の安全性はどうなっているのか!」などということを考えているわけではない。私はこうした問題が「食の安全性の問題」という杜撰な言葉で語られることに、「またか……」と落胆するのだ。
「食の安全」という点では、平成日本は少なくとも昭和日本よりも安全性は確保されていると、私は考えている。
かつての食の問題は、実際に体に障害が出たり、死者が出るような壮絶なものであった。
メチル水銀による水質汚染が原因であった水俣病と第2水俣病、硫黄酸化物の大気汚染による四日市ぜんそく。そしてカドミウムによる水質汚染によるイタイイタイ病という、極めて凄惨な公害が頻発していたのが、高度経済成長下の日本である。
そこに至らぬまでも、工業地帯をもつ街では、煙突の煙で空が見えないなんてのは常態化しており、雨が降れば洗濯物が黒く汚れたなんて話を昔話としてよく耳にする。私個人の実感としては、私が小学生の頃、80年前半までは、「光化学スモッグ」の警報が盛んに発報されていたが、最近はすっかり耳にしない。
そのような汚染された自然環境で育まれた農作物には、これまた当たり前のように大量の農薬が使われていたし、加工食品には当然、食品添加物が使われていた。残留農薬については、平成3年までは26農薬にしか定められていなかった残留農薬基準が急速に整備され、平成16年の時点では242農薬に定められるなど、食の安全性を高めるための動きは着実に進んでいる。
かつて、自然環境が破壊された日本で生活し、農薬たっぷりの農作物や食品添加物たっぷりの加工食品を食べてきた人たちが、それから30~50年の時を経て老人となった。ならば彼らの世代全体にハッキリした健康問題があらわれても良さそうなものだが、今の元気な老人たちを見ていると、そのような傾向があるとはとても思えない。
ならば、当時よりも自然環境もよく、基準も厳しい今の食べ物が危険だとは、私にはどうしても考えられないのだ。
確かに、食の問題は、我々の生活と切り離すことができないだけに、クリティカルな問題ではある。
だからこそ、そうした問題には多様な議論が必要であり、それを報道することにマスメディアの存在意義がある。
しかし、「食の安全性の問題」という言葉で括るマスメディアには、そのような姿勢は見られず、ただ「あの店で賞味期限切れの食材が使われた」「あの食品に基準を超える残留農薬があった」などと、いたずらに視聴者を驚かしているだけのように感じられる。また視聴者も、過敏に報道を受け取り過ぎる。
ところで、パッケージングされた商品に記載されている「賞味期限」の意味をご存じだろうか?
あれはあくまでも「表示された保存方法で未開封のまま保存した場合に、おいしく食べられる期限の目安」に過ぎない。保存方法を間違えばもちろんのこと、開封しただけでも賞味期限は意味をなさない。
私は昨日、2ヶ月前ぐらいに開封して冷蔵庫に入れっぱなしになっていた、賞味期限が残り一週間ぐらいのマーガリンを塗って、食パンを食べたが、別に体はなんともない。多分一ヶ月後に同じマーガリンを使っても大丈夫だろう。
普通の家庭でも、かなり前に購入して野菜室に入れっぱなしのしなびたキャベツを使って料理をするようなこともあるだろう。それでも体に悪影響はたぶんない。
私はつまらない報道に過敏にならずに、食べることを素直に楽しみたいと思う。
プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。