※この記事は2007年11月01日にBLOGOSで公開されたものです

 下野新聞が10月15日からの新聞週間にあわせて、「漂うメディア」という特集記事を掲載している。
 論旨としては、通勤途中に朝刊に目を通す人が少なくなり、販売部数も減少傾向。情報は携帯を使ったネットやワンセグ、またはネットカフェなどで手に入れている。そうした状況下で、新聞はいかにネットと向き合うべきかというもの。
 この記事自体にとりたてて特別な主張があるわけではないけれども、私が違和感を感じてしまうのは、団塊世代が退職していく中、通勤途中に新聞を読む人が減るのは、ごく当たり前のことだということが、新聞側に意識されていないのではないかという点だ。
 もしこれが「ハイティーン向けの女性誌」の問題だとすれば、ハイティーン女性の人口が減っていけば、とうぜん部数も落ちるだろうことは容易に想像がつく。その上で、他の同世代向け雑誌のシェアを奪うべく企画を立てるなり、人口の厚い層に向けての記事を増やして、主購買層を変化させるなどが、部数を減らさないための常套手段である。
 ところが、新聞の場合は、自ら団塊やその周辺世代におもねった記事や論旨ばかりを発信しているにもかかわらず、新聞の部数が減っているという話をする時に「どうして若者は新聞を読まないのか」などということを問題にし始める。下手すれば「活字離れが進んでおり、新聞を読めない若者が増えている」などと言い出す。それはハイティーン向け女性誌の記者が「どうして我々の雑誌を中年男性は読まないのか」「中年男性はファッションという文化についていけない」と憤るぐらいに変な話であるのだが、どうもそのことに新聞業界は気づいていないらしい。

 また、私のようなマジョリティーになれないポストバブル世代からすれば、新聞を含むマスメディアは恨みの対象である。
 中高年のリストラを盛んに報じる一方で、若者の就業問題からは目を背け、若い非正規労働層を拡大させた。
 統計上、凶悪犯罪は増えていないにもかかわらず、少年の凶悪犯罪を過剰に問題視し、「心の闇」などとレッテルを張って、「若い世代には人間的欠陥がある」かのような、若者を害悪視して当然の社会風潮を産み出した。
 etc.etc. 個人的にマスメディアを恨む根拠は尽きないし、客観的にも、マスメディアが現在の若者たちの不遇を作り出した要因の1つであることは疑いようがない、と私は考える。
 そして、そんなメディアを若者が好まないのは、当たり前のことである。誰が自分を根拠なく批判するようなメディアに好意を寄せようか。

 まず、新聞社はそのことを自覚した上で、今後はどうしたいのかを考えるべきである。
 団塊におもねる論旨は変えずに、他社の団塊読者を奪うための企画をするのか、それとも今後はこれまで冷遇してきたポストバブル世代を主購買層にするための企画をするのか。
 前者の道をとるなら、団塊世代のリタイアとともに、新聞の存在意義は失われていくだろう。後者であれば、新聞は生き延びることもできるだろうが、これまで団塊におもねった言説を社会に対してたれ流し、ポストバブル世代に不利益を押しつけてきたことを真摯に反省し、ポストバブル世代におもねる言説を新たに産み出すべきである。

 え? 新聞は誰にもおもねらず、公平中立不偏不党であるべきだって?
 この社会、まさにマスメディアが創り出してきたこの社会で、そんな戯れ言が通じるとでも?

下野新聞:漂うメディア 薄れる手触り
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/kikaku/np-week07/np01.html


プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。