【佐藤優の眼光紙背】第1回:ミャンマー情勢に見られる外務省の不作為 - 佐藤優
※この記事は2007年10月02日にBLOGOSで公開されたものです
9月27日、ミャンマーの最大都市(旧首都)ヤンゴンで、日本人映像カメラマンの長井健司氏(50歳)が銃弾に撃たれ死亡した。本件に対する外務省の対応が実に生ぬるい。27日の時点で、外務省は「死因について現地の警察が調査中で、デモ取材中に流れ弾に当たったとの情報についてはまだ確認できていないとしている」(9月28日朝日新聞朝刊)などという寝言を言っていた。テレビ映像を見れば明らかに長井氏は至近距離から撃たれている。同胞の日本人が殺害されたということに対する怒りを外務官僚は感じないのであろうか? 同日夜、木村仁外務副大臣がフラ・ミン駐日ビルマ大使を外務省に呼んだ。外交の世界で、勤務時間終了後に大使を外務省に呼びつけるというのは、相当、重大な事態が発生したときだけだ。それならば、相応のメッセージを相手に伝えなくてはならない。しかし、木村副大臣が伝えた内容は、腰が引けているという以前の、基本的な情報の精査もできていない実に情けないものだった。「木村副大臣は『仮に日本人が死亡したのならば極めて遺憾だ』と述べた。フラ・ミン大使は『残念である』と答えた」(同上)ということであるが、木村副大臣が「仮に」という留保をつけていることから、抗議する時点で長井氏死亡の事実すら外務省が確認できていなかったというていたらく振りが浮かび上がってくる。木村副大臣は外務官僚が作成した書類に基づいて発言したのであるから、このようなレベルの低い書類しか作ることができないアジア大洋州局の外務官僚が第一義的に悪い。外務省には公電(こうでん)至上主義という因習がある。公電とは外務省が公務で使う電報のことだ。外国で事件や事故があったとき、外務省は公電による確認を待って、事実関係の認定を行う。報道には間違いがあるが、大使館の公電は絶対に正しいという外務官僚の唯我独尊がここに現れている。外務本省が、報道やミャンマー大使館と電話で連絡をとれば死亡の事実は直ちに確認できるはずだ。実に弛んでいる。
9月28日、国連本部において高村正彦外務大臣がニャン・ウィン・ミャンマー外相と会談を行った。このとき高村外相は、「これまで日本側より、弾圧手段は控えるべき旨申し入れてきたにもかかわらず、今般、治安当局の実力行使が行われ、邦人1名が死亡する事態に至ったことは極めて遺憾であり、抗議を申し入れたい。また、今後の邦人の安全確保のため適切な対応を取っていただきたい」(外務省公式ホームページ)、「報道映像を見る限り、流れ弾があたったとは考えられず、真相究明を厳しく行って欲しい」(同上)としっかりした発言をしている。なぜ1日前にこの発言を外務省は準備できなかったのか。突発事態で官僚の基礎体力がわかるが、今回のミャンマー情勢に関しては、100点満点で20点くらいであろう。
外交の重要な任務は、海外における邦人保護である。この認識が外務省に弱いからこのような事態が起きるのだ。国会に外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長を参考人招致して、外務省の対応にどのような問題があったかについて徹底的に追及し、外務官僚にもう少し緊張感をもたせなくてはならない。(2007年10月1日脱稿)
プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
著書に「国家の罠」(新潮社)など。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。