外資系CAの華やかな生活から一転、丸の内OLになったら…。32歳女の心の叫び
女にとって、33歳とは……。
32歳までの“20代の延長戦”が終わり、30代という現実に向き合い始める年齢だ。
結婚、キャリア、人間関係―
これは、33歳を意識する女たちが、それぞれの課題に向かって奮闘する2話完結の物語だ。
▶前回：結婚5年、別居を決意した女。誰もが羨むパワーカップルだったのに…
33歳までに天職を見つけたい女・宮原エリナ（31歳）【前編】
― やっと定時だ。今日もさっさと退勤しちゃおっと。
18時きっかりに勤怠システムに退勤登録を済ませ、社内履きにしている黒いナースサンダルからセルジオ ロッシのハイヒールに履き替える。
誰ともなしに「お疲れさまでした」とつぶやいて執務室を出ると、足早にエレベーターに乗り込んだ。
「あ〜、今日も最っ高につまらなかった…」
エントランスホールに着くと少し気が抜けて、やれやれとため息をつく。
私は、1年半ほど前から、丸の内にある大手保険会社の法人営業部で派遣社員として働いている。
仕事ときたら簡単な案件の稟議書の作成に顧客管理システムの更新、あとは電話番と、たまにある来客へのお茶出しなど、つまらないことばかりなのだ。
― つまらないっていうか…。言い方としては『私に合わない』が正しいのかもしれないけど。
昔から、じっと座ってもくもくと作業するのが苦手だ。
やれと言われれば、どうにかやるけれど、できることなら回避したい。それよりも、外に出て人と接する仕事の方が、私の性分にはずっと合っている。
だから、コロナ前まで6年近く続けていたシンガポールでのCAの仕事は、天職だったと思う。
「あの頃に戻れないかなあ…」
大手町駅まで歩き半蔵門線に乗り込み、電車に揺られながら1人つぶやいていた。
今の仕事に満足していないエリナが振り返る、CAとしての日々
語学力を活かしてCAになったけれど
私は2歳から9歳までニューヨークで育った。
日本の弁護士資格を持つ父が、その時期LLMを取得するためにニューヨークの大学院に留学し、修了後、そのまま現地の法律事務所でしばらく仕事をしていたからだ。
両親は教育熱心だったので、私は当時現地校に通いながら、家に帰ると日本の通信教育で勉強し、土曜日は日本人学校の補習校にも通う日々を送っていた。
その他にも、バイオリンやバレエのレッスンにも通っていたので毎日大忙しだった。
今思えば「日本に帰ってから苦労しないように」という親心からくるものだったのだろうが、過酷なスケジュールは、私を疲弊させた。
帰国後、父は九段下に事務所を開業し相変わらず忙しくしていた。
2つ年上の兄は中学から開成に行くほど努力家で真面目なタイプだったが、私は要領は良いが、勉強が嫌いだった。
どうせ中学受験するんだったら、内部進学で大学に行けるところがよかったので、青山学院に入った。
楽しい青春時代を送り、そのまま大学に進む。
そして大学時代に“卒業後は、外資系エアラインのCAになる”と決意を固めた。
飛行機の中でスマートに立ち振る舞うCAの姿に、幼いころから憧れていたからだ。
絶対に合格したかったので、大学とのダブルスクールでエアライン専門学校にも通った。
人より多少派手と言われる顔立ちと、170cm近くある身長。
そして語学力が役立ち、難関と言われるシンガポールの人気エアラインに採用されたときは、本当に嬉しかった。
現地に移り住んだ後はCA業の傍ら、小学校の時から続けてきたダンスに打ち込み、現地のサッカーチームの公式チアリーダーズとしても活動するなど、充実した日々を送っていた。
コロナ前までは……。
コロナの影響で、エアライン各社は軒並み減便せざるを得なくなり、経営状況の厳しさから人員整理が進んだ。
そして、私もレイオフの対象になった。
就航本数が戻れば優先的に再雇用してもらえるこの制度は、完全なリストラよりもはるかにマシだ。
けれど、他に仕事のアテもないのにシンガポールに居続けることはできない。しかたなく東京の実家に戻り、派遣会社に登録してこの仕事を得た、というわけだ。
― 経験もないのに事務職をやらせてもらえてるのは、ありがたいんだけど…。
今どき、中途採用の事務職はすごく人気が高い。
大手企業での条件のいい事務の仕事は、正社員はもちろん、派遣でもすぐに希望者が集まると聞く。
どうやら、私のような元CAやホテルマン、テーマパークのキャストだった人などが、コロナをきっかけに事務職に転向しているようなのだ。
だから、いま私が手にしているこの仕事は、人から見れば喉から手が出るほどほしいものなのだ。
ただ私には向いてない、というだけで…。
ただ…それでも、私にとってこの仕事をする楽しみが1つある。
― あ、植山さんからチャットが来てる…。
なんとなく社用スマホを眺めていると、「お疲れさま。明日、出社するのでランチでもどうですか？」と課長の植山さんからチャットが入っていた。
出社頻度が比較的高い彼は、よくランチに誘ってくれる。
大学時代までバスケットボールを続けていたという彼は身長が185cmあり、体つきもがっしりと引き締まっている。
幼少期をニューヨークで過ごした帰国子女で、一時期シンガポールにも駐在していたらしい。30代後半だが独身との噂で、ひそかに狙っている女性は多いと聞く。
そんな植山さんから時々食事に誘われることに、少しだけ優越感を感じている。
― 彼と結婚したら、“植山エリナ”か…悪くないかも♡
つまらない日常生活の中で、唯一の癒し。
彼との関係の発展をこっそりと妄想する時間が、最近は増えていた。
植山に誘われ、いつものようにランチに行くエリナだが…
“植山エリナ”になるはずが
植山さんと『ウルフギャング・ステーキハウス 丸の内店』を訪れている。
「今日はね、新年度が始まったので。“今年度もよろしくランチ”ということで、好きなもの頼んでね」
爽やかに微笑む植山さん。
春の陽ざしも相まって、その笑顔はいっそう素敵に見え、私は思わずぼうっと見とれてしまう。
― 今年度どころか、一生涯よろしくお願いしたいくらいなんですけど…。
ときめきに高鳴る胸をなんとか落ち着かせようとメニューを広げ、熟成チョップドステーキを注文する。植山さんも同じものを頼んでいた。
植山さんと過ごす時間は、いつも楽しい。
彼はテンポよく話すだけでなく、こちらの話をうまく引き出してくれるので「ずっと話していたい」と思ってしまう。
― でも、今までなんとなく、恋愛の話だけは避けてきたんだよね…。
お互いにニューヨークの帰国子女かつ、シンガポールで働いた経験があるということで距離が縮まったので、日ごろはそんな話をすることが多かい。
仕事の上では上司と部下、しかも私は派遣社員ということで、踏み込んだ話はしてこなかったのだ。
けれど…この関係から一歩進めたいと思うなら、まずは彼に恋人がいるかどうかをたしかめなければならない。
「そういえば…植山さんって、お付き合いされてる方とかいるんですか？」
ごく自然に、を装い私は彼に尋ねた。
自然さを意識するあまり、彼と目は合わせずに皿に視線を落とし、ステーキを切るのに集中するふりまでしてみた。
でも…同じようにステーキを切りながら、彼はさらりと答えたのだ。
「うん、いるよ。来月入籍する予定」
「え…来月！？それは、おめでとうございます！」
無情な回答に、カトラリーを取り落としそうになる。
慌てて気を取り直し、あくまでも「 “来月”入籍することに驚いている」風を装って、「もうすぐですね！素敵！」なんて声を上げて見せた。彼は照れくさそうに「ありがとう」とはにかむ。
― うん。そりゃ、彼女いるよね。こんな素敵な人なんだもの…。
彼に気づかれないように、私はこっそりと肩を落とした。
父からの宣告
プチ失恋に落ち込みつつ、午後の仕事をなんとか片づけて麹町の実家に帰り着いた。
実家は、麹町駅近くのタワマンの1室だ。
敷地の一角はもともと祖父が持っていた土地だが、このマンションが開発されるときにデベロッパーに売却して、地権者住戸を手にしたらしい。
祖父が亡くなったあとは父が相続している。
― 今日はお気に入りのバスソルトでも入れて、湯船にゆっくりつかろうかなあ…。
そんなことを考えながら荷物を自室に置いてリビングに足を踏み入れると、父がソファに掛けていたので驚いた。60代の父はこの年齢になってもよく働いていて、普段はもっと遅くに帰宅する。
その父が、神妙な顔で私を見つめている。
「どうしたの、お父さん…かしこまっちゃって」
「エリナ。気を悪くしないで聞いてほしいんだが…」
コホンと咳をする父。キッチンから出てきた母も、硬い表情だ。私は緊張しながら、次の言葉を待った。
「この家を、雄太郎に譲ろうと思うんだ。彼も結婚したことだし…。実は、葉山にマンションを買ったんだ。今後は、事務所に顔を出す頻度は減らして、趣味のヨットや釣りをしながら暮らしたいと思ってね」
雄太郎、というのは私の兄だ。開成から東大に進学し、弁護士になった。
有名なローファームで働いていたが、3年前に父の弁護士事務所に入所。いずれ継ぐ予定だ。
いきなりのことに言葉を失っていると、父は「もちろん、手続きや税金のこともあるし、今すぐというわけじゃないが」と付け加える。しかし、厳しい表情は変わらない。
「だからね、エリナには近い将来…この家を出てほしいんだ。そのためにも、結婚するか、派遣じゃなく安定した仕事に就くことを、真剣に考えてほしいんだよ」
リビングに、ずっしりと重い沈黙が流れる。
安息の地である実家を追われなければならないなんて――想像もしなかった事態に、私は頭が真っ白になっていた。
▶前回：結婚5年、別居を決意した女。誰もが羨むパワーカップルだったのに…
▶Next：4月9日 土曜更新予定
家を出ることを迫られたエリナの選択は…
