“一度”のつながりが“一生”の痛みに。「運命の人」と触れたことで永遠にとらわれた心
思い出すだけで苦しくなるほどの恋愛を経験したことがある方はいらっしゃるでしょうか。
相手に触れたい、と感じながらも、いざ触れると心がヒリヒリと痛んでしまうような。
若い世代の男女は、そんな「痛みを伴う恋愛」に溺れてしまうことも多々あります。あまりに衝撃が強くて「運命の人」だと感じてしまうほどの……。
そんな運命の相手は、一度出会ってしまうと、永遠に振り返りつづけなければならない人になることもあります。
今回ご紹介する『ナラタージュ』は、大学生の主人公と、高校時代の教師との「結ばれない恋」を描いた長編小説です。
■今回の教科書 島本 理生『ナラタージュ』
桜が咲く頃、主人公の大学生・泉のもとに、高校時代に所属していた演劇部の顧問・葉山先生から電話がかかってきます。
夏休み明けの芝居の発表会に、OGである泉ほか数人が客演として駆り出されることになったのです。
そのことで、泉には高校時代の“ある想い出”が蘇ります。
在学時から葉山先生に憧れていた泉は、卒業式の日に葉山先生にキスをされていました。
しかし、その後なにも進展はなく泉は卒業し、これを機に数年ぶりに葉山先生と再会を果たすのです。
後輩の舞台に関わるなかで、泉は葉山先生への想いを再認識し、数年前に聞き出せなかった葉山先生の自分に対する気持ちを確認したいと思うようになります。しかし、彼の気持ちが分からず、苛立ちを覚え始めます。
■一度触れたことでとらわれてしまった心
卒業式の後も、泉は葉山先生と一度「触れた」感触をずっと引きずっています。
在学中想いを寄せていた相手と一瞬だけでもつながり、その上、泉は彼の「秘密」まで共有してしまっていました。
「君を巻き込むべきではなかった」と、当時の自分たちを振り返りながら葉山先生は言います。
しかし、「それならどうして卒業式の日にキスなんてしたんですか」と詰め寄る泉。
卒業式の日からずっと、泉の心は葉山先生のもとに置いてきぼりになっていました。泉は葉山先生から離れられるわけがありません。
泉の気持ちはシンプルです。
葉山先生が好き、だから触れたい。それがたとえ痛く、心に深い傷を追うことになったとしても。
ラストシーンで、泉は葉山先生とベッドを共にします。
しかし、それは決して誰もが思い描いていたハッピーエンドではなく、つらく悲しいつながり。
体はつながることができても、葉山先生は他の人を選び、ふたりは別の道を歩むことになるのです。
もちろん泉はそのことを承知の上で葉山先生とつながります。
現実的には結ばれない相手と体だけでもつながり、触れることで、泉は一生彼のことを忘れないように、自分の内側に刻印を押したのかもしれません。。
■“一瞬”のつながりが“一生”の痛みになる
決して結ばれることのなかった相手でも、ほんの一瞬つながることによって、その想いを一生背負って生きることになります。
もちろんそんなつらい思いをせずに、好きになった相手となんの障害もなく平穏に結ばれるのがいちばん楽でしょう。
泉は結婚を決めた男性と共に散歩をしていても、ふとした瞬間に葉山先生のことを思い出しています。
長い年月を重ねても振り返り、胸の奥がチクリとする。
その痛みを感じることも、人を好きになることの醍醐味なのかもしれません。
(文・イラスト:いしいのりえ)