大手証券会社の給与は高い。本社部門であれば、数年で年収1000万円を超え、生涯賃金は4億円を優に超える。黒田康介さん(当時25歳)は、そんな恵まれた職をわずか3年でなげうって、「焼きそば屋」に転じた。なぜ独立開業を選んだのか。黒田さんの元同僚で、兼業作家の町田哲也さんが若者の生き方を追いかけた――。(第1回)
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■若い同僚から送られてきた突然の退職メール

お世話になった皆さま

私事で大変恐縮ですが、本日を最終出社日として退職することになりました。
入社して以来、○○部、△△部にて多くの経験を積ませていただくことができました。
至らぬ点も多々あったかと存じますが、温かくご指導賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
今後は皆さまとは異なる道を歩むことになりますが、当社で培ったことを活かして精進してまいります。

なぜ退職の挨拶は、みな同じような文面になるのだろうか。

若者は、3年以内で会社を辞めるという。厚生労働省の調査によると、ここ数年の新入社員のうち、就職後3年以内に退職する割合は大卒で30%に達する。毎年100人の新人を採用する会社であれば、毎月のようにこのようなメールが飛び交っていることになる。

普段なら読み飛ばしていくが、この日ぼくが手を止めたのは、送信者に知っている名前があったからだ。

黒田康介(当時25歳)。半年前まで同じ部署で働いており、今でも同じ案件を担当するメンバーの一人だ。先日の社内ミーティングでは、退職するような雰囲気は感じられなかった。

「本当に辞めるの?」

ぼくはすぐに、内線電話を掛けた。

「そうなんです。連絡が遅くなって、申し訳ございません」
「これからどうするんだ?」

何となく推測はついた。若手の転職先としてよくあるのが、外資系証券など同業他社やベンチャー企業だ。最近では自分での設立も含めてベンチャー企業に行く例が増えている印象がある。前者の狙いは多くが年収アップだろう。

しかし黒田から返ってきたのは、まったく予想していない回答だった。

■なぜ「大手証券会社」から「焼きそば屋」なのか

「焼きそば屋をはじめようと思ってます」
「焼きそばって、露店とかで売ってるあの焼きそばか?」
「はい。ぼくが目指すのは、ちょっと違いますけど……」

そういうと黒田は、退職の連絡で転職先の話をすることにためらいがあったのか、説明を止めた。

「俺を満足させられるようなものを作れるんだろうな?」

茶化したいい方をしたのは、驚きを隠したかったからだ。

証券会社の本社部門に入社するのは、決して簡単なことではない。有名大学出身者ばかりの競争を勝ち抜き、年収も実力次第では数年で1000万円を超えるだろう。そんな前途を捨て去ってまで、挑戦すべき仕事とは思えなかった。

「下北沢で店を開くので、ぜひ来てください。味には自信があります。一食700〜800円ではじめようと思ってるんですけど、この値段ではなかなか味わえないクオリティです」

ぼくが関心を持った理由の一つに、下北沢という店の場所があった。家から近いだけでなく、若者の集まる街で、もしかしたら焼きそばという古くて新しいB級グルメには最適の場所かもしれないという考えが生じていた。

しかし何より気になったのは、大手の証券会社を辞めて焼きそば屋を開く理由だった。そんな選択をした同僚が皆無なのは、どう考えてもリスクに見合わないからだ。廃業率が高いうえに、たいして儲かるとも思えない。グルメ愛好家の思いつきに過ぎないのであれば、すぐにでもやめさせたかった。

飲食店ビジネスのむずかしさは、嫌というほどわかっていた。ぼくの父親はパン屋を開業していたが、伸びない売り上げと借り入れの返済にいつも苦労していた。「サラリーマンが一番楽な商売だよ」という口癖は、ぼくが転職や脱サラを考えるときのブレーキになっていた。

黒田を追いかけてみようと思ったのは、目先の収入の良さが自分のキャリアを狭めてしまうことへの不安が、ぼくのなかにもあったからだ。証券ビジネスは面白いが、これが社会人生活のゴールだろうか。黒田と同じように、次に進むべきステップがあったのではないか。

金融機関より焼きそば屋を選ぶ入社3年目の若者の価値基準が、社会人生活20年を超える自分の生き方を見直すきっかけになるかもしれないと思いはじめていた。

■有休消化中に開店準備

ぼくは週末に、さっそく黒田が開店する予定の店舗に向かった。前日に連絡は入れてあった。下北沢の京王線ホームに近い出口から、歩いて10秒もかからない距離だ。コンビニの隣の店舗の二階で、店の前は朝から人通りが多かった。

筆者撮影

ぼくは自転車で近くの酒屋に行くと、開店祝いにウイスキーを買った。下北沢の焼きそば屋にどんなお祝いがふさわしいのか見当もつかなかった。

「ビックリしたよ、いきなりだったから」

ぼくは店に入ると、挨拶をするなり今まで感じていたことを口にした。店はすでに内装が終わり、テーブルや椅子など備品の確保もひと通り完了しているようだった。

「すみません。自分では前から考えていたんですよ」

筆者撮影

黒田は照れ臭そうに笑いながら、テーブルのうえに広げてあるチラシを片づけた。

がっしりした体格の黒田が立ち上がると、175センチの身長より大きく見える。上から下まで黒ずくめの服装に無精ひげを生やした表情は、すでにサラリーマンのものではなかった。正確にはまだ有休消化中のはずだが、翌月からの開店に向けた準備は着々と進んでいた。

チラシは開店案内用だ。店のカラーなのだろう。黒をベースにした紙に「東京焼き麺スタンド」と店名が書かれ、裏面に地図と焼きそばの写真が載っている。ぼくは荷物を置くと、黒田に向き合う形で座った。

■証券マン時代、深夜までカレー作りに没頭

「ずっと焼きそば屋をやりたかったの?」
「いや、最初はカレー屋をやろうとしてたんです。昔からカレーが好きで、週に2回は家で作ってました」
「どんな種類の?」
「欧風カレーです。ドロッとした風味が好きで。でもあれは、手間がかかり過ぎるんです。玉ねぎを大量に炒める必要があるんですけど、一人だとそれだけで2〜3時間かかってしまいます。火力の調整もむずかしいし、個人店レベルでやっていくのは現実的じゃないです」

カレーは人気のある料理だが、作るのに手間がかかるうえに、エスニック、欧風、インドなど種類が細分化されてすでに厳しい競争環境ができあがっているという。競合が少なくて、コスト管理が可能な料理はないか。黒田が焼きそばを選んだのは、相当の戦略を考えた結果だった。

黒田康介が大学を卒業して大手証券会社に進んだのは、2015年のことだった。いつか独立したいと考えており、金融機関ならそのために必要な知識や経験を積めると考えていた。独立資金を貯めるうえで、処遇が魅力だったのも事実だ。

法人向け営業のアシスタントとして、外食や小売り、百貨店などの業界を担当した。学生時代から食べ歩くのが好きな黒田にとって、理想的な職場だった。1年半後にファイナンスの部署に異動して、同じ業界を資金調達の面から見るようになる。

ぼくが黒田にはじめて会ったのは、この頃だった。同じ部署で斜め向かいのデスクに座っており、必死にメモを取りながら先輩の話を聞いている姿を憶えている。ふと気づくと、パソコンをじっと見つめていることがあった。忙しい合い間に、料理のことを考えていたのだろうか。

店を開くことを計画しはじめたのは異動して半年後、2017年4月ごろだった。料理に対する情熱が、ふたたび高まりつつあった。会社から帰って、暇さえあれば深夜までカレー作りに没頭していた。

■焼きそばの「美味しさ」と「作りやすさ」に気づいた瞬間

「焼きそばに出会ったのは、2017年の秋ごろでした。食べ歩きをしていて、たまたま白金高輪にある焼きそば屋を知ったんです」

焼きそばバーとして有名なチェローナだった。カウンターだけの席に鉄板を囲む形で客が座り、目の前で店員が焼きそばを作っていく。黒田がはじめて、焼きそばの持つ美味しさと作りやすさに気づいた瞬間だった。

「ソースさえ作っておけば麺を炒めるだけでよくて、美味しいのに高い専門性が要求されないんです。成功するビジネスの条件を満たしていると思いましたね」

味とオペレーションは、飲食店経営の重要な要素だ。焼きそばでこのふたつの要素をどう高めていくか。黒田は厨房に入り、店の方針を説明した。

「まず、客ごとに一つひとつ作るのが基本です」

たいていの焼きそば屋では、鉄板で大量の焼きそばを作る。効率はいいが、皿ごとに豚肉やキャベツに偏りができてしまう。なかにはほかの客が来るまで、作るのを待たせる店もあるという。均質の味を迅速に提供することが重要であり、黒田は一つずつ中華鍋で作る方針だといった。

■職人の腕に頼っていては限界がある

黒田がコンロに火を点けると、赤い炎が噴き出し、熱気が空気を歪めた。隣にはどっしりとした中華鍋が掛けられ、調理台には具材を片手で測って鍋に入れられるように秤が置かれている。

筆者撮影

「次に再現性です。誰でも作れるオペレーションにする必要があります」

料理屋である以上、提供する食事には作り手の個性が反映される。秘伝の技や受け継がれる味といったもので、この個性を求めて来店する客が多いのが実態だろう。

黒田はこういった職人の腕に頼っていては、店の展開に限界があるという。誰が作っても同じ味ができるような仕組みにする必要があった。

ラーメンと違って焼きそばにはスープがないため、調理法はそれほど複雑ではない。一連の作業をいかにスムーズに進めるかが勝負だ。

「そういうやり方で、独自性は維持できるの?」
「どの店でも真似できちゃうんじゃないかっていうことですよね? 大丈夫です。この焼きそばをコピーするには、ものすごい手間がかかりますから」

黒田は、自信ありそうにうなずいた。膨大な時間を注ぎ込んで作ったソースや麺の味は、簡単には真似できないという。問題は、それをいかに均質に提供するかにあった。

■具は豚肉とキャベツだけ

店内は、厨房から客席までやや距離を置いたレイアウトになっていた。鍋から油が飛ぶ可能性があるというのは表向きの理由で、実はアルバイトが作っているところをあまり見られたくないという事情もある。マニュアル化を、よく思わない客もいるかもしれないからだ。

「作ってみましょうか?」

言葉で説明するには不十分と感じたのか、黒田はエプロンを手に取った。

「まだ開店時間じゃないけど、いいの?」
「もう仕込みは終わってますから、大丈夫ですよ」

筆者撮影

キャップを後ろ向きにかぶると、黒田は麺を量った。並盛で250グラム、大盛りで330グラム。三河屋製麺という外部の製麺所から取り寄せた麺で、通常の麺の倍ほどの太さがある。

中華鍋が温まってきたところで、豚肉とキャベツを入れて焼いていく。中太麺なので、しっかり押しながら火を通す。ニンジンは入れない。入れてみることも考えたが、味が変わってしまうので頻繁には手を加えたくないという。

仕上げにソースをたっぷりかけると、できあがりだ。目玉焼きは、スチームコンベクションというオーブンを使ってふっくらと焼く。紅しょうがは各テーブルには置かず、好みに応じて皿に添える。

筆者撮影

■日本政策金融公庫から1500万円を借りた

黒田が調理している間、ぼくは店内をあらためて見まわしてみた。10坪ほどの広さで、テーブルが6つある。窓側と壁側がカウンターになっており、全部で25人程度は入れるだろうか。タイル張りの壁におしゃれな雰囲気があった。下北沢という土地柄も意識したのだろう。

2017年末ごろから、黒田は本格的に店舗をさがしはじめた。2018年1月には下北沢にターゲットを絞り、この地域に強い不動産屋を使うことにした。物件が出てきたのは、2月になってからだ。

学生の時から黒田はよく下北沢に遊びに来ており、土地勘がないわけでもなかった。チャレンジする姿が似合うイメージがあり、新しいもの好きというカルチャーもいい。管理費を含めて家賃が23万円というのも、ほかの街に比べて安かった。

内装は出費を減らすために、かなりの作業を黒田が自分で進めた。壁塗りやカウンターの表面を磨くのは、簡単だし愛着が湧く。550万円の見積もりが390万円程度で仕上がり、厨房機器の導入も200万円程度で済んだという。

資金面の手当ては、日本政策金融公庫の創業融資を利用した。設備資金で1000万円(10年満期)、運転資金で500万円(7年満期)。いずれも1.4%という条件は破格の良さだ。個人事業なので、2年間は消費税の支払いが免除される。その後法人化することを検討していた。

■複雑な味のソースに込めたこだわり

「これで、できあがりです」

火を止めると、黒田がテーブルに皿を持ってきた。看板のソース焼きそばだ。特徴は麺だろう。長い時間をかけて開発したというソースがからむと、どんな味になるのだろうか。

「ソースがいい匂いだね」
「無添加なんです」

ぼくが褒めると、黒田がうれしそうに笑った。一口食べると、香ばしいソースの味が口のなかに広がっていく。甘みが強いながらも、麺の存在感に負けないように複雑な後味が残る。

「わかりますか? 唐辛子とニンニクを入れてるんです。単に甘いだけだと、お客さんも飽きちゃいますからね。ダシには鶏ガラを入れて、しょう油とみりんで割ってます。B級の感じを残しながらも、上品さを感じてほしいですからね」
「ずいぶん手をかけてるね」
「ソースが焼きそばの命ですから」

ソースにしょう油を入れたのは、日本食として焼きそばを味わってほしいからだという。

■1000キロカロリーを超える焼きそばは下北沢で受け入れられるのか

問題は麺にあるように感じた。簡単に噛み切れないときがある。麺がからんでしまい、箸で取りづらい。病みつきになってくれればいいが、好き嫌いがわかれるだろう。

またオイリーな味つけも、全体の味を重くしている。食べていると途中からソースより油の味が強くなり、香ばしさが死んでしまっている。味に単調さを感じさせない工夫が必要だった。

おそらくすでに、ぼくが指摘した問題点は認識していたのだろう。テーブルにからしマヨネーズを置き、セットにスープをつけるなどの箸休めも検討されたが、黒田が最終的にこだわったのはB級グルメのジャンク感だった。

黒田の話を聞きながら、ぼくはどこかスッキリしないものを感じていた。一番はこの重みだった。健康志向が強くなっている風潮のなかで、一食1000キロカロリーを超えるような焼きそばを食べたいと思う客が本当にたくさんいるのだろうか。

たしかにほかの店にない味ではあるが、継続して食べさせるには、味だけでない要素が必要な気がしていた。とくに下北沢の消費の中心は、若者と女性だ。彼女たちに訴えかけるようなキーワードが必要だった。

ぼくは考えを整理すべく、リュックサックからノートとペンを取り出した。店に着いてから、まだ上着も脱いでいなかった。(続く)

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町田 哲也(まちだ・てつや)
作家
1973年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手証券会社に勤務する傍ら、小説を執筆する。著書に、天才投資家と金融犯罪捜査官との攻防を描いた『神様との取引』(金融ファクシミリ新聞社)、ノンバンクを舞台に左遷されたキャリアウーマンと本気になれない契約社員の友情を描いた『三週間の休暇』(きんざい)などがある。
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(作家 町田 哲也)