同一労働同一賃金法の施行をきっかけとした正社員の待遇の引き下げが問題となっている。人事ジャーナリストの溝上憲文さんは「一方的に正社員の労働条件を引き下げることは、不利益変更となり認められません。しかし、現在多くの企業で導入済、あるいは導入が検討されているジョブ型雇用では、扶養手当や住宅手当などの属人的な手当を段階的に廃止し、職務内容に応じた基本給一本にすることが一般的。今後、諸手当削減の圧力はますます強まるでしょう」という――。
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■諸手当や福利厚生が消えようとしている

正社員の特権だった扶養手当などの諸手当や福利厚生制度が、消えてなくなろうとしている。

日本郵政グループが正社員の夏期・冬期の有給休暇を減らし、有給の病気休暇の条件を限定するなど待遇を引き下げることを労働組合に提案したことが報じられている。日本郵政だけではない。他の企業でも同じようなことが起こっている。

そのきっかけとなったのが、正社員と非正社員の待遇差の解消を目的とする、いわゆる同一労働同一賃金法(パート・有期雇用労働法)が2020年4月に施行されたこと(中小企業は2021年4月)。もう1つは、2020年10月に、非正社員にも正社員と同じように扶養手当や住宅手当などの諸手当を支給すべきかなどが争われた5つの事件について最高裁が判断を下したことだ。

■最高裁の判決は企業にとって衝撃

具体的には、日本郵便3事件(東京、大阪、佐賀)の判決で最高裁は諸手当や休暇など5項目について契約社員の労働条件が正社員と違うのは「不合理」と判断。契約社員にも扶養手当、年末年始勤務手当(特殊勤務手当)、年始期間の祝日給を支給し、夏期冬期休暇(特別休暇)、有給の病気休暇も非正社員に与えることを命じた。

諸手当に関しては、すでに2018年の最高裁の判決で正社員に支払われている時間外手当、通勤手当、皆勤手当を非正社員に支給することが確定している。こうした最高裁の一連の判決などによって、正社員に支払われている諸手当や休暇、福利厚生などの制度については非正社員にも支給し、制度の利用も認めなければならないことがほぼ確定した。

最高裁の判決は企業にも大きな衝撃を与えた。なぜなら正社員と同じように非正社員に諸手当を支給し、福利厚生も同じにすると人件費の増加が避けられないからだ。中堅小売業の人事部長はこう打ち明ける。

「月給制の正社員と時給制の契約社員の諸手当を同一にする作業は今、検討している最中だ。仮に正社員とまったく同じにすれば人件費が増大し、5年後には経営が持たない事態になりかねない。ただし、正社員の処遇を一方的に切り下げることは許されないし、難しいところだ。正社員と契約社員の双方が納得できる形で検討したいと考えている」

実は冒頭の日本郵政の正社員の休暇を減らす提案も最高裁の判決に従ったものだ。

■趣旨は劣遇されている非正規の処遇を上げることにあるはず

ところで企業にとってやっかいなのは、一方的に正社員の処遇を切り下げると「不利益変更」となる恐れがあることだ。労働契約法9条は労使合意のない不利益変更を禁じている。合意なしで変更するには「労働者の受ける不利益の程度」「労働条件変更の必要性」「労働組合との交渉状況」「変更後の就業規則の周知」などの要件をクリアしないといけない。

そもそも正社員の処遇の切り下げは、正社員と非正社員の均等・均衡待遇を促すパート・有期雇用労働法の立法の趣旨に反する。労働法の専門家は「パート・有期雇用労働法の趣旨は劣遇されている非正規の処遇を上げることであり、正社員の処遇を下げることで非正社員の処遇と合わせたり、賃金原資を一定にして正規と非正規を合わせたりすることは許されない。仮に正社員の処遇を下げる形に就業規則を変更しても変更の合理性が問われ、裁判所はおそらく合理性を欠き、無効と判断する可能性がある」と指摘する。

正社員と非正社員の間に不合理な格差がある場合、企業は非正社員からだけではなく、処遇の切り下げを理由に正社員からも訴えられるリスクを抱えている。実際に2021年1月、済生会山口総合病院の労働組合に加入する正職員が「同意していない就業規則の改定で手当が削られる違法な不利益変更」だとして、削減分の支払いを求めて山口地方裁判所に提訴する事例も発生している。

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■諸手当の削減を後押しするジョブ型雇用

ではどうすれば正社員の納得を得ながら諸手当を削ることができるのか。実は諸手当の削減を後押ししているのが、現在導入が進みつつあるジョブ型雇用だ。

ジョブ型雇用は職務内容を明確に記したジョブディスクリプション(職務記述書)に基づいて仕事ができることに焦点が当てられがちであるが、その賃金は担当する職務レベルに応じて支払われる「職務給」と呼ばれるものだ。職務給は必要とする職務を担うことができるかどうかでポストに登用する“仕事基準”。人に仕事を当てはめる“人基準”の従来の日本型の人事制度とは異なる。

職務が担えない、必要とされる職務がなくなると降格や減給も発生する。そして仕事基準である以上、年齢や勤続年数などの属人的要素を徹底して排除するのがジョブ型=職務給の前提となる。

■定期昇給、手当を廃止し基本給を一本化

大手企業で最初に仕事基準の完全職務給を導入したのがキヤノンだった。2001年に管理職に導入し、05年に非管理職も含めて一本化した。社員の個々の仕事の職務分析・評価を実施し、職責・職務内容を定義した職務等級を設定し、賃金は等級ごとに決まる。仕事基準である以上、年功的な一律の定期昇給を廃止し、仕事と関係のない家族手当、住宅手当、皆勤手当などの属人手当も廃止し、基本給一本に統一した。

キヤノンに限らずジョブ型導入企業のほとんどが家族手当、住宅手当、皆勤手当などの属人手当を廃止し、基本給一本に統一している。人事担当者の中には「そもそも、業務の内容や成果と無関係に従業員に手当などの金銭が支払われていること自体がおかしい。今後、ジョブ型雇用の考え方が広まれば、扶養手当のような従業員の属性に対しての金銭支給はなくなっていくだろう」と言う人もいる。

■結婚や子どもがいるかどうかは職務や成果に関係ない

2022年に管理職に続いて一般社員にもジョブ型人事制度の導入を予定している大手製造業の人事担当者もこう語る。

「担当する仕事の大きさで処遇を決めるというのが基本的考え方だ。その中で、本人が自己選択で得た属性によって報酬が上がる、あるいは下がるような手当を設けることがはたして正しいのか。家を買う、配偶者を持つことは自己選択でしかない。職務給を導入するに当たって手当の支給が適さないと判断されたら、導入後に手当の分を基本給に組み入れ、段階的に減額して廃止するということになる」

持ち家があるのか、結婚しているのか、子供がいるのかという本人の属性は、職務や成果とは関係ない。ジョブ型賃金の根幹を言い当てている。

■数年かけて「全廃止」する手法が一般的

ただし、人事制度をジョブ型に変えたからといって、諸手当を一気に廃止するのは「不利益変更」になる。そのため、従来の諸手当を「調整給」として基本給に組み入れ、その上で調整給を毎年少しずつ減らすという経過措置を設け、数年後に全部を廃止するという手法が一般的だ。

ジョブ型導入に関心を持つ企業が増えている。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの「ジョブ型雇用の実態調査」(2021年8月4日〜8月31日)によると、38.3%の企業が一部または全部にジョブ型人事制度を既に導入済と回答。ジョブ型人事制度導入に向けたプロジェクトが稼働中・発足予定の企業は13.3%、情報収集のみの企業が14.1%と関心が高い。一方、自社への導入を検討していない企業が29.7%と3割にすぎない。今後、諸手当削減の圧力はますます強まるだろう。

もともと家族手当や住宅手当などの諸手当は、少ない基本給を補う生活保障給でもあった。しかし今も日本は給与が上がらない状態が長く続き、実質賃金は1997年をピークに低落傾向にあり、97年を100とした2020年の個別賃金指数は95にとどまっている。OECD(経済協力開発機構)諸国の平均賃金調査でも日本は35カ国中22位にまで落ちている。

諸手当があることで高い家賃や子育てにお金がかかる時期の生活をやり繰りしている人は多い。それが剝奪されることで生活基盤が崩れる人は多いだろう。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)
人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)