50代から見直したい人とのつき合い方。無理をやめると人生の質も上がる
年齢を重ねていくとともに人とのつき合い方は変わってくるもの。
50代のブロガー中道あんさんは、ライフステージとともに人とのつき合い方を考えるようになったそう。貴重な時間を考えたときに、どんな人づき合い方をするべきか、中道あんさんにつづっていただきました。
人とのつき合い方によって人生の充実度が変わってくるもの(※写真はイメージです)
年齢を重ねていくごとに、人とのつき合い方に変化が出てきて、考え方も変わっていくもの。今回は、50代の私が今している人とのつき合い方についてご紹介します。
かつて、夫が海外単身赴任中の30代後半。長男・次男は小学生。長女は幼稚園。人生でいちばん人とのつき合いが多く、朝から晩までママ友と遊んでいた時期がありました。娘を園に送った後はママ友とカフェへ。休みの日は一緒にテーマパークや遊園地に出掛けたりしました。誘われたら絶対に断らず、とことん遊んでいました。
ですが、娘が小学生になると一気に面倒くさくなり、その後新しいママ友づくりをやめたのです。学校行事でもぽつんと一人、ということが増えました。その理由は一言で表すと「疲れた」からです。娘が小学校入学で新しい環境になったとき、また一から人間関係を築いていくのかと思うと、心から面倒臭くなりました。「ママ友と一緒にいれば楽しいはずなのに、なんでこんなに疲れるのだろうか?」と不思議に思ってしまったのです。楽しかった幼稚園ママ時代でしたが、やっぱり「周りに合わせていた」部分が大きかったことに気づきました。
そんなこともあって、「ママの顔」より「自分の顔」で生きていくようになってからは、人とのつき合い方が変わりました。そこには、やはり「時間」も関係しています。人生100年時代に突入し、時間はたっぷりあるようですが、本当に自分だけの時間はそう多くはありません。人生のかけがえのない時間を何に使い、どう使うかはとっても重要です。これは50代も終盤になり、より実感するようになりましたが、時間はお金に代えがたいほどの貴重なものだと思っています。時間の使い方と同様に、誰と一緒に時間を過ごすのかで質も変わってきます。
人つき合いをがんばっていた頃は、
・断ったら相手に悪いし…
・みんなが行くと言っているから仕方がない…
・足並み揃えないと空気が悪くなるかも…
などと考えて、気が乗らないのに約束を入れてしまったことは1度や2度ではありません。その度に「なんであんな約束しちゃったんだろう」とだんだん憂鬱な気持ちに。
ある時、「用事があるので」と断ったら気分はスッキリ。しかも相手との関係性にも何の影響もありませんでした。
かねてから、ひとりが好きということもあってか、本質的に「群れたくない」「媚びたくない」という価値観をもっています。
なので、たくさんの友人をつくることよりも、心からつき合いたい人とだけ時間を共有する。相手とはお互いに無理をせず、自分を優先させるつき合い方でいこうと思いました。それができるようになったのは、意識的にそう変えていったこともあるし、年齢を重ねることで、いい意味でわがままになってきたからだと思います。
子育て時代は、子どもに合わせて人づき合いをして、自分の幼なじみなどとは交流はありませんでした。みんな子どもたちが結婚する年頃になって、連絡をとりあったり食事に出かけたりするようになりました。小学生の頃から知っている幼なじみとは、良くも悪くも「ありのままの自分」でいられる唯一の関係だと思います。
ひとり時間も大切にしている私ですが、こんな場面もよくあります。ひとりカフェでお茶をしていると、隣の席から大声で人の悪口が聞こえてきました。女同士のお茶の時間あるあるですが、これが延々と続けられるとせっかくのひとり時間も台なしになってしまいます。
話している本人はうっぷん晴らしができて良いのかもしれませんが、聞いているほうはどうなんでしょうか?「あの人と会うと、帰ってきてからモヤモヤする、何を話していたのかさっぱり記憶に残らない…」なんてことはありませんか? これは自分の「不快感」にフタをしてしまっている、我慢している状態と言えると思います。
自分はいったいどんな人とつき合いたいのか「素の自分」に聞いてみると、おのずとどういう相手と時間を共有したいのかが見えてくると思います。私の場合は、50代だからこそ、自分が成長できる相手とつき合いたいなと思っています。
とっても仲が良かったのに、なんだか最近会話がかみ合わないな。楽しくないな、と感じる時は少し相手と距離を置いてみます。そしてしばらくして、また会ってみても、やっぱりなんだか違うな、という時には、寂しいけれど、この関係性からは卒業の時期なのかもしれないと、終わりを認めます。
もちろん、どちらかに原因などはありませんが、人は日々変わっていくものです。いくら友人として長いつき合いがあっても時とともに波長が合わなくなるということはあります。でもそこで、友人だからと無理をしてしまうと、新しい出会いのチャンスを逃がしてしまうように思います。自分に合った人との出会いは必ずあります。
私は、ひとりは好きだけれど、もちろん人とのつき合いも大切にしています。自分の成長につながるような人との関係性を持てば、人生の質も上がっていきます。それには、今の自分には必要のないつながりを整理していくことです。とはいえ、SNS社会では、すでに卒業した関係の人の情報が否応なしに入ってきたりします。そこで惑わされず、思い出とともに消化していく強さも50代には必要ではないかと思います。
著述家、ブロガー。1963年、大阪府生まれ。26歳で結婚し、2男1女を授かる。家事と育児、お小遣い稼ぎの仕事とママ友ライフを幸せに送るが、やがて子どもの成長とともに自分自身の将来に目を向けるようになり、正社員として働き始める。結婚22年で夫と別居。2019年正社員から「自分らしく生きたい女性のための発信塾」を起業。4歳になるイングリッシュコッカースパニエルと日々の暮らしを楽しんでいる。ブログ「女性の生き方ブログ! 50代を丁寧に生きる、あんさん流
」主宰。著書に『50代、もう一度「ひとり時間」
』(三笠書房)がある
50代のブロガー中道あんさんは、ライフステージとともに人とのつき合い方を考えるようになったそう。貴重な時間を考えたときに、どんな人づき合い方をするべきか、中道あんさんにつづっていただきました。
人とのつき合い方によって人生の充実度が変わってくるもの(※写真はイメージです)
50代からの人づき合い。回りに流されず「わがまま」に人と向き合う
●30代の頃、ふとママ友と遊ぶことに疲れた
かつて、夫が海外単身赴任中の30代後半。長男・次男は小学生。長女は幼稚園。人生でいちばん人とのつき合いが多く、朝から晩までママ友と遊んでいた時期がありました。娘を園に送った後はママ友とカフェへ。休みの日は一緒にテーマパークや遊園地に出掛けたりしました。誘われたら絶対に断らず、とことん遊んでいました。
ですが、娘が小学生になると一気に面倒くさくなり、その後新しいママ友づくりをやめたのです。学校行事でもぽつんと一人、ということが増えました。その理由は一言で表すと「疲れた」からです。娘が小学校入学で新しい環境になったとき、また一から人間関係を築いていくのかと思うと、心から面倒臭くなりました。「ママ友と一緒にいれば楽しいはずなのに、なんでこんなに疲れるのだろうか?」と不思議に思ってしまったのです。楽しかった幼稚園ママ時代でしたが、やっぱり「周りに合わせていた」部分が大きかったことに気づきました。
●使う相手で時間の質が変わる
そんなこともあって、「ママの顔」より「自分の顔」で生きていくようになってからは、人とのつき合い方が変わりました。そこには、やはり「時間」も関係しています。人生100年時代に突入し、時間はたっぷりあるようですが、本当に自分だけの時間はそう多くはありません。人生のかけがえのない時間を何に使い、どう使うかはとっても重要です。これは50代も終盤になり、より実感するようになりましたが、時間はお金に代えがたいほどの貴重なものだと思っています。時間の使い方と同様に、誰と一緒に時間を過ごすのかで質も変わってきます。
●群れない、媚びないという価値観は捨てなくていい
人つき合いをがんばっていた頃は、
・断ったら相手に悪いし…
・みんなが行くと言っているから仕方がない…
・足並み揃えないと空気が悪くなるかも…
などと考えて、気が乗らないのに約束を入れてしまったことは1度や2度ではありません。その度に「なんであんな約束しちゃったんだろう」とだんだん憂鬱な気持ちに。
ある時、「用事があるので」と断ったら気分はスッキリ。しかも相手との関係性にも何の影響もありませんでした。
かねてから、ひとりが好きということもあってか、本質的に「群れたくない」「媚びたくない」という価値観をもっています。
なので、たくさんの友人をつくることよりも、心からつき合いたい人とだけ時間を共有する。相手とはお互いに無理をせず、自分を優先させるつき合い方でいこうと思いました。それができるようになったのは、意識的にそう変えていったこともあるし、年齢を重ねることで、いい意味でわがままになってきたからだと思います。
●ありのままの自分でいられる友人は大切に
子育て時代は、子どもに合わせて人づき合いをして、自分の幼なじみなどとは交流はありませんでした。みんな子どもたちが結婚する年頃になって、連絡をとりあったり食事に出かけたりするようになりました。小学生の頃から知っている幼なじみとは、良くも悪くも「ありのままの自分」でいられる唯一の関係だと思います。
●自分がどんな相手とつき合いたいのか考えてみる
ひとり時間も大切にしている私ですが、こんな場面もよくあります。ひとりカフェでお茶をしていると、隣の席から大声で人の悪口が聞こえてきました。女同士のお茶の時間あるあるですが、これが延々と続けられるとせっかくのひとり時間も台なしになってしまいます。
話している本人はうっぷん晴らしができて良いのかもしれませんが、聞いているほうはどうなんでしょうか?「あの人と会うと、帰ってきてからモヤモヤする、何を話していたのかさっぱり記憶に残らない…」なんてことはありませんか? これは自分の「不快感」にフタをしてしまっている、我慢している状態と言えると思います。
自分はいったいどんな人とつき合いたいのか「素の自分」に聞いてみると、おのずとどういう相手と時間を共有したいのかが見えてくると思います。私の場合は、50代だからこそ、自分が成長できる相手とつき合いたいなと思っています。
●人は日々変わっていくもの。合わないと思ったら卒業
とっても仲が良かったのに、なんだか最近会話がかみ合わないな。楽しくないな、と感じる時は少し相手と距離を置いてみます。そしてしばらくして、また会ってみても、やっぱりなんだか違うな、という時には、寂しいけれど、この関係性からは卒業の時期なのかもしれないと、終わりを認めます。
もちろん、どちらかに原因などはありませんが、人は日々変わっていくものです。いくら友人として長いつき合いがあっても時とともに波長が合わなくなるということはあります。でもそこで、友人だからと無理をしてしまうと、新しい出会いのチャンスを逃がしてしまうように思います。自分に合った人との出会いは必ずあります。
●人とのつき合い方で人生の質も上がる
私は、ひとりは好きだけれど、もちろん人とのつき合いも大切にしています。自分の成長につながるような人との関係性を持てば、人生の質も上がっていきます。それには、今の自分には必要のないつながりを整理していくことです。とはいえ、SNS社会では、すでに卒業した関係の人の情報が否応なしに入ってきたりします。そこで惑わされず、思い出とともに消化していく強さも50代には必要ではないかと思います。
【中道あん】
著述家、ブロガー。1963年、大阪府生まれ。26歳で結婚し、2男1女を授かる。家事と育児、お小遣い稼ぎの仕事とママ友ライフを幸せに送るが、やがて子どもの成長とともに自分自身の将来に目を向けるようになり、正社員として働き始める。結婚22年で夫と別居。2019年正社員から「自分らしく生きたい女性のための発信塾」を起業。4歳になるイングリッシュコッカースパニエルと日々の暮らしを楽しんでいる。ブログ「女性の生き方ブログ! 50代を丁寧に生きる、あんさん流
」主宰。著書に『50代、もう一度「ひとり時間」
』(三笠書房)がある