イギリスで日本式のカレーが人気を博している。イギリス在住ライターの江國まゆさんは「日本食チェーンのワガママでは、約150の店舗で1日1万食以上を売り上げる人気ぶりだ。スーパーマーケットには関連商品も多い。『カツカレー』が日本式カレーの代名詞になっている」という――。
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ワガママのchicken katsu curry。 - 筆者撮影

イギリス人のカレー愛はいつ始まったのか

イギリス人のカレー好きは、まったくもって堂に入ったものだ。イギリスにおけるカレー文化の歴史に始まりがあるとしたら、それは1600年。エリザベス1世が東方貿易の戦略として東インド会社の設立を許可した年だろう。とすると、ざっと420年のお付き合いということになる。

19世紀の本格植民支配に至るまでの350年の歴史を通して、イギリス人たちは一貫してカレー愛を追求してきた。イギリスにおけるインド・カレーの発展について記載している専門ウェブサイトによると、インド駐在イギリス人たちはカレーを楽しみつつも自分たちの舌に合わせるべく、現地料理人に命じて若干マイルドな味へとカレーを西洋化させたようだ。

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イギリスにおけるカレー愛の元となったインド式カレー - 筆者撮影

こういったインド帰りのイギリス人たちが本国にカレー料理を広め、18世紀半ばには各種スパイスをミックスした「カレーパウダー」なるものが早くも市販されるようになり、料理本にもカレーのレシピが登場するようになる。

19世紀に入るとインド料理店が各地にオープン。記録によるとヴィクトリア女王は毎日カレーを食べていたそうだが、王族だけでなく労働者階級の人々もシチューのように食べられる安くておいしいカレーのとりこになっていったのだという。第2次大戦後に南アジアからの移民が増えるとカレーの大衆化はさらに進んだ。

全英挙げてのカレー愛は、ついにイギリス発の黄金料理を生み出すことになる。マイルドなトマトベースのカレーソースと鶏肉を組み合わせた「チキンティッカ・マサラ」だ。1960年代にイギリス国内のレストラン厨房で誕生したと言われる、今や不動の人気を誇る定番料理である。

きっかり20年前、当時の英国外相ロビン・クック氏がチキンティッカ・マサラを指して「真の国民食」と公の場で呼んで話題になった。その背景には、1600年から続く長々とした歴史が横たわっているのだ。

■カツカレー人気の火付け役は、日本食チェーンのワガママ

1960年代から80年代がチキンティッカ・マサラに代表されるインド式カレーの時代だとすると、90年代以降は、さらにバラエティに富んだ海外の食文化がイギリスに到来しはじめた時期でもあり、その中に日本式のカレーもひそかに含まれていた。

もともと日本食はヘルシーなイメージから健康志向の富裕層に人気で、すしや刺身は高級食として、言い換えれば通好みの食分野として認識されていた。いわば「ゲイシャ・フジヤマ」の延長線上にある伝統の日本食である。

それがアニメやゲームなど日本のサブカル文化が注目されはじめると、次第に日本のB級グルメが若い世代を中心にもてはやされるようになる。ヨーロッパ各地で開催される日本のサブカル祭りではフード屋台も一緒に出るので、カジュアル・フードの認知度も共に高まってきたのだ。

しかし最も直接的に日本式カレーの普及に貢献した存在であり、現在のイギリスにおけるカツカレー人気の火付け役と言えば、香港系の事業家が1992年に創業した日本食チェーン、Wagamama(ワガママ)である。

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英国各地に展開するワガママの実店舗。 - 筆者撮影

ワガママはポップで現代的なデザイン・コンセプト、カジュアルなストリートフード風のメニューで若い層に刺さり、すぐさま行列ができる人気者になった。創業当初、メニューにある「ラーメン」という文字に色めき立つ在英邦人は多かったが、残念なことに日本のラーメンへの敬意が感じられないコクなしスープとのびのび麺であることが判明し、日本人にとってワガママは永遠の鬼門となってしまった。これはわれわれにとってはかなりの痛手だった。なぜならこの後、本格ラーメン時代の到来まで20年を待たねばならなかったのだから。

■約150店舗で1日1万食以上を売り上げる

ネーティブの日本人からは毛嫌いされながらも、ワガママはカジュアルな日本食の楽しさを現地の人々に知らしめる役割を着実に担っていった。何よりチキンカツを使った日本式カレー「chicken katsu curry」というメニューを生み出した貢献は大きい。

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ワガママのchicken katsu curry。 - 筆者撮影

チキン・カツカレーは「鶏肉のフライ+ライス+カレーソース」という英国でもおなじみの食材を使った組み合わせであるため、日本食初心者にも安心感をもたらし、素早く受け入れられていった。イギリスに定着しているカレー文化のおかげである。

日本独自のカリカリとしたパン粉を使ったサクサクのチキンカツと、たっぷりのライス、ココナッツミルク入りのマイルドなカレーソース。しかもカツがライスの下に敷かれているというアバンギャルドな盛り付け。ボリュームも含め、その迫力あるおいしさは特に若い男性を中心に人気を博し、同社のナンバーワン・メニューに躍り出た。現在も英国内約150の店舗で1日1万食以上を売り上げる人気アイテムとして君臨している。確実にファンを育てているのだ。

ワガママが創り出したカツカレーファンたちは、他店でもカツカレーがあれば注文するカツカレー愛好家へと育ち、新しいアジア系レストランやカフェに対してもメニューにカツカレーを加えさせるフォースとなった。

ちなみに筆者の独自調査では、創業初期の何年かに渡って、ワガママでは日本の大手食品会社からカレールーを調達していたらしいとの情報がある。それが本当だとすると、ワガママのカツカレー愛好家が好んだのは、まさに日本の味だったことになる。

2003年に創業した日本食ファストフード・チェーン「Wasabi(ワサビ)」でも、チキン・カツカレーは定番ベストセラー。ワガママが30年かけて育んできたカツカレー文化を共に盛り立てる存在だ。現在はたいていのアジア系レストランでカツカレーを扱っているほか、各スーパーの調理済み食品レンジに入っている。

イギリスで「カツカレー」といえばチキンカツ

ところでイギリスでは日本式カツカレーといっても、ワガママの例でお分かりのようにその実態はポークでなくチキンカツである。

これは豚肉を食べないイスラム教徒が多く住んでいること、肉類の中でもヘルシーなイメージがある鶏肉がイギリスではダントツ人気であることなどが理由だと思われ、イギリスで「カツカレー」は「チキン・カツカレー」と同義なのだ。

2019年10月にインディペンデント紙がこちらの記事で「現在のイギリスで異国の味を取り入れた国民食のナンバーワンは、もはやチキンティッカ・マサラではなく、カツカレーだ」と宣言したことで、カツカレーのすさまじい人気ぶりが改めて国民的な共通認識となった(これを書いた記者本人のカツカレー愛もビシバシと伝わってくる)。

つまりイギリス人は、インド圏の味を現地化し、自らチキンティッカ・マサラを生み出したように、またしても他国のカレーを自国風にアレンジし、国民食に育てあげるという偉業を成し遂げたようなのである。

■カツがなくても日本式なら「カツカレー

日本のB級グルメへの知識がさほどないところへ、いきなりのカツカレー現象。きっと多くのイギリス人は「Katsuって何?」と思っていることだろう。しかし正しい「Katsu」の知識を得る機会もないまま漠然と日本式カレーとしてのKatsu Curryという用語が独り歩きし、今ではスーパーマーケットで売られているカツカレー関連商品の一部は、カツがなくても全てKatsu Curryとして一括りにされる傾向になってしまったようだ。

これに対して日本人や日本通から「カツ無しのカツカレーっておかしくない?」という声が上がりはじめたのも、比較的最近のこと。このヘンテコなカツカレー商品についてリポートするため、ハッシュタグ#KatsuCurryPoliceを使ってSNS投稿するカツカレーポリスたちが増えてトレンドになっている。

とはいえ日本でも、海外では通じない鼻つまみな和製英語はたくさん使われていることだろうし、ここは一つ、イギリスで横行するカツ無しのカツカレーくらい許してやってほしいというのが正直なところだ。

その昔、明治時代に日本が英国からカレーライスを輸入した際、インド本国では宗教上の理由でほとんどの人が食べない牛肉を入れて「ビーフカレー」として売り出し定着させてしまった罪も、カツ無しカツカレーを許容することで許されるのではないだろうか(インド圏でもイスラム教徒はビーフを食べるが、筆者が住むロンドンでビーフを使った料理を出すインド料理店は皆無に等しい)。

Katsu Curryは確実に日本式カレーを表す食品用語としてブランド化している。カツがあってもなくても「Katsu Curry=日本式カレー商品」と誰もが自動的に認識する穏やかな世の中になる日も、そう遠くはないはずだ。むしろ日本式カレーがインドやタイのカレーと並び、英国スーパーに参入するチャンスを与えられただけでも素晴らしいことではないだろうか。

■ロックダウンの影響でスーパーのカツカレー商品が豊富に

イギリスにおけるカツカレーの浸透ぶりを実感するには、世の中にどれだけカツカレー商品が出回っているかを見てみるとよい。

子どもたちもカツカレーが大好き。(画像=Annabel Karmel公式ウェブサイトより)

まずスーパーが開発している調理済み食品(レディミール)。カツ付きで電子レンジで温めていただくタイプ。トップスーパーマーケットのほぼ全社が自社または提携先とのコラボで商品を開発している。出回りはじめたのはおそらく10年以内のことだが、現在も各社が新レシピのレディミール開発を続けている。例えば大手スーパーのテスコがYO! Sushiの親会社であるYO!グループと提携して新商品を出し、子ども向け栄養学の専門家アナベル・カーメルによる子ども向けのレディミールが他社から発売されたのは今年になってからだ。

健康的なファストフードを提案するLEONによる国産肉にこだわったレディミール。(画像=LEON提携セインズベリーズの公式ウェブサイトより)
高級スーパーのマークス&スペンサーで販売されている、チキン・カツカレーのレディミール。(画像=マークス&スペンサー提携Ocadoの公式ウェブサイトより)
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高級スーパー、ウェイトローズの総菜コーナーで扱うチキン・カツカレー。 - 筆者撮影
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ウェイトローズの電子レンジで温めるタイプのチキン・カツカレー。 - 筆者撮影
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ワサビは中堅スーパー、セインズベリーズと提携し、このレディミールを開発。 - 筆者撮影

パンデミックによる外食自粛期間を受けて、ワガママでは今年6月になってチキン・カツカレーを含む自社メニューの食品キットをスーパーマーケット向けに卸しはじめ、ファンたちを喜ばせた(利益部分はすべて青少年のメンタルサポートを行うチャリティー団体に寄付される)。ヘルシー・カフェ・チェーンのレオンでも同様にパンデミック以後の売り上げ対策としてカツカレー味の商品を含む食品キットをスーパーに卸しはじめている。

家庭でもワガママの味を楽しめるよう作られた食品キット。(画像=ワガママ提携Ocadoの公式ウェブサイトより)

■マクドナルドや丸亀製麺もカツカレー味を追加

ワガママのキットに付いているのはカツカレー・ペースト、パン粉、サラダ・ドレッシングの3つ。あとはお好きな材料でカツカレーを組み立てるだけ。こういった手作り感を味わいたい人向けには、瓶入りのカツカレー・ソースやペーストも各社が発売している。

ワガママの味を再現するための瓶入りカツカレー・ペースト。(画像=ワガママ提携Ocadoの公式ウェブサイトより)
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高級スーパー、マークス&スペンサーのカツカレー・ペースト。 - 筆者撮影
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セインズベリーズのカツカレー・ソース。 - 筆者撮影

また英国で人気のフード・チェーンが、カツカレー味の限定メニューを加えることも近年のトレンド。例えばプレタ・マンジェのカツカレー・スープ、マクドナルドのカツカレー味ナゲットなど。今年になってロンドン1号店としてヨーロッパに初上陸した丸亀製麺もカツカレー人気を無視できなかったらしく、カツカレーうどんをメニューに取り入れている。

丸亀製麺のロンドン店で扱われているカツカレーうどん。〔画像=丸亀製麺(UK)の公式ウェブサイトより〕

その他、カツカレー風味のカップ麺やスナック菓子など、スーパーマーケットに行けばさまざまな場所でKatsu Curryの文字を見かけるだろう。日本のメーカーも海外向け各種Katsu Curry商品の開発に余念がない。カツカレーはすっかりイギリスで受け入れられ、市民権を得たのである。

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日本食ファストフード・チェーンitsuのカツカレー味ヌードル。スーパーでも取り扱いがある。 - 筆者撮影
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コープのカツカレー味ポテトチップス。各スーパーでは期間限定商品で人気度を試すことが多い。 - 筆者撮影

■80〜90年代に外食のバラエティが広がった

英国スーパーの食品売り場は、各国フードのショーケースだ。エキゾチックな調味料や食材が普通のスーパーで簡単に手に入るだけでなく、調理済み食品にはパスタやカレー、点心はもちろん、スペイン風のタパス、ブラジルのファヒータ、韓国風のバーベキュー、ベトナムのフォー、日本のすしなどなんでもござれ。

街を歩けば同様に、さまざまな国の料理に出会える。マーケット屋台から始まる食の冒険がレストランへと昇華され、人気が出ればスーパーの食材や商品となって一般に広まり循環していく。これは間違いなく移民たちによる活発な食活動のたまものなのである。

半世紀前までイギリスで異国の味と言えば、インド料理、イタリア料理、中国料理くらいしか選択肢がなかった。タイやベトナム、南米、日本や韓国など外食産業に多くのバラエティが添えられるようになったのは、イギリスが移民政策を緩めていた80年代から90年代にかけて。それぞれがこの国で独自の発展を遂げてきた。

例えばタイ発のタイカレー。今では外食・持ち帰りチョイスの定番中の定番となっているが、フィナンシャル・タイムズの記事によると、タイ料理の認知度が上がりはじめたのは1990年代以降だという。パブの厨房でタイ料理を作って出すというビジネス・モデルが増加し、それまで以上にイギリス人がタイ料理に親しむようになったことで急速に定着していった。

■ファストフード・チェーンでは衣なしのカツも

日本食はこれと同じような時期に浸透した歴史があるが、90年代の終わり頃はまだ「Sushi」と「Sashimi」の違いが分からないイギリス人も多かったと記憶している。それがワガママや回転ずしの「YO! Sushi」のおかげで、日本食の楽しさがこの20年の間に徐々に定着してきた。現在のカツカレーやラーメンの浸透も、もとを正せばルーツはそこにある。

カツカレー人気が継続している理由? それはおそらく「揚げ物+ライス+カレーソース」のユニバーサルな魅力に加えて、基本さえ守ればいかなるアレンジも可能であることも挙げられると思う。

デイリーメールの記事によると、今年の秋はファストフード・チェーンのプレタ・マンジェでチキンカツのバゲット・サンドイッチが発売となるらしい。しかしこれは衣なしの「Naked」シリーズ。イギリスではカロリーオフのために揚げ物から衣を取った料理に「Naked」と付けて区別するのだ。

揚げないカツに、カツ無しのカツカレー。カツカレーは故郷を離れ、進化する。もう誰にも止められない。

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江國 まゆ(えくに・まゆ)
あぶそる〜とロンドン編集長
岡山県倉敷市生まれ。ロンドンを拠点に活動するライター、編集者。東京の文芸系出版社を経て、雑誌編集者・ライターに。1998年の渡英後は英系広告代理店にて翻訳ローカライズや日本語コピーライティングを担当。2009年からフリーランス。10年にロングセラー『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。14年9月にイギリス情報ウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン/Absolute London」を創設、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむ。18年、あぶそる〜とロンドンが選ぶ『ロンドンでしたい100のこと〜大好きな街を暮らすように楽しむ旅』(自由国民社)を上梓。
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(あぶそる〜とロンドン編集長 江國 まゆ)