貧困東大生が見た「金持ち東大生」との驚くべき格差とは?(写真:coward_lion/iStock)

近年、日本中で加速しつつある格差。それは東大生にとっても例外ではない。学生時代は「貧困者」だったことを自認する東大出身者が語る「金持ち東大生」との驚くべき格差とは? 東大出身ライターの池田渓氏による『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』より一部抜粋・再構成してお届けする。

多くの人が一カ所に集まると生じるのが格差だ。東大においてもそれは例外ではない。むしろ、東大という特殊な場所だからこそ、目立って生じる格差がある。

まずは、なんといっても能力の差だ。東大には、「本当に頭のいい人間」があちこちにいて、入学直後からそういう人たちを間近で見ることになる。

地元では「神童」扱い。東大に合格した際には、通っていた塾の広告塔としてテレビCMにまで出演した若者――なにを隠そう僕のことだ――も、東大に入ってみれば凡庸な、というか、どちらかというと中の下の能力しか持たない人間であったことを思い知ることになった。

例えば、僕の駒場時代(1、2年生時分)はこんな感じだった。必修科目である数学の担当教官は、ただでさえ難解な講義を、なんということだろう、片言の日本語で行うドイツ人だった。

元から数学が苦手だったこともあり、僕には教官が話していることがサッパリ理解できない。ならばと、推薦図書とされていたバカ高い専門書をバカ真面目に買って読んでみるが、書かれてある数式の上をひたすら目が滑るだけだった。

こうなると、講義中の教官の言葉は、単なるノイズとして右の耳から左の耳へと抜けていく。数学は完全な積み重ねの学問だから、理解が止まった場所から先へは一歩も進めなくなった。

決して埋められない「能力格差」

一方で、高校生のころに数学オリンピックに出場したというクラスメートは、毎回嬉々として講義を受けている。どうやらこの意味不明な講義は彼にとって大変充実した時間であるようだ。しばしば、教官と熱いディスカッションをしている。しかも、日本語が不得手な彼に配慮して英語で!

またあるときはこうだ。みなで同時に学びはじめた中国語の試験が近づいてきたころのことである。こちとら赤点を回避するべく必死になってシケプリ(学生間で共有される試験対策プリント)にかじりついているというのに、クラスメートの何人かはすでに学内にいる中国人留学生、すなわちネーティブとの、日常会話をこなしている。

「ちょっと実践をしてきます」という感じで、試験期間中に中国旅行をしてくる人もいたし、幼少時を華僑(かきょう)が通う海外の小学校ですごしたとかで、もとより中国語がペラペラの人もいた。そういう人たちは、改まっての試験勉強など必要としていない。

東大では一事が万事こんな調子なのだ。

法学部在学中に予備試験を経て法科大学院に行かずに司法試験に合格してしまう人。まだ学部の4年生なのに英語での学会発表を質疑応答まで難なくこなし、発表後の懇親会では世界の研究者たちとこれまた巧みな英語で積極的なコミュニケーションをとっている人。

学生ベンチャーを立ち上げ、東大人脈を最大限に生かして一般的なサラリーマンの生涯年収くらいのお金をサクリと集めてしまう人。

院生の時点で高いインパクトファクター(影響力)の科学雑誌に研究論文を何本も載せる人……東大にはそんな人がゴロゴロいる。

頭の回転も集中力も行動力も、この人たちには絶対にかなわない――そんな絶望的な能力の差を、あらゆる機会に認識させられるわけで、僕のような凡庸な東大生にはけっこうつらいものがあった。僕と同じように、間近にいる本当に優秀な人たちに引け目を感じていた東大生は、少なからずいたはずだ。

貧困東大生が明らかにする「絶望的な格差」

東大内格差はまだある。

東大が発表している2017年の学生生活実態調査では、東大生の家庭の全体の20.8パーセントで「現在の生計を主に支えている者」の年間(2016年1月〜12月)の税込み収入が1050万円を超えている。平均年収額は918万円。

同じ期間について調べた日本の一世帯あたりの平均所得は全世帯で560.2万円(児童あり世帯で739.8万円)なので、東大生には金持ちの家の子が多いことは明らかだ。単純に、家庭が裕福であれば、子どもはより豊かな学びの環境で勉学に励めるからだろう。

ただ、これはあくまで平均値の話だから、東大生には金持ちの子どももいるが、そうでない子どももいる。要は、東大生間の経済格差だ。

「そうでない子ども」はなにを思うのか。ここからは、僕が学生時分に所属していたサークルの先輩・宮須孝介さん(42歳)の言を借りたい。彼は貧困者を自認している。

「あるとき、学食の同じテーブルで同じ格安380円の日替わり定食を食べていたクラスメートたちと家の話になったんだ。そしたら、A君はNECの役員の息子、B君も帝人の役員の息子、Cさんは国立大学の教授夫婦の娘だということが分かった。うちの両親は中卒だし、おやじはずっとまともに働いてなくて家に貯金なんて1円もないから、がくぜんとしたよ。場違いなところにきてしまった。失敗した。そう痛感したね」

宮須さんは長崎県出身。東大を受験したのは、たまたま本屋で目にした『受験は要領―例えば、数学は解かずに解答を暗記せよ』(和田秀樹、ごまブックス)という本に感化されたからだという。

普通、東大を受験しようとする高校生は塾や予備校に通うものだが、宮須さんは独学で東大受験に挑んだ。

家に子どもを予備校に通わせるだけの経済的余裕がなかったからだが、彼はそんな逆境をものともせず、『受験は要領』に書いてあった「英語と数学の二科目を重点的に勉強し、問題集に載っている解法を丸暗記する」という勉強法の実践で、見事、東大文三に現役合格した。

「自分と同じようにコンビニでアルバイトをしていたCさんについては、勝手に苦学生仲間だと思っていたから、とりわけショックが大きかったね。まぁ、勤務時間は朝の2時間だけだったし、彼女にとっては社会勉強だったのかな」

そう、宮須さんがアルバイト先に選んだのはコンビニだった。

コンビニバイトの東大生、ベンツで通う東大生

東大生なら時給の高い教育関係のアルバイトをするのが一般的だが、学習塾の講師や家庭教師といった仕事ではまとまった時間を働くことは難しい。

宮須さんは、家賃3万5000円の格安アパートに住んでいたが、実家からの仕送りが一切ないため自力で月に10万円は稼がねばならず、それができるのが希望すれば何時間でも働ける東大農学部前にあったローソンの店員のアルバイトだったという。

「なにかにつけて『自分は東大生に見られない』と言っていたDさんは、そのとおり、見るからに浮世離れしたお嬢さまだったな。ガリ勉という感じはまったくしなくて、清楚でかわいらしかったけれど、学生の身分でベンツを乗り回していたよ。一方で俺はといえば、車を所有する以前の話で、免許を取りに行く金さえないんだから、生きている世界がちがうと思ったね」

免許を取りに行けないほど困窮していたならば、教科書代にも事欠いたはずだ。学術書のなかには優に数万円するものもあり、僕もその手の本を買う際には何日も悩んだ覚えがある。

「教科書なんてろくに買えないよね。図書館にあるにはあるけど、借りてずっと手元にはおいておけないし、読みたいときにすぐには読めない。勉強をするためのハードルの高さがちがうんだよ。こちらは目先の金に時間をとられてばかりでさ。やる気さえあれば何事だって成せるのかもしれないけど、けっこうなやる気が必要となる時点でハンディがあるよね」

たしかに、実家が太い人は高い学術書を買うためにアルバイトをする必要などないから、学生の本分である勉学に集中しやすいだろう。僕の同級生にも相続した不動産の家賃収入で、なに不自由ない学生生活を送っている人がいたが、高い専門書の数々を定価で思うがままに購入する彼をうらやましく思ったものだ。

卒業が近づくにつれ感じる「格差」

文学部に進学して卒業研究をはじめる時期になると、宮須さんは周囲の人たちとの格差をさらに実感するようになったという。


「自分は学費と生活費を稼ぐためにバイト漬けの日々を送っているところを、まわりは親からの仕送りでなんのちゅうちょもなく、海外旅行、語学留学、ゼミ旅行なんかに行けるんだよね。ゼミ旅行には俺も誘われたんだけど、旅費が払えないから断るしかなかった。まぁ、やっぱり惨めだったよ。同級生たちは卒業論文を書くための実地調査にも頻繁に行っていたけど、俺はバイトに出なくちゃならなくてとても行けなかった。東大の図書館で文献をあさればいいテーマを選んで、それで卒論は書いたけどさ」

世の中のすべてが金ではないが、世の中の非常に多くのことが金で解決するのは事実である。勉強をするための道具も、研究論文を書くために必要なデータも、金を使えばよりいいものを楽に手にいれることができる。