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 新薬の特許が切れた後に作られる後発薬(ジェネリック医薬品)は、研究開発費が抑えられ、価格を安くできるメリットがある。このため、超高齢化社会を乗り切る“切り札”として、国は数量シェアの拡大に力を入れている。この追い風を受け、業績を急拡大させてきた沢井製薬。その4代目の社長となる澤井光郎社長は「安かろう、悪かろう」のイメージが強かった時代に営業の最前線にいた。その時に舐めた辛酸…。だが、後にその経験は飛躍の糧になったという。

「あのCMキャラクター」で知名度アップ

―――沢井製薬と言えば、高橋英樹さんのCMが有名ですね。
 「沢井製薬」と言うだけではまだまだピンときて頂けませんが、「高橋英樹さんがコマーシャルをしている会社」と言えば、みなさん知って頂いている。CMキャラクターになって頂いて、もう20年近くになるでしょうか。

「大企業」から「中小企業」へ転職

―――大阪大学大学院を卒業して、当時の「協和発酵(現・協和キリン)」に勤められましたが、後に沢井製薬に転職されたのは、奥さまが「沢井製薬」の創業家の娘さんだったというのが大きな理由ですか?
 それ以外の理由はありません。「協和発酵」と「沢井製薬」は同じ製薬会社ですが、私が「協和発酵」でやっていたのは、病院担当者や勤務医に新薬を売り込むことでした。一方「沢井製薬」はと言いますと、ほとんど病院では採用されておらず、当時はまだジェネリック医薬品は一部の開業医しか使っていなかった。だから、開業医だけでなく病院でも使ってもらわなければならない、と。「沢井製薬」に入って最初は病院担当になりました。ところが、病院を訪問すると「君たちの来るところじゃない!」と怒鳴られ、名刺は破られる始末...。

「安かろう、悪かろう」のイメージから脱却

―――そんな扱いだったのですか。名刺を破られるって。
 塩をまかれたこともあります。そういう時代でした。なぜかというと、やはりジェネリック医薬品は値段が安いので「安かろう、悪かろう」というイメージがすごく強かった。「ジェネリック医薬品は価格が安いけど、ちゃんと含量通りに入っているの?」と言われたこともあります。なので、まず取り組んだのは、根拠とデータを揃えて、「今まで先生が使っていた新薬と同じ効果を、ジェネリック医薬品でも発揮する」ということを説明すること。そこはしっかり勉強しました。結果、医師からいくら質問があっても「こういう理由です。こういうデータを揃えています」と答えられれば、病院で通用することが分かりました。

売り上げ1800億円超、シェア15%に

―――1989年に入社された当時は、会社の規模も小さかったですね。
 売り上げが100億円を行ったり来たりの状況でした。今は米国企業を買収したこともあって1800億円を超えています。全然違う世界になりました。「沢井製薬」に入社した時、中学の頃からの友人で、世界で活躍する指揮者・大植英次さんから金色の万年筆とボールペンを贈られました。「沢井製薬を金メダルの会社にしろ」というメッセージを添えて。今でも大切な書類はその万年筆でサインをしています。

―――「金メダル」は、もう取れた感じじゃないですか?
 まだまだです、「金メダル」は...。知名度は「金メダル」に近づいたかもしれませんが、ジェネリック医薬品全体の当社のシェアがまだ15%くらいです。「金メダルの会社」と言えるのは、少なくとも20%以上のシェアがないと駄目でしょうね。まだもう少し頑張らないと。

―――ジェネリック医薬品はよく知られるようになりましたが、「沢井色」を出す工夫は?
 同じものではなくて、何か一手間工夫を加えた薬がジェネリック医薬品という考え方があります。なので、我々の新しい技術を使って、水をほとんど飲まなくても薬が飲めるとか、溶けやすい薬を開発するとか、大きな錠剤を小さくするとか...。そういう意味では、使いやすく、飲みやすくを心掛けています。

薬開発で大切なのは「スピード感」

―――特許の切れた薬は他社も作りたがります。どの薬に取り組むか、判断は難しい?  
 駄目だとわかったらすぐ開発を止めないとならないし、大丈夫だとわかったら早くやらないとなりません。いちいち会議にかけて「どうしようか...」とやっているようでは遅れてしまいます。ジェネリック医薬品の発売は100m競走と同じです。「よーい、ドン」の時にスタートラインにいないと、1mでも2mでも後ろからスタートすると絶対に負けます。

―――今は数で言うと何錠ぐらい製造しているのですか?
 300の成分を扱って、品目数でいえば約700。年間で約110億錠を製造しています。ジェネリック医薬品を扱う企業は日本で約200社ありますが、500品目以上を扱う会社は、わずか3社。そのうちの1社が沢井製薬です。

―――「沢井製薬」の強みはどこですか?
 品揃えが豊富だということ。そして、日本で最初にジェネリック医薬品のコマーシャルをしたということ。そう言った意味では、知名度が高いのが強みだと思います。

悩みに悩んだ米国企業の1000億円超買収

―――澤井さんが社長になってから一番の大きな決断は?
 米国のジェネリック医薬品会社「アップシャー・スミス・ラボラトリーズ」の買収につきますね。1000億円を超える投資でした。当時、売上高が1000億円をちょっと超える程度でした。それと同じ額の買い物をするわけです。「大丈夫か?」とよく心配されました。「製薬業界を見ても米国企業を買収して上手く行っている会社は、ほとんど無いよ」と。

―――そんな中で、どう決断を?
 買収するか、しないのか...迷いに迷っている時に、ある社長さんに相談をしました。すると「澤井さんが買収する会社をリスペクトしているのであれば、上手くいくと思う」という話を頂き、「心の底からリスペクトしています」とお話をしたら、「じゃあやってみたら」という言葉を頂戴し、決心しました。

米国10兆円市場に挑む

―――米国企業の買収は2017年でした。効果は?
 医薬品の会社って買収したらすぐ売り上げが上がるわけではありません。一緒に仕事を始めて新しい製品が出てくるのに最短で5年はかかります。2017年5月に買収したので、2022年頃までは新しい商品は出てこないわけです。

―――結果が出始めるのはその後?
 米国は世界の医薬品の40%以上を一国で占めていますので、当然そこには隙もあるし、チャンスもあると思っています。

いつの時代でも「なくてはならない企業」に

―――社長になって今年12年が経ちます。
 企業の最大の使命は、継続して社会に貢献していかなければならないということ。創業から100年だけでなくて、その先100年、200年を迎える時点においても、やはり「幸せとか健康を願う人々に貢献できる、なくてはならない企業でなければならない」と思っています。だから、その基盤の柱の何分の1でもいいから作っておきたいと思っています。

―――澤井社長が考える「リーダー」とは?
 リーダーとは、会社の向かう方向性をしっかり示して、先頭に立って目標達成に取り組む。その結果の全責任を持つというのが、私にとってのリーダーだと思います。

■澤井光郎社長 
1956年、大阪市生まれ。大阪大学ではゴルフ部に所属。大阪大学大学院基礎工学研究科卒業。1982年、協和発酵(現・協和キリン)入社。1989年、沢井製薬に入社。2008年、社長に就任。

■沢井製薬
1929年、大阪市旭区に「澤井薬局」を創業。1948年、沢井製薬を設立。ジェネリック医薬品業界首位。グループ売上高は1843億円、グループ従業員は3131人。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時15分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:15放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
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