3代目「フィット」は2013年9月に登場した(写真:ホンダ

2019年の第46回東京モーターショーの会場で初公開されたホンダの次期「フィット」が、2月14日に発売される。それを前に現行モデルとなる3代目フィットがどのようなクルマであったか、改めてその価値を振り返ってみたい。

日本自動車販売協会連合会(自販連)の乗用車ブランド通称名別順位の2019年における実績を振り返ると、現行フィットは東京モーターショーで次期フィットが公開される直前の9月まで、同社のコンパクトミニバンである「フリード」とともに、ホンダ車の販売を牽引していた。


東洋経済オンライン「自動車最前線」は、自動車にまつわるホットなニュースをタイムリーに配信! 記事一覧はこちら

昨今の軽自動車を含めたハイトワゴン人気によって、フリードが全体的にやや上回る傾向はあるものの、フィットは4月、5月、6月、8月に対前年比で100%超えの販売台数を達成している。

12月になると31位となって販売台数も1750台まで大きく落としたが、1年をまとめた年間販売実績は、7万4410台であり、対前年比82%、ベスト50で12位という成績であった。

2013年に発売されてから6年という歳月を締めくくるうえで、対前年比82%の数字は、現行フィットの魅力がモデル末期に至ってもなお大きかったことを示しているのではないだろうか。

「センタータンク」方式で価値を創造した初代

初代フィットは、ホンダの開発を担う本田技術研究所の社長を昨年まで務めた松本宜之氏が開発責任者となり、2001年に誕生した。


2001年に登場した初代「フィット」(写真:ホンダ

それまで、ホンダの小型2ボックスカー(トランク部分が出っ張っていないハッチバック車)であった「ロゴ」から大転換し、前席下に燃料タンクを配置する「センタータンク」方式のプラットフォームを新開発するなど、外観の造形を含め斬新な魅力を生み出して登場した。

センタータンクプラットフォームの骨格構造により、4ドアセダンのように荷室部分が後ろへ出っ張らない2ボックスの車体形状でありながら、限られる荷室容積を、床下へ増やす手法で積載性を高めていたのが特長だ。

また室内では、後席の座面を跳ね上げるチップアップ機構を取り入れることにより、客室後席の床に背の高い荷物を載せられるようにしていた。

これは例えば、フランスの都市部のように互いの前後バンパーをぶつけるようにして路上駐車する状況でも、後ろのドアを開ければ大きな荷物を出し入れできる新たな利便性を生み、好評を呼んだ。

もし、フィットがセンタータンクプラットフォームを採用していなかったら、競合他車と同じように後席下に燃料タンクを配置することになり、後席座面のチップアップ機構は不可能になる。

また、通常どおり排気の消音器(マフラー)を荷室下へ配置していたら、床下への荷室容量の増大も難しい。センタータンクプラットフォームという独創が、唯一無二の魅力を生み出す源泉であった。

加えて初代フィットは、大きなヘッドライトの造形と、小さなラジエーターグリルによる愛嬌のある外観や、簡素に使い勝手をまとめた室内などにより、それまでにない小型2ボックスカーの存在感を明らかにし、そこに消費者が飛びついた。

唯一、ダッシュボードの造形によりフロントウィンドウに影が映りこむ弊害があったが、それさえも、ダッシュボードに反射を抑える布などを敷くといった流行を生み、消費者はそれ以上の商品性に魅了されたのであった。

ホンダらしい方式のハイブリッド

そして、「2001-2002年日本カー・オブ・ザ・イヤー」のほか、「RJCカー・オブ・ザ・イヤー」、さらには「グッドデザイン賞」を受賞し、2002年には33年間にわたって国内で販売台数1位を堅持してきたトヨタ「カローラ」を上回り、首位を奪取したのである。

フォルクスワーゲン「ゴルフ」が、1974年に誕生して以来「世界の小型車の規範」と称されたように、ゴルフより一回り小さなフィットは、誕生して間もなくコンパクト2ボックスカーとしてのブランドを確立したということができるだろう。

初代の成功を受け、2007年にフルモデルチェンジをした2代目フィットは、キープコンセプトの言葉がまさに当てはまる姿で現れた。


2007年に2代目が登場。写真は2010年に追加されたハイブリッドモデル(写真:ホンダ

軽自動車の「N‐BOX」が、初代のキープコンセプトで軽自動車販売ナンバー1の実績を継続しているように、初代の成功が2代目フィットを牽引したといえる。2代目は全体的にそつのない仕上がりで、洗練されたフィットという印象で、より多くの人が違和感なく使えるクルマとなっていた。2010年には、はじめてハイブリッド車も追加となった。

2代目フィットで初登場したハイブリッド車は、1999年の初代「インサイト」でホンダが開発した、エンジンを主体とするIMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)と呼ばれる電動化の手法による。モーターのみでのいわゆるEV走行はしない。2輪、4輪、汎用を含め世界最大のエンジンメーカーであるホンダらしい方式であった。

一方、世の中では、2009年に三菱自動車が軽自動車の電気自動車「i‐MiEV」を法人向けに発売を開始し、翌2010年には個人向け販売もスタート。同年には日産「リーフ」も発売されるなど、EV導入の動きが急速に高まっていった。

それに対し、ホンダの主力車種といえるフィットがモーター走行をしないエンジン主体のハイブリッドしか持たないことに、よりモーターに重きを置いた電動化対応への遅れを覚えさせた。

ホンダのブランドメッセージは「パワー・オブ・ドリームズ」だが、エンジン・オブ・ドリームズではない。

現行モデルとなる3代目へ移行したのは、2013年である。ここでホンダは、ハイブリッド車の拡充を図ってきた。

リコールが多発した3代目

フィットのような小型車へは、モーター1個を使う「i‐DCD(インテリジェント・デュアル・クラッチ・ドライブ)」方式を開発し、「アコード」のような中型車種へはモーター2個を使う「i‐MMD(インテリジェント・マルチ・モード・ドライブ)」、そして「レジェンド」や「NSX」など、上級車種やスポーツカーのような高性能車種に向けてモーター3個を使う「SH‐AWD(スーパー・ハンドリング・オール・ホイール・ドライブ)」を開発したのである。


7速DCTを採用した「i‐DCD」は、走りの評価こそ高かったが……(写真:ホンダ

3代目フィットに搭載されたi‐DCDは、ツインクラッチを用いた7段の変速機に円盤型の扁平モーターを組み込み、これをエンジンと合体させる。変速機の奇数段のギアが選択されているときに、デュアルクラッチを切り離すことでモーター走行が行われ、偶数段を選びクラッチをつなぐとハイブリッド走行になる。

そして高速巡行では高いギアの段が選ばれ、エンジンのみを低回転で使って燃費を稼ぐ。減速の際には、奇数段の3速を介して回生し、リチウムイオンバッテリーに充電する。

機能を整理すると、以前のIMAに比べて多くのシーンでモーター走行が可能となり、7段の変速機を利用することでエンジンもより効率のよい(燃費がよい)運転状況を選んで働かせることができる、というわけだ。

ところが、上記のシステム解説からも想像できるかもしれないが、制御が複雑となってしまった。それだけが原因ではないが、結果的に7回ものリコールにつながってしまうのである。

そして今後ホンダのハイブリッドシステムは、2個のモーターを使うi‐MMDが主力となり、次期フィットもそうなることが発表されている。

3代目フィットは、2代目のキープコンセプトをさらに前進させ、クルマとしての上質さをいっそう高め、ハイブリッド方式にホンダらしい独創技術を持ち込んで競合他車と差別化を図ることで、一時はトヨタ「アクア」の燃費性能を超える環境性能を実現した。


2017年のマイナーチェンジでは上質感に磨きがかけられた(写真:ホンダ

だが、7代目社長となる伊東孝紳氏の任期と重なり、企業規模の拡大路線を歩むなかで、商品としての完成度を発売当初から達成しきれなかった無念さがある。

ホンダの研究所では、商品化へ向けた技術開発の過程で、役員などによる評価会がたびたび実施され、厳しく内容が検討されたうえで次へ進む許可が得られる伝統がある。だが、本社の「早く、安く、低炭素でお届けする」との号令に、抗しきれなかったのかもしれない。

原点回帰の思想で4代目はどうなる?

たびたびのリコールは看過できないものの、リコールにより熟成を高めたモデル終盤は、ホンダ車の中で選ばれるべき適正価格と良品の調和がとれた商品に仕上がったと言えるだろう。モデル末期に及んで、なお対前年比82%にもなる販売台数が、それを明らかにしている。

市民のためのクルマとして誕生した「シビック」が、欧米を主体とした商品性を求めた結果、上級車種の位置づけといえる大きさになった今日、フィットこそがかつてのシビックに代わるホンダの顔となるクルマといえるだろう。

そして3代目フィットは、キープコンセプトによる進化から脱皮する教訓をもたらしたのではないか。市民のためのという原点回帰の思想と、現代における本質的価値を目指した新型フィットが、4代目としていよいよ登場するのである。