左から山田さん、森崎さん、磯貝さん

 現在、開催中の全国高校サッカー選手権。98回の歴史を数える同大会は、Jリーグ誕生以前から冬の風物詩として長く親しまれ、数多くの名勝負やスターを生み出してきた。

 今回、いずれも名門校のエースとして活躍し、その後、Jリーグ入りも果たした元スター選手3人、礒貝洋光さん(1988年帝京高卒)・ 山田隆裕さん(1991年清水商高卒)・ 森崎嘉之さん(1995年市立船橋高卒)が、当時の裏話や近況を語った。

――礒貝さんは、高1と高3でベスト8。山田さんは1年生で優勝し、決勝戦で決勝ゴールも決めた。森崎さんは3年生で優勝し、8ゴールで大会得点王に。しかも、帝京との決勝戦でハットトリックを決める活躍でしたね。

山田「以前、テレビで天才アスリートたちを紹介する番組があったけど、『天才』なんて、そんなにいない。

 だけど、2人は本物の天才。とくに礒貝さんは、1年生で帝京の10番を背負ってたしね。うまかったし、色も少し黒くて、最初は留学生かと思ったぐらい(笑)」

礒貝「昔は外国人みたいと言われたからね(笑)」

森崎「僕は中学のころに山田さんに憧れていて、真似してアシックスのスパイク『インジェクター』のイエローラインを履いていました。

 山田さんが3年生だったときの清水商のスタメン全員言えますよ(笑)。名波浩さん(前ジュビロ磐田監督)、大岩剛さん(前鹿島アントラーズ監督)、望月重良さん(SC相模原代表)……」

山田「気持ち悪い(笑)」

礒貝「俺にとっては、選手権大会なんてどうでもよかった。夏の国体なら、勝ち上がれば期末テストが免除されたけど、正月はもともと冬休みだから、勝っても何もない。だから、夏の国体のほうがモチベーションは高かった(笑)」

山田「礒貝さんのときのメンバーもすごくて、同期に森山泰行さん(元名古屋グランパスなど)と、本田泰人さん(元鹿島アントラーズなど)がいた。古沼貞雄監督は、礒貝さんたちが入学してすぐに『優勝を確信した』って言ってたんですよね」

礒貝「確信しただけで終わっちゃったけどね(笑)」

山田「僕は1年のときに、市立船橋との決勝戦でゴールを決めて、その後、Jリーグで31歳までやったけど、若いうちに運を全部使っちゃったんです。

 決勝ゴールはコーナーキックからだったんですが、(右側頭部を指しながら)なんかこのへんに当たったのがちょうどいいところに飛んで入っちゃって(笑)」

礒貝「俺なんて最後のPK戦(対東海大一戦)は、中途半端なキックでGKにキャッチされたからね。普通、PKはキャッチされないでしょ(笑)」

森崎「僕は優勝したけど、決勝でのハットトリックもたまたま。『市船の練習は厳しい』といわれていたんですが、適度に手を抜いてたから、キツいと思ったこともなかった。

 だから2人と違って、Jリーグは入っただけになってしまった。ジェフ市原で2年やって、カップ戦で1試合、4分しか出てないですからね(苦笑)」

山田「僕が高校生のころは、まだJリーグができる前で、冬の選手権で活躍すればスターになれた。だから、モテたい一心で頑張った(笑)」

森崎「活躍すると、モテましたね。優勝した翌日、普通に登校したんですが、ファンが500人くらい来てて、帰宅しても家の前に50人くらいいたんです。こっそり窓からかわいいコを探していました(笑)」

山田「いまはプロができて、いい選手は(高校のサッカー部ではなく)Jリーグの下部組織のユースチームに入るなど、選手権のあり方が変わってきていることは、少し寂しい気がします。清水商も学校再編で、名前がなくなっちゃいましたからね」

スクールで指導をおこなう森崎さん

――礒貝さんと山田さんは、Jリーグで活躍し、日本代表でもプレーしました。山田さんは1993年、アメリカW杯最終予選(ドーハの悲劇)のメンバーに最年少の20歳で選ばれながら、なぜか辞退しました。

山田「だって、選ばれても試合でまったく使われなかったですから。だったら、行く意味ないじゃないですか。当時は、ラモス(瑠偉)さんやカズ(三浦知良)さんもいて、僕が行っても雑用係みたいな扱いですよ。

 年俸の査定でも、マリノスでは代表に招集されても、まったく評価されなかったから、行きたくなかった」

礒貝「俺も大学生のころに、『キリンカップ(1991年)』の優勝メンバーに入っていたのに、学生だからという理由で、勝利給とかいっさいもらえなかった。今からでも、もらえないかな(笑)」

森崎「でも、先輩にこんなこと言うと申し訳ないですが、礒貝さんって、現役のころスカしてましたよね(笑)? ゴール後のパフォーマンスも、ほとんど記憶にない」

磯貝「だって、動いたらしんどいでしょ(笑)。カズさんなんて走り回っていたけど、走るのめんどくさいし。小6のとき、帝京の古沼監督が『うちに来い』って、わざわざ熊本まで誘いに来てくれて。それで勘違いしちゃってた(苦笑)」

森崎「僕も中3のとき、帝京と市船のどっちに行くか迷っていたときに、古沼監督が松阪牛2kgを持って会いに来てくれました。結局、市船に行ったのですが、松阪牛は美味しくいただきました(笑)」

礒貝「俺は酒もタバコもまったくやらないんだけど、なんでやらなかったのかと、いま思えば後悔してる。やればもっと肺が鍛えられて走れたかも。マラドーナなんて、クスリやってたわけでしょ(笑)」

山田「僕はスピードがあったからか、国見高校の小嶺忠敏監督(現長崎総合科学大学附高監督)に、ドーピングを疑われたことがありました(笑)。昔はJリーガーも、みんなタバコ吸っていた。『タバコを吸って走れなくなる』なんて嘘」

森崎「やっぱり2人は天才。スケールが違います」

――現役引退後の近況を教えてください。

森崎「礒貝さんは少し前に、大工や塗装工の見習いをやっている姿がテレビに流れていた。自宅も決まってないみたいに紹介されていましたが、あれはネタですか?」

磯貝「自宅は決まってないよ。車で寝ているほうが楽だもん(笑)」

森崎「大工と塗装工の仕事も?」

礒貝「本当。大阪にいるときは、夕方から少年サッカーの練習とか見ているけど、午前中は暇だしね。屋根に上がれって言われたら上がってる。

 一時期、130kgまでいった体重は90kgくらいまで落としたけど、安い瓦に乗って割れないか心配(笑)。俺、40kgも痩せたんだから、ダイエット本を出せないかな」

森崎「僕は千葉県八千代市で、小中学生を対象にしたサッカースクールを経営しています。山田さんは、引退直後にメロンパンの移動販売をやっていたのが話題になったり、スポーツバーで働いているのがテレビで紹介されていましたけど」

山田「いまは不定期だけど、横浜で大人向けのサッカースクールを手伝ったり。ただ最近、知り合いとユーチューブのチャンネルを立ち上げて、今年は積極的にやっていく予定」

森崎「まさかのユーチューバーデビュー!? どんなチャンネルなんですか?」

山田「昔の『北野ファンクラブ』みたいな、時事ネタを取り上げるトーク番組。サッカーの話はなし(笑)。いくつかスポンサーも決まっているし、フォロワーさえ集まれば、ビジネス的にも広がりがある」

森崎「礒貝さんはサッカーをやめたあと、プロゴルファーもやってましたよね?」

礒貝「もうツアーには出てないけど、今もたまにやってる。オファーがあれば、金額に見合ったゴルフを見せるよ(笑)」

山田「2人とも、僕のユーチューブにゲスト出演よろしく。皆さんもチャンネル登録してください!」

いそがいひろみつ
1969年4月19日生まれ 熊本県出身 高校1年から10番を背負った元祖天才MF。東海大(中退)を経て、1992年にガンバ大阪入団。Jリーグでは、135試合出場29ゴール。国際Aマッチ出場は2試合。1998年に引退し、プロゴルファーを経て、サッカースクールやイベント出演のほか、大工や塗装工、警備員などさまざまな仕事をこなす「自由人」に

やまだたかひろ
1972年4月29日生まれ 大阪府出身 選手権では、1年生FWとして決勝でゴールをマーク。1991年に日産自動車(現横浜F・マリノス)サッカー部に入部。Jリーグでは、271試合出場23ゴール。国際Aマッチ出場は1試合。2003年に引退。2019年末にユーチューブチャンネル「たかちゃんがわちゃん」を立ち上げ、現在はユーチューバーとして活動

もりさきよしゆき
1976年4月20日生まれ 千葉県出身 高校1年時にインターハイ準優勝、3年時に選手権で優勝。1995年にジェフユナイテッド市原に入団するも、わずか2年で退団。引退後は約10年間、中古車販売の営業をしていた。現在は、「ドリームサッカースクール」(八千代市)の代表として子供たちを指導

写真&取材&文・栗原正夫

(週刊FLASH 2020年1月21日)