「声がいい」だけでは声優になれない。プロの声優が心がけていることは?(写真:studio-sonic/PIXTA)

『攻殻機動隊』シリーズのバトー役や、『機動戦士ガンダム0083』のアナベル・ガトー役など、多くの代表作を持つベテラン声優大塚明夫氏が語る「声優論」。第3回では、「若手声優声優志望者が陥りがちな間違い」について解説します。

「いい声」というものにこだわる若手声優は非常に多いです。志望者の中にもおそらくいることでしょう。

「大塚さんはいい声だからいいですよね。僕なんて……」「どうやったらそんなにいい声が出るのですか?」

聞き飽きた言葉です。もちろんユーザーの方に言われる分にはとてもありがたいのですが、同業者から聞きたい台詞ではありません。

いい声? お前はじゃあ、ほかのことで勝負しようとは思わないのかい。そう返してやりたくなることもしょっちゅうです。

声優の仕事は「声づくり」ではない

声優とは、いい声を出すことに価値がある――。

そんな誤った考え方が蔓延しているのではないか、という危惧は近頃ずっと抱き続けてきました。現場で若手の演技を見ていても、「いい声を出そう」という部分に意識が向かっているなと感じることが多いのです。

こういう若手ばかりの状況では、私の仕事が途絶えることはありません。「声の芝居」の捉え方が根本的に違うからです。

われわれの仕事は「声づくり」ではありません。「役づくり」です。この部分を取り違えている限り、いい芝居に近づけることはないと思います。

映画だろうがアニメだろうが、われわれが声をあてるのはその作品世界に登場するキャラクターたちです。彼らはそこに、何らかの物語上の役割を持って存在しています。

私たちの仕事は、そのキャラクターの役割とパーソナリティーを表現しうる最適な芝居をすることです。そして台詞を通して、見る人に「このキャラクターはもしかしたら本当にいる人かもしれない」と錯覚させるくらいのアプローチをしなければならない。私はそう考えながらこの仕事をしています。

普通じゃない声で喋る、ということだけなら素人さんだってできるのです。そんなものは役づくりではありません。

そもそも、声の良しあしなんてものは作品を見る人が判断することではないでしょうか。自分から聞かせにかかっても台詞が噓くさくなるだけです。噓くさい台詞は人の胸を打ちません。そして、人が本当に「いい声だ!」と感動するのは、芝居自体がその人の胸に刺さったときのはずなのです。なぜみんなそこに気づかないのでしょう?

剣士の対峙のように、細く細く“相手”の中心をとる。ぎりぎりまで狙いを絞り、相手に届く一撃をスパンと放ることが大切です。役者同士がそういうやり取りをできなければ、見ている人にも刺さりません。狙いを定めずなんとなくわっと声を出したり、自分で自分の声を聞きながらウットリしているようでは駄目なのです。

芝居として、計算で「いい声」を使うこともあります。ここはキメるとこだな、というシーンでは、ちょっと低めの、響く音をわざと使ったりもする。でもそれも、お客さんや一緒に芝居をしている声優に向けてではなく、あくまで“対峙している役”に向けて放つ声です。

スネークとして、ライダーとしてその声を使う、というだけ。そこにうそを交ぜる余地はありません。「大塚明夫としていい声だと思われたい」なんて意識を、スネークが持っているわけがありませんよね。

「いい声を聞かせる芝居」は駄目

確かに、ずっと前線にいる人は「得意技」を持っていることが多いです。この役はこいつだよね、というものを持っていると強い。私の場合は、なんだかワケありげで強い男、あるいは「漢と書いてオトコと読む!」みたいなキャラでご指名を受けることが今のところ多いです。本人はそうマッチョでもないので、そればかり続くと息切れするのですが。

でも、これは若いうちに「声を作っていく」ことで出来上がる武器ではありません。人間としての、もっと“核”の部分に関わる問題です。何らかの役を真摯に作ろうとしたときに、その役者の核の部分にはまることがあるのです。その合致と、単純な声質などの条件が合わさったときに、「こういう役はこの人しかいない」という印象を与えることになる。

私の中にどれだけ美少年的なよさがあったとしても、この声で美少年役をやったらなかなか納得していただけないでしょう。

つまり、芝居をした結果「声がいい」と言われるのはいいけれども、「いい声を聞かそう」と思って芝居したら駄目だよ、ということです。単純な話ではありませんか?

付け加えるなら、「いい声」というのは、確かに「いい刀」なのだろうとも思います。人によって声質というものはあり、聞いていてなんとなく心地よい声、耳にひっかかる声というのはある。それは確かに1つの武器です。よく切れる刀である、とも言えるでしょう。

しかし、素人がいい刀を持ってもうまく使えません。逆に、剣術の達人ならば刀が悪くてもうまい戦い方はできる。そういう意味で私は、親からいい刀を受け継いだ人間なのでしょう。でも、何も考えずにそれを振り回していたら今ここにはいないはずです。同じ理由で、「声がいいから声優になれるかも」なんて言う人に対しても「馬鹿なことをお言いでないよ」と返すしかありません。

自分は声がよくないから駄目なんだ、と言う人もいますが、皆が立派な「いい声」だったらこれはこれで作品が成り立ちません。サッカーでもボールは人のいないほうに来るのです。これはよく演出家の早野寿郎先生が使っていたたとえだそうですが、ライオンだらけでは動物園にならない。サルだの馬だのウサギだの、いろんな動物が必要です。

ですからまず、自分の声の良しあしのことばかり考えるなよ、ということを「いい声」にこだわる若手声優には言いたい。わざと低い声を出して、格好つけることによってファンを捕まえようったってそれじゃお前芝居になんねえよ、パスをこっちまで回してくれよ、という話なんです。

どうやって「役づくり」すればいいか?

「役づくり」についてもう少しお話ししましょう。役を作るというと、「自分の役がどういう人物かをよく考える」ことから始まるように思ってしまいがちですが、私は“入り口”はそこだけではない、と考えています。

私がまず考えるのは、その人物が「何をしに物語の中に出てきたのか」。シナリオの構成上何を目的にしているのか、そのキャラが果たすべき役割は何なのか、です。性格や好みを探るのはその次の作業になります。

家を建てるときのことを考えてみてください。ある柱が、家のどの部分の構造材かがわかれば、その柱を使ってやるべきこと、やってはいけないことが自然と見えてくるはずです。家の中心を支える柱ならこの位置をとらなければならない、1つの部屋の一角を支える柱なら反対側にもう1つ同じ高さの柱を立てよう、この柱をこっちから釘打ちしちゃいけないぞ、などなど……。

大切なのは、それが見えると、かえって自由が増えるということです。だってやっちゃいけないことはもうわかっていて、やるべきこともやれているわけですからね。キャラクター解釈を膨らませる、深読みする、ちょっと先への布石を打つ。それらはすべて、やるべきこと、やるべきでないことを固めたうえだから可能な技なのです。何をしたらアウトなのか、わかっていない状態では腕を大きく振り回すこともできません。

これらはもちろん、長く芝居を続けてきたからこそ理解できるようになったことです。例えば、『機甲猟兵メロウリンク』のキーク・キャラダインを演じていた20代の頃はとてもそんなことまで考えられませんでした。もっともあの作品の場合は、先のストーリーを知らない状態で演じなければいけなかったので、「役割」をつかむのがそもそも困難だったのですが。

アフレコごとに渡されるその話数の台本に書かれた情報がすべてで、物語がどう帰結するかわからない。非常に難しい仕事でした。

キーク・キャラダインを演じるにあたり、注文は「キザにやってください」のみ。「はあ、キザにですか、わかりました」と一生懸命自分なりに演じていましたが、まだ声の仕事に慣れきっていなかったうえ、何をしに出てきたキャラクターかさっぱりわからないという状況もあり、それこそ「いい声」で押していくしかありませんでした。今だったらもっと深く演じることができるのにな、と思う役の1つです。

そういう意味で、原作の存在しない、オリジナルのアニメ作品などは演じるのが難しいとは言えます。台本がなくても、ある程度話の構成が固まっていればそれを聞いて解釈することはできるのですが、先がまったくわからないまま作る『メロウリンク』のような作品もあります。そういう場合は、渡された台本の中で全力を尽くすしかありません。

アニメーターを喜ばす役者でありたい

ところで私は、アニメ作品の打ち上げなどではなるべくアニメーターの人たちと話すようにしています。

声の仕事をする中で、彼らの気持ちをよく考えるのです。もし自分がアニメーターだったらどんなことを思って働いているか。

アニメのオンエアを目標に、1枚1枚の絵を一生懸命描く。それがいざオンエアされているのを観たとき、キャラクターの声をあてているのが自分の声のよさばっかり意識している声優だったら、多分ひどく悲しい気持ちになると思うのです。


反対に、自分の描いた絵に本当に魂が宿ったと感じられたら絶対嬉しい。絵の中に息づかいが、感情が入っている――そのキャラが本当に魂を持ちしゃべっていると感じられたときがいちばん嬉しいのではないでしょうか。

ですから私は、アニメーターの方に「大塚さん大好きなんです」と言ってもらえるととても嬉しいのです。以前、制作会社の方から「作画の人たちが、声優の候補に大塚さんがいると聞いてわーっと大喜びしたんですよ」という話を聞いたことがあるのですが、こんなに光栄なことはないなと思いました。

声優業もシビアですが、アニメ制作も本当に過酷な仕事です。それでも皆さん、アニメが好きだから1枚1枚描いてくれているのです。その彼らに「俺、アニメーターやっててよかったな」と思ってもらえるような仕事のできる役者でありたい。私は常々そう思っています。