※2016年9月撮影

レンタカーで下徳富駅に移動しました。札沼線は石狩当別駅まで、基本的に国道275号線と近づいたり離れたりしながら並走します。下徳富駅は国道から500mほど離れています。

駅舎の手前に大きな松の木があります。駅だと言われなければ、分からないかも知れません。新十津川駅からの営業キロは5.0km。以下、駅間は営業キロです。2006年に新十津川との間にあった二代目中徳富駅が廃止されたので駅間が長くなっています。先客がいました。若い男性。挨拶を交わします。道内から写真を撮りに来られたそうです。でもこの後他の駅では会いませんでした。

※2019年6月撮影

有人時代の駅舎で、それなりの大きさがあります。煙突は冬期の暖房用でしょうが、無人駅なので使われないのかな。

※2019年6月撮影

駅舎の出入口、何故か「下」が消えかかって「徳富」になっています。北海道の地名と言えばアイヌ語起源の説明が多くされていますが、むしろ富とか豊など、過酷な現実を慰める様な漢字の使用がその土地の日々の辛さを想像させます。

※2019年6月撮影

駅舎内はキレイに掃除されていました。誰かが額に入った人形など飾ってくれています。管理する駅のスタッフがゴミなど捨てているのでしょうが、定期的に掃除などしている近隣の住民がいらっしゃるのでしょうか。どこかしら温もりを感じます。

※2019年6月撮影

ホームに出ます。広々とした眺めだなぁ。でも人家が見えるのでホッとします。ホームは盛り土に砂利を塗しただけです。

※2019年6月撮影

これは2015年3月に写した駅名標。雪が積もっています。1934年(昭和9年)札沼北線の中徳富駅(現・新十津川駅)〜浦臼駅間の開業に伴って設置されました。翌1935年(昭和10年)には、浦臼駅から石狩当別駅まで延伸開業しています。これで桑園駅〜石狩当別駅の札沼南線と繋がって正式に札沼線となりました。1943年(昭和18年)不要不急路線として休止後、1953年(昭和28年)まで10年間!鉄道は運行されませんでした。かつては島式ホーム1面2線の交換可能駅でしたが、列車本数が少ないので交換設備は廃止されました。1979年(昭和54年)無人化。

※2015年3月撮影

ホームから新十津川方面を見ています。5.0kmあるので歩いたら1時間以上かかりますね。というか北海道では都市部以外に歩いている人をほとんど見かけません。

※2019年6月撮影

反対側、札幌方面です。線路は真っ直ぐ。でも札幌は遠いなぁ。

※2019年6月撮影

ホームから駅舎全景。後の白いクルマは移動に使っているレンタカーです。燃費の良いアクアです。

※2019年6月撮影

2016年9月に撮影した時は、駅舎の手前に木の柵がありました。

※2016年9月撮影

では南下徳富駅に向かいます。レンタカーの車載NAVIでスイスイ行きます。

(写真・記事/住田至朗)