INFOBARは「必然」から生まれ「プラットフォーム」になった! 深澤直人氏のデザインが変えた世界とは

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●時代の「必然性」が生み出したINFOBAR
2018年11月、auは新型フィーチャーフォン「INFOBAR xv」を発売した。
日本人なら「INFOBAR」という、その名を知らない人は少ないだろう。

INFOBARは、日本のデザインケータイの元祖とも呼べるモデルだ。
「INFOBAR xv」は、その最新型である。

INFOBAR xvの発売を記念し、初代からデザインを手がけ続けている、インダストリアルデザインの先駆者、深澤直人氏によるデザインツアー(トークイベント)が都内で開催された。

デザインツアーにはINFOBARのファンが多数参加。皆それぞれに歴代のINFOBARを愛用してきた人々だ。

なぜINFOBARはここまで人々を惹きつけるのだろうか?
そこには深澤直人氏の一貫したデザイン理念があった。


デザインツアーで登壇する深澤直人氏)


深澤直人氏は、デザインツアーの冒頭でこう切り出した。
「みなさんはINEVITABLEという言葉を知っているでしょうか。【必然】と言う意味です。英語圏でもあまり使われませんが、自分はよく使う言葉です」

何かをデザインするとき、深澤直人氏は必ず必然性を重視するという。

深澤直人氏
「川の流れに逆らわず、ではないですが、デザインも自然の必然的な流れを予見しながら素直に作っていかなければいけません。

(初代)INFOBARはもう15年前。その時から既に必然的な流れを感じ取りながら、
『こんな感じになるのではないか』
と思いつつやってきました」

初代INFOBARが企画されたのは、今から16年前の2003年。
当時の携帯電話と言えば、折りたたみ型(クラムシェルタイプ)が流行していた時代だ。

しかし深澤直人氏は折りたたみデザインに対し
それだけではないのでは?
と疑問を感じていたという。

深澤直人氏
「携帯電話という『社会』ができて、そこで携帯電話をやりましょうとなりましたが、
僕は『携帯電話はそうではない』という概念がありました。

携帯電話が身の回りに来た、という感じよりは、
インターネットが身の回りに来た、
ということを予見していたところがありました。」





●PDAやスマートフォンの登場もINFOBAR同様に「必然」から生まれた
携帯電話と並び、当時ブームとなりつつあったのがインターネットだ。

しかし2003年頃の携帯電話はまだ第3世代通信(3G)サービスが始まったばかり。
携帯電話をマルチメディア端末として使うどころか、音楽や動画の配信サービスを楽しむことさえ当時の人々は想像していなかった時代だ。

もちろん、iPhoneのようなスマートフォンなど存在すらしていない。
そんな時代に、深澤直人氏はスマートフォンの登場を確信していたという。

深澤直人氏
「最初はINFOBARとか携帯バーとか、そういう名前が候補にありました。
バータイプ(棒型)というのは始めから頭にあったので『バー』を付けたかったんです。」

初期のデザイン案では、INFOBARの裏面はPDAになっていたそうだ。
PDAとはそれまで電子手帳と呼ばれていたデバイスが進化したガジェットで、現在のスマートフォンの前身にもあたる。
PDAに通信機能を内蔵し、通信サービスで活用するものがスマートフォンだと言っても良い。

深澤直人氏はそのPDAが「来る」と確信し、携帯電話に内蔵させたかったのだと語る。

深澤直人氏が公開した当時のINFOBARデザイン案をみると、
私たちが知っているINFOBARよりも細い棒状の本体を女性が横画面スタイル持っている。
おそらく本体裏面のPDA機能を使っている様子を想定したものだろう。

そして女性の耳にはワイヤレスイヤホンが装着されている。
当時はまだBluetoothヘッドセットなど、ほとんど使われていなかった時代だ。
そんな時代にワイヤレスイヤホンで会話しながらPDAを操作する様子を想定していたのだ。この先見性には驚くばかりだ。


この姿を15年以上も前に想像できた人はほとんどいないだろう



●人気のカラースタイル「NISHIKIGOI」は開発者たちのコードネーム?
深澤直人氏は、インダストリアルデザインの深い部分を語った。

深澤直人氏
「(工業製品の)デザイナーをしていると、次にどういう形が『来る』のか分かってしまいます。
生産技術にまで落とし込んで、初めてデザインは成立するんです。」

新型のINFOBAR xvではフィーチャーフォンでありながら、ボタンの凹凸などが極限まで平滑化されている。
「レンズを切り取ったような曲線」と深澤直人氏が語るそのデザインは、単なる長方形の箱ではなく、まるで琴のような、なめらかな曲線を描いている。

深澤直人氏
「初代のコンセプトでは、テンキーに縁(ふち)がないんです。しかし縁がないと引っかかって外れてしまう危険がありました。それを15年かけて実現しました。」


上下左右に美しく緩やかなカーブを描くINFOBAR xv



深澤直人氏は、新しいINFOBARのデザインを考える際、「次に来るINFOBARはなんだろう?」というところから始めるという。

最新のINFOBAR xvのデザインを語る中で、テレビのデザインについて言及するシーンが印象的だった。

深澤直人氏
「テレビもいずれ縁がなくなります。それを先取りしてしまいました」

深澤直人氏には、縁のないテレビが生まれることがデザインの必然として見えているということだろう。



インダストリアルデザインは「画としてズレていない」ことが重要だと語る深澤直人氏



深澤直人氏は、形としてのデザインにこだわるのは当然だが、それだけでなく名称にもこだわりが強い。
INFOBARシリーズには、常に「赤・白・水」の3色をあしらった「NISHIKIGOI」というカラースタイルが存在してきた。
当時から一風変わったカラースタイルの名称「NISHIKIGOI」は、INFOBARを特徴付けてきた。

この「NISHIKIGOI」という名称だが、実は「NISHIKIGOI」になる予定ではなかったのだという。

深澤直人氏
「(初代INFOBARは)当時鳥取三洋で開発していたが、開発者の熱意が凄かったんです。

錦鯉(NISHIKIGOI)や市松(ICHIMATSU)という名前は、開発中に名前がなかった端末(試作機)のカラーを開発者みんなが呼んでいた名前で、それがそのまま製品のカラー(スタイル)名になりました。」

しかし、深澤直人氏も
「まさかNISHIKIGOIが一番人気になるとは、必然的には読んでいなかったかな」
と会場の笑いを誘っていた。

深澤直人氏は、
「カラー名を決定する際も、開発者のみんなが盛り上がっていたからNOとは言えませんでした」と、その熱意に押されたことを嬉しそうに語っていた。


初代INFOBAR開発当初、本体カラーは6色が試作されていた



●「プラットフォーム」としてのデザイン
深澤直人氏は、INFOBARが持つデザイン性を「プラットフォームである」という。

深澤直人氏
「『今』というプラットフォーム。
みんなが乗り込めるプラットフォーム。
INFOBARはそれなりにプラットフォームに成り得たのではないでしょうか。」

プラットフォームとは、人々が集い語らう場所を指す。
初代INFOBARが発売され、そのデザインが1つの意味を持ったコンセプトとして独り立ちしたことで、人々に共通した場所を与えた。

それが深澤直人氏の言う「プラットフォーム」なのかもしれない。

深澤直人氏
「(初代INFOBAR発売時)渋谷や表参道を大々的に発売記念ジャックしました。
当時は電子機器がビルボードになることはほとんどなく、涙が出るほど嬉しかった。
当時としては強烈なインパクトでした。」

携帯電話がデザインで話題を得る。
携帯電話のデザインが人々のライフスタイル、ステータスになる。

2003年当時では、このこと自体が「衝撃」でしかなかった。
あれから16年経った今、スマートフォンのデザインは常に人々の関心事になっている。

いまや、
Xperiaがガラス素材の本体を採用した
iPhoneがノッチデザインを採用した
縦に長い本体スタイルが登場した
それは、瞬く間にほかのメーカーに波及し、人々がこぞって新しいデザインのガジェットを手にする時代だ。

電話機とそのデザインが、人々の生活のプラットフォームとなる。
これも「必然」だったのかもしれない。


初代INFOBAR発売当時の渋谷駅前と表参道



深澤直人氏は最後にこう語った。
「参加することに高揚する、という概念です。

自分が作っているわけではなくても
『みんなで作っていく』
という楽しさです。」

いま、初代INFOBARは、
モバイルデバイスにおけるインダストリアルデザインの象徴として、
MOMA(ニューヨーク近代美術館)に展示されている。


INFOBARは、携帯電話を、
・単なる道具
・家電製品
ではなく、
・ファッション
・ライフスタイル
という存在に変えた。

INFOBARのデザインは、
人々が熱く語り合い、記憶として継承し、集うプラットフォームへと昇華させた。

そこには「必然性」を超えた先にある人々の想いすらも、感じ取れた気がした。


秋吉 健