新型ロマンスカーGSE出発式の準備(左)が進む中を発車する特急「ふじさん」(撮影:梅谷秀司)

複々線化の完成に伴う大規模なダイヤ改正、新型特急ロマンスカー「GSE」のデビューと、小田急電鉄にとっては特別な日となった3月17日。そのかたわらで、同日に新たなスタートを切った列車があった。その名は、特急ロマンスカー「ふじさん」号。前日まで「あさぎり」号と呼ばれていた、JR御殿場線に乗り入れて新宿と御殿場(静岡県御殿場市)を結ぶ列車だ。

同日の朝、新型ロマンスカーGSEデビューを記念した装飾が目立つ小田急新宿駅の特急用ホームでは、「ふじさん」の列車名を表示した青い車体のロマンスカーMSEが発車を待っていた。まだ馴染みのない列車名だけに、ホームでは「小田急って富士山に行くの?」と不思議そうに話す人の姿も。GSEの出発式に向けた準備が進む中、「ふじさん」は静かに御殿場へ向け発車した。

「あさぎり」を惜しむ人も

小田急線から御殿場線へ直通する列車の歴史は古く、その始まりは1955年にさかのぼる。当時は御殿場線がまだ電化されておらず、小田急は専用のディーゼルカーを導入して直通運転を開始した。今回消えた列車名「あさぎり」は、富士山西麓に広がる朝霧高原から命名され、1959年以来使われていた伝統ある名称だ。

長年親しまれた列車名の変更について、小田急は「富士山の麓である御殿場への列車であることから、富士山方面へのアクセス手段であることを分かりやすくし、訪日外国人観光客にも利用してもらいたい」とその狙いを説明する。英語名はずばり「Mt.Fuji」だ。

鉄道ファンには、伝統ある「あさぎり」の列車名が消えたことを惜しむ人も少なくない。新宿駅で「ふじさん」の1番列車を撮影していた男性は「『ふじさん』は外国人客へのPRになるかもしれないが、『あさぎり』はきれいな響きの列車名だと思っていたのでちょっと残念」。富士山の名を冠した列車はほかにもあるため、ネット上などでは「逆に分かりにくいのでは」と指摘する声もあるようだ。

一方、御殿場線沿線の観光関係者などは「ふじさん」への変更を歓迎している。


新宿駅の発車案内に表示された「ふじさん」の文字(撮影:梅谷秀司)

御殿場市観光協会の担当者は「もともと朝霧高原まで行く列車ではなかったので、地元としてはこちらのほうがしっくりくる」といい、地域では以前から名前を変えてほしいという声があったと話す。御殿場線沿線の自治体でつくる「御殿場線利活用推進協議会」でも、「公式な要望としては行っていないが、地元には『あさぎり』という名前を変えてほしいという声がある、という話を(小田急などに)したことはあったようだ」と、同協議会に参加する自治体の担当者はいう。

小田急によると、今回の改名はあくまで同社とJR東海で決めたもので、要望などを受けたためではないというが、結果的に地域の観光関係者らの願いがかなった形となったようだ。

御殿場=富士山のイメージをPR

地元が期待するのは、新宿と御殿場を結ぶ特急列車の名前が「ふじさん」に変わったことで、「御殿場=富士山」というイメージが定着することだ。

観光協会の担当者は「御殿場は登山口もある富士山の街だが、そういったイメージをあまり持たれていないのが実情」と話す。環境省が集計した登山道別の富士山登山者数(2016年7月1日〜9月10日)では、4つある登山ルートのうち御殿場ルートの登山者が最も少なく1万5697人。経験者向きのルートとされていることも理由だが、最も多い吉田ルート(山梨県側)の15万1969人と比べるとその差は大きい。御殿場と同じ静岡県側の富士宮ルートは5万9799人で、こちらと比較してもだいぶ開きがある。

だが、御殿場は東名高速道路が通っており、鉄道利用でも特急で新宿から約1時間半と都心から近く、交通の利便性は高い。観光協会の担当者は「新宿に直通する特急の名前が『ふじさん』になったことで、御殿場が交通アクセス便利な富士山の玄関口であることを首都圏でアピールできる。御殿場ルートはベテラン向き登山道と言われるが、ほかのルートで登った人の下山ルートとしてもPRしたい」と期待感を示す。

地元はもちろん、小田急も御殿場周辺の観光テコ入れの要素として、特急「ふじさん」に期待を寄せる。小田急は「御殿場プレミアム・アウトレット」で造成が進む第4期増設エリア内に2019年冬、ホテルと日帰り温泉施設を開業予定。地理的に近く、小田急グループの代表的な観光地である箱根と合わせ、観光エリアの拡大を図りたい構えだ。

名前を改め、新たなスタートを切った特急「ふじさん」。だが、「あさぎり」時代のデータを見ると、利用者数は決して多いとはいえない。

御殿場市の統計書に記載された「小田急ロマンスカー『あさぎり号』の利用状況」によると、新宿―御殿場間の全利用人員は2015年度で約57万人。1日あたり約1560人が利用している計算になる。これだと少なくないように見えるが、御殿場線内までの利用人員となると大幅に減り、同年度で約17万3600人。1日あたりの利用者は475人となり、平日ダイヤの1日3往復として計算すれば、列車1本あたりの乗客数は79人だ。

同列車に使われるロマンスカーMSEの座席数は6両で352席のため、乗車率は20%ちょっと。新宿―沼津間から新宿―御殿場間に運転区間を短縮した2012年度以降、御殿場線内までの利用人員は毎年17万人台で推移しており、小田急線内のみの利用は一定数あるものの、本来の目的ともいえる御殿場線直通利用者は少ない状態が続いていることになる。

バスは便利だが列車にも期待感

新宿方面とを結ぶ公共交通機関として圧倒的に利用者数が多いのは、小田急グループの「小田急箱根高速バス」だ。御殿場市統計書によると、2015年度の利用人員は上り(新宿方面行き)が約34万9000人、下りが36万700人で、「あさぎり」の利用人員を大幅に上回る。本数も1日に片道30本以上あり、利便性では高速バスが優位に立っているといえる。


富士急行の「フジサン特急」。実は元小田急ロマンスカー「あさぎり」の車両だ(記者撮影)

とはいえ、やはり新宿直通の特急列車への期待は強い。「山梨県側には富士急行線の『フジサン特急』など富士山をイメージさせる交通機関があるが、こちらにはそういったものがなかった。『ふじさん』という列車の存在は、御殿場=富士山というイメージを持ってもらう上で大きい」(観光協会担当者)。小田急も「高速バスと列車は補完しあう関係。グループでさまざまなアクセス手段を提供したい」と話す。

富士山周辺への観光ルートとしては、これまであまり認識されているとは言い難かった御殿場線直通の特急ロマンスカー。富士山にちなんだネーミングの列車は、富士急行の「フジサン特急」や「富士山ビュー特急」、JR中央線から富士急行線に乗り入れて新宿と河口湖を結ぶ「ホリデー快速富士山」と複数存在しており、どのように存在感を示していくかも今後の課題だ。伝統ある「あさぎり」の名を改めての新たなスタートが、御殿場線沿線の観光、そして列車自体の活性化につながるかが注目される。