藤浪 晋太郎投手(大阪桐蔭−阪神タイガース)【前編】「急成長へつながった『吸収力』と『知的好奇心』」
大阪桐蔭高から入団4年で早くも42勝を積み上げ、今季も阪神タイガースのエースとしてそびえ立つ藤浪 晋太郎。2017WBCの侍ジャパンにも選ばれ、世界一奪還への大車輪の活躍も期待される。では、そんな藤浪投手の大阪桐蔭時代はどんな選手だったのか?3年時の2012年に史上7校目となる甲子園春夏連覇に導いた197センチ右腕の軌跡を西谷 浩一監督に語って頂いた。前編では、入学時から2年秋まで急成長を遂げる原動力となった「吸収力」と「知的好奇心」について探っていく。
藤浪 晋太郎投手(大阪桐蔭)
藤浪と同じく2017WBC・侍ジャパンに選ばれている平田 良介(中日ドラゴンズ<関連記事>)、中田 翔(北海道日本ハムファイターズ<関連記事>)など数多くの逸材を育ててきた大阪桐蔭・西谷 浩一監督。だが、藤浪のような190センチを超える投手を預けるのははじめて。「預かったときにどういうふうに育てていけばいいのか、模索していたことを覚えていいます」と入学時を振り返りながら、2010年当時の育成プランを話す。
「良い時は良いですが、10球に1球ぐらいが良い球がいくぐらい。なので『時間をかけて育てていこう』と。2年春ぐらいでの公式戦デビューを考えていました」よって最初の練習はテーマ練習だった。入学時に課題があったけん制、クイック、フィールディングを克服する個人ドリルをサブグラウンドでひた向きに取り組んでいた藤浪。だが、事態は急変する。それは6月初めの練習がきっかけだった。
上級生投手に故障者が続出。Aチームのノックに入れる投手が1人足りないある日、コーチが西谷監督に進言する。「藤浪はどうですか?」「『そりゃ早いやろ』と思いました。AチームとBチームではスピード感が違う。ただ、コーチは『そういうのも含めて経験させた方がいいじゃないですか?』と促してくれたので『じゃあ1回だけ入れてみよう』ということになったんです」
こうしてAチームのノックに入ることになった藤浪は……。指揮官の予想を超える動きを見せた。「1か月前と比べると別人のように動くことができていたんです。これで藤浪が自分の課題に向き合ってしっかりと取り組んでいたのが分かりましたし、同時に『とても吸収が早く、順応性が凄い子だ』と実感しました」(西谷監督)
こうしてワンチャンスをつかみ、常時Aチームのノックに入ることを許された藤浪。間もなく意外な形で練習試合の登板の機会が訪れる。「ウチは6月になると『出稽古』という意味で、すべて遠征を行って強豪校と対戦します。その時、上級生がまたも故障してしまいまして(苦笑)。『誰を連れていくの?』という話になったとき、『じゃあ藤浪にしよう』ということになったんです。このときは先発で投げさせることはなく、練習試合の第2試合の中継ぎで登板をさせることになりました。これも案外抑えてしまうんですよ」
努力で引き寄せた強運はさらに続く。上級生投手たちの故障は夏の大阪大会が直前になっても癒えず。「順番が繰り上がった形」(西谷監督)で1年夏、藤浪は大阪大会のベンチ入りを果たす。「一般的には身長が高いとどうしても不器用というイメージがありますが、アイツは器用で飲み込みが早い。そういう一面があったからこそチャンスをもらえたと思います」。西谷監督からもらったチャンスを活かし続けた藤浪は、大阪大会2回戦・吹田戦で公式戦デビューし2回2奪三振。貴重な経験と共に「新チーム・主力格」の座を確実なものとした。
「個性を失わない」指導に育まれ藤浪選手の高校時代の様子について語る西谷 浩一監督(大阪桐蔭)
1年秋は「背番号10」でベンチ入りし先発投手を務め、大阪府大会優勝に貢献した藤浪。たが、初の近畿大会では苦い経験を味わった。加古川北(兵庫)戦で先発登板。5回3分の1を投げて4安打に抑える力投も痛恨の一発を浴びて初戦敗退。2年連続のセンバツ出場を逃すことに。その口惜しさがさらなるレベルアップの意欲をかきたてる。
結果、藤浪は1年秋で最速143キロだった速球は、2年夏には最速で140キロ後半を投げられるまでにレベルアップ。西谷監督はその理由をこう話す。「練習の取り組みを見ると漠然とはやらないですし、我々指導者に質問することも多かったです。知的好奇心がある子でしたので、うまくなりたい意欲がすごく見えていました」
その質問内容も「良い回転をしたストレートを投げるための練習法やトレーニングの方法」とより具体的なもの。「そこに練習をしっかりと積み重ねたからこそ進化を見せたと思います」と指揮官は語る。
そして西谷監督も藤浪の意欲に最大限応えた。大きな軸「荒々しさを残しながらも投手として最低限まとめる」を決めて。190センチを超える彼の特徴である「左足のインステップ」についても、その軸を変えることはなかった。「実は入学のときはもっとインステップをしていて、これは故障の負担があると思って直したのですが、そこから大きくは直しませんでした。とにかく大事にしていたのは荒々しさを残すこと。確かにインステップを直すのことは大事ですけど、荒々しさがある方が打者の側からは怖さを感じると思います」
そんな西谷監督の「個性を失わせない」指導に育まれ、2年夏の大阪大会で藤浪 晋太郎は躍動する。いきなり強豪対決となった関大北陽との1回戦では14奪三振完封勝利。その後も先発・リリーフとして好投を見せた準決勝でその年、センバツベスト4入りした履正社に対し、8安打を打たれながらも粘りの1失点完投勝利。夏の甲子園まであと1勝と近づいた。しかし、決勝の東大阪大柏原戦では6点の援護を受けて6回まで2失点も、7回裏に3失点で降板し、先輩の中野 悠佑にマウンドを託す。しかし大阪桐蔭は9回サヨナラ負け。その瞬間を藤浪はベンチで聞いた。
成長への起爆剤「甲子園の経験」が舞い込む大阪桐蔭時代の藤浪 晋太郎投手
最上級生でついにエースナンバーを背負った藤浪。澤田 圭佑(立教大〜オリックス・バファローズ)との2本柱で挑んだ秋季大会は、近畿大会初戦の関西学院戦で自己最速148キロをマーク。しかし準々決勝では7回で12安打8失点と崩れて天理(奈良)に敗戦。その要因を西谷監督はこう本音も交えて振り返った。
「藤浪は良く練習をしていましたし、ここまでの成長は本当に素晴らしいものがありました。足りないのは『甲子園の経験』。歴代の選手たちを見ても、甲子園という独特の舞台は、選手たちに秘めている力を大きく発揮させてくれます。それはいくら練習をしても埋めきれない成長の部分です。だから、藤浪には2年夏までに甲子園という舞台を経験をさせてあげたいと思っていましたが、それをさせてあげられなかったことは監督として本当に申し訳ないことをしたなと思っています。だから、あの時は藤浪も、私も、もがいていた記憶があります」
ただ、関西学院戦で藤浪 晋太郎が最速148キロを叩き出したことは、近畿地区一般枠「6」が与えられるセンバツ出場校選考の際、大阪桐蔭に運を引きよる大きな要素となった。2012年1月27日、彼らに届いたのは「2年ぶりのセンバツ出場」。西谷監督が望んでいた成長の起爆剤を手に入れた3年春、藤浪は想像以上の飛躍を見せた。
後編では春夏連続制覇に至った甲子園での快投。そこから見える藤浪投手の意識の高さに迫っていきます。お楽しみに!
(取材=河嶋 宗一)
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