中国の歴代王朝の中で最も奥深く、文化が発展した時代。それは唐代ではないでしょうか。

唐朝は世界帝国でした。いわゆるシルクロードは、唐の時代に確立されたと言ってもいいほどです。それまでユーラシア世界は、東西を隔てる巨大な「壁」がありました。物体としての壁が存在したわけではありません。中国から中央アジア、中東、そしてヨーロッパやマグレブまで行くのにいくつもの国家を跨がなくてはなりませんでした。

それが一元化されたのは、8世紀中葉でした。

・「経済特区」として

唐朝の成立は西暦618年。首都機能は前王朝の隋に続き、長安に置かれました。

長安とは、今の西安です。この記事では現代の読者向けに、敢えて「西安」という名称で統一します。

この西安と、東に位置する洛陽は唐代に栄えました。シルクロードの歴史を学ぼうとする現代人は、必ずこの2都市を訪問しなければなりません。

西安から洛陽までの地域は、今で言う「経済特区」だったのかもしれません。たとえば今現在のシンガポールは、国全体が経済特区のようなもの。それはなぜかと言えば、東西を結ぶシーレーンの門のような部分に国土があるからです。

それを考慮すれば、かつての西安と洛陽の繁栄ぶりが何となく分かるのではないでしょうか。

・紙が伝わった瞬間

西暦751年、人類史を永遠に変えてしまう出来事が発生しました。

それはタラス河畔の戦いです。相手はイスラム帝国として名高いアッバース朝。この戦いで、唐は負けてしまいます。

その際、唐軍の製紙職人が施設ごとアッバース朝に接収されます。それがサマルカンドに移され、ユーラシア西部に製紙法が伝わるのです。

アッバース朝は、中央アジアから中東を挟んで遥か製法のイベリア半島にまで領土を拡大していました。今のキルギスからスペインに至る、びっくりするほど広大な地域です。つまりタラス河畔の戦いをきっかけに、それまで東アジアの専売特許だった紙が一気にヨーロッパにまで伝搬したということです。

紙は極めて優秀な記録媒体。軽量でインクの乗りもよく、しかも折り畳みが利きます。当時の中東やヨーロッパでは、重要記録は専ら羊皮紙すなわち動物の皮に書いていました。これは高級な上、インクがなかなか浸透しないという問題があります。そうであるが故に書き損じを修正できるという利点もありましたが、記録媒体としてはやはり問題があります。

人類は紙という発明品により、さらなる大きな力を手にすることになったのです。

・日本にも多大な影響

東西からの大量の交易品が集まり、さらには世界で最も優れた記憶媒体である紙を生産していた都市。それが唐代の西安と洛陽でした。

あまりにスケールの大きな話ですから、この記事では全容を書き切ることはできません。ですがいずれにせよ、この2都市がユーラシアの変革の軸になったことは事実。そして極東に位置する日本も、唐によってもたらされる富とテクノロジーの恩恵を受けます。

遣唐使船の派遣は歴史の教科書に必ず出てくることですが、それは現代風に言い換えれば産業のない自治体の職員がシリコンバレーのIT企業に研修へ行くようなもの。西安や洛陽に赴けば、紙の存在に裏打ちされた膨大な記録文書に接することができます。そしてそれは様々な分野の学術研究を進歩させる原動力となっていたのです。

8世紀の日本人が唐で得た知識は、のちに平安京という形で独自の開花を遂げます。

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