【新東方見聞録】秦始皇帝陵が「伝説」から「史実」になった瞬間(中国・西安)
自然科学・社会科学を問わず学術研究の世界というのは、「実際に証明しなくてはならない」という約束事があります。
「計算したらそうなった」という理由では、その理論を定説と認めることはできません。実際に実験をして、研究者の求める現象が起きればようやく「その理論は真実だ」ということになります。
歴史学の場合は、古文書に「かつてこういうことがあった」という記載があったとしても「果たしてそれは真実か?」という検証作業が必要になります。そして時代を遡れば遡るほど、「史料にはあるけれどそれを裏付ける物証がない」ということが起こりやすくなります。
・秦始皇帝陵は「伝説」だった
中国・西安にある秦始皇帝陵。この遺跡にはじつに8,000体もの兵馬俑が眠っていました。
秦始皇帝陵の発見は、つい最近のこと。1974年に地元の農民が掘り出したのがきっかけです。ところが、「西安あたりに始皇帝陵がある。しかも数千体の人形も埋められている」ということは、紀元前から知られていました。
前漢の歴史家司馬遷が、『史記』という書物に「始皇帝は自分の墓に大量の兵馬俑を埋めた」としっかり書いているのです。ですがそれには物証がなく、20世紀後半まで「始皇帝陵は伝説の域を出ない」とされてきました。
それが偶然の大発見により、司馬遷の記述の正確さが証明されます。そして当時中国政府のトップに君臨していた毛沢東は、史記の愛読者として有名でした。そうしたこともあり、北京の共産党幹部は遺跡保護に全力を注ぎました。
・「同じ顔」は存在しない
始皇帝陵の兵馬俑は、一人ひとりの顔が異なることでも知られています。
これは日本のテレビ局が実証しています。兵馬俑の兵士像の顔をコンピューターで取り込み、ダブっている別の像がないかスキャンするというものです。結果、すべての兵馬俑はそれぞれ独自の顔を持っているということが分かりました。
兵馬俑は単純な量産品ではない、ということです。
また、注目すべきは兵士の手。人形作りにおいて、手はもっとも手抜きをされやすい部位です。5本の指をいちいち造形するのは、大変な手間がかかります。
ですが、兵馬俑にそのようなごまかしは一切ありません。まるで本物の人間のような、リアルな指を持っています。
・皇帝の力
これだけのものを造らせることができた始皇帝は、やはり強大な力を持っていたと言わざるを得ません。
始皇帝陵建築のためには、当然ながら大量の資材を集めなければなりません。ですがそれ以上に、資材からモノを生み出す職人が必要になります。何千という数の、熟練した職人です。
古今東西の権力者は、必ず各分野の職人を重用します。逆に職人を蔑ろにした君主は、国家滅亡のきっかけを作ることになります。
我々現代人は、始皇帝から何を学ぶことができるのでしょうか。
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