「メキシコの通信王」カルロス・スリムの逆張り投資術
2015年の「世界長者番付」の「トップ10」の顔ぶれは、前年とほぼ同じだった。特に「トップ3」は、「ITの王者」マイクロソフトのビル・ゲイツ、「メキシコの通信王」テルフォノスのカルロス・スリム、「投資の神様」の異名を取るウォーレン・バフェットが鎬を削っている。
■4年連続でビル・ゲイツを下に見た実力者
ビル・ゲイツがトップでなかった年が5回(2位4回、3位1回)ある。1995年から2015年までの21年間だが、その間、ビル・ゲイツを抜いてトップの座に立った大富豪は、たった2人しかいない。“投資の神様”ウォーレン・バフェットと“メキシコの通信王”カルロス・スリムだ。
ビル・ゲイツが3位に沈んだ2008年に1位に躍り出たのがウォーレン・バフェットで、2位がカルロス・スリムだったが、2010年から2013年までは、カルロス・スリムがビル・ゲイツを抑えて堂々の4年連続トップだったのである。
ビル・ゲイツは、2014年に5年ぶりにトップに返り咲いたが、資産額で見ると、ビル・ゲイツ760億ドルに対し、カルロス・スリム720億ドルで、その差は40億ドルしかなかった。
カルロス・スリムの資産がメキシコのGDPの7%を占めたというので大騒ぎになったのは、2012年のことだった。その年のカルロスの資産は690億ドル。翌年が730億ドル、翌々年は720億ドル。そして2015年にビル・ゲイツにトップを奪回されたものの、前年より51億ドル増の771億ドルである。
カルロス・スリムの両親は、“日産の中興の祖”カルロス・ゴーンの家系と同じく、レバノンからの移民である。カルロスの父は、メキシコで事業に成功して多くの不動産を取得し、裕福になった。カルロスは、その父に子どもの時分から、次のような「銭儲け哲学」を教え込まれた。
「投資の鉄則は、いい物件やいい株式が安くなったときに買うことだ。そうすれば、必ず儲かる」
■逆境こそ飛躍へのスプリングボード
1965年、カルロス・スリムは25歳のときに「グループ・カルソ」という会社を起業。企業買収を繰り返して順調に資産を増やしていった。新規に会社を創設するのではなく、既存の会社を買収すれば、リスクは少ない。そう考えたのだ。
だが、好事魔多し。42歳を迎えた1982年、メキシコが債務危機に陥ってしまうのだ。
メキシコの株式市況は大暴落。弱気一辺倒となった株式市場で、カルロスは父から教わった富豪への成功方程式を実行に移した。大勢とは反対の「逆張り」に出たのである。安い株価をつけている優良株を買いまくったのだ。
やがて経済が回復、カルロス・スリムの資産は何倍にも増えていた。
歴史は繰り返す。メキシコは1994年にも危機に直面。ヘッジファンドに付け入られ、またしても株式市況は大暴落、手がつけられない状態になった。そのときもカルロスはやはり「逆張り」に出て資産を増やしたのである。
長い人生、順風ばかりではない。逆風が吹く局面が幾度も訪れる。真価が問われるのは、そのときだ。カルロス・スリムにも、逆風が襲いかかった。そのときカルロスは、どう乗り切ったのか。
メキシコでは、2012年に市場開放を掲げる政権が登場して以来、カルロス・スリムが獲得したアメリカ・モビルの時価発行総額は170億ドルも減少した、とメディアは伝えている。
アメリカ・モビルは、テルメックスを通じて固定電話の80%のシェアを握り、テルセルを通じてモバイルの70%のシェアを握っていたのに、なぜそうなったのか。2014年にシェアの上限50%という規制枠が設けられ、それが大きく響いたのである。
カルロス・スリムは、規制枠を超える持ち株を売却。150億ドルを手にした。カルロスは、2009年に経営不振に陥った米紙ニューヨーク・タイムズに注目、2億5000万ドルを融資したが、その額は150億ドルの2%にも満たない。
メキシコでの「独禁法の縛り」という逆境は、カルロスにとっては、外国に進出するチャンスと映った。彼はすでに中・東欧という新しい市場に進出を果たし、“メキシコの通信王”から“世界の通信王”へと羽ばたいているのだ。
※日本円の数字は、発表された時点での為替レートで計算している。
※本記事は書籍『「世界の大富豪」成功の法則』からの抜粋です。
(作家 城島明彦=文 佐久間奏=イラストレーション)

