高松北、「時代」を感じさせる2試合連続完封リレー

高松北先発・橋本 大輝

「『長く監督しているな』と感じます」昨年は広島東洋カープドラフト3位指名で、最速150キロ左腕・塹江 敦哉を送り込んだ高松北・秦 敏博監督(53歳)が感慨深げに口を開く。その源流は最速136キロをマークし3安打・与四死球4・9奪三振完封を果たした1回戦・高松桜井戦に続き、この試合でも7安打・4四死球ながら最速132キロのストレートと120キロのカット系ボールを駆使し、10奪三振と力強いピッチングで8回3分の2を無失点に封じた橋本 大輝(2年・177センチ64キロ・右投左打・香川県立高松北中学校出身)である。

 実は彼の父は同じく高松北4期生のエース、当時指導していたのは青年指揮官だった秦監督。四半世紀以上の時を超え、親子二代を同じ学校で同じ監督が指導するケースは公立校としては稀有なケースだろう。100年の歴史を重ねる高校野球だからこそ、指揮官の旧懐は十分理解できる。

 そして最後のワンアウトを取った左腕は小越 晴渚(1年・左投左打・170センチ70キロ・高松市立屋島中出身)。小越と書いて「こごし」と読む独特の苗字にあることを感づいた筆者は、秦監督に「お父さん、野球をされていましたか?」と尋ねてみる。

「お父さんは亜細亜大で投手でしたよ」

 やはり。1990年の愛媛大会2回戦では今治明徳のエースとして同年センバツ準優勝の新田を苦しめ(2対3)。亜細亜大でも入来 祐作(現:福岡ソフトバンクホークス3軍投手コーチ)と共に1年春から神宮登板。社会人・東芝府中でも活躍した右腕・小越 一彦。その息子も高松北で腕を磨いている。

 親から子へ。子から孫へ。野球の灯はこうして脈々と受け継がれ、次の100年を紡いでいく。

(文=寺下 友徳)

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