2011年7月にアメリカのロサンゼルスで開催された「AnimeExpo 2011」の初音ミクのコンサートには約5000人ものオーディエンスが来場

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PC用の歌声合成ソフトとして開発された、バーチャルシンガー「初音ミク」。彼女は、いかにして“日本一の歌姫”へと成長したのか? その開発者やミュージシャンたちが今、はじめて明かす、誕生から5年間の秘話。そこには、人間の持つ“情熱”の物語があった。

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夜空から降ってきたかのように、何もない海上に初音ミクが姿を現すと、観客席からは「わぁ」という歓声ともため息ともつかない声が上がった―。

8月31日、神奈川県横浜。2007年に初音ミクが生まれてからちょうど5周年を迎えたこの日、そこでは「夏の終わりの39祭り」というイベントが行なわれていた。そのメインの出し物は、海上に噴き上げられた水のスクリーンに映しだされた、約10mの初音ミクが歌い、踊るライブ。かつて見たこともない光景に、約1万人の観客はサイリウムを振り、声の限りに声援を送った。

今や、幾度もオリコンチャートの1位を飾り、CMや雑誌の表紙にも登場する初音ミク。PC上で歌声を合成する“ソフトウエア”ながら、日本で知らない者はいない“歌姫”として支持されている。その初音ミクが歩んできた奇跡のような日々の裏には、さまざまな人間の努力と情熱が隠されていた。

■小室サウンドのように個性的で高い声を

「よく『プライベートでも電子音楽を聴いているんでしょう?』って聞かれるんですけど、実はほとんど聴かないんです。特に最近は、アナログレコードを聴いたり、コンサートに足を運ぶことが中心になっています」

世界的な楽器メーカー・ヤマハで製品開発に携わる剣持秀紀(けんもちひでき)は、バイオリンも弾くクラシック畑の人間である。その彼が、人間の歌声を電子音で再現するソフト=歌声合成ソフトの開発に着手したのは2000年。当初、『DAISY』というプロジェクト名がつけられていたこのソフトは、04年に『VOCALOID』という名前で発売されることになる。

この「VOCALOID」とは、歌声合成ソフトの中核をなす“エンジン”である。ここに人の声を乗せてはじめて、ユーザーが自由に歌声をつくることのできるソフトウエアが完成する。

この『VOCALOID』を使って、『MEIKO』という歌声合成ソフトを開発したのが、クリプトン・フューチャー・メディア(以下、CFM)だ。当時、CFMは音楽制作用の音素材を海外から輸入する、北海道の小さな会社だった。

同社でマーケティングや商品のプロモーションを担当していた佐々木渉(ささきわたる)が振り返る。

「普通、歌声合成ソフトみたいな専門的な商品が売れるのって、専門の楽器店が中心なんです。でも、『MEIKO』はヨドバシカメラみたいな量販店を中心に売れていた。ほかの商品と違う動き方してるなって気になりましたね」

そして07年、ヤマハから『VOCALOID』に音質面などの改良を加えた『VOCALOID2』が発表される。

「最初、これを使って『MEIKO2』をつくろうとしてたんですよ。でも、せっかくエンジンが新しくなったんだから、まったく新しい商品をつくったほうがいいだろうと。それで、こういうソフトを使って音楽をつくる世代は小室哲哉さんの曲を聴いてきた人が多いだろうから、女性ボーカルの高いキーの声がいいと思ったんです。もっと言うと、普通じゃない、個性のある声が面白いんじゃないかと思ったというか」(CFM・佐々木)

今度の商品は、精緻な少女のイラストをパッケージに描き、ただのソフトというより“歌う彼女”そのものがそこにいるような見せ方にした。

「このソフトそのものが、いろんな歌の世界を演じる“役者”みたいになればいいなって思ったんです」(CFM・佐々木)

こうして、07年8月31日、バーチャルシンガー、初音ミクが誕生する。





■曲をつくってどうなるとも思わなかった

初音ミクが発売されるなり、インターネット上の動画投稿サイト「ニコニコ動画」には、これを使った楽曲や朗読動画が多数投稿された。また、2ちゃんねるなどでも話題になり、いわゆる“祭り”の状態を生みだしていた。

「その頃、2ちゃんねるに書き込んでる人たちがほんとに楽しそうだったんですね。ひとつ面白い曲を見つけたら、『じゃあ俺はこういうのつくる』みたいに盛り上がっている感じがあたたかくて。今でも、このときに感じたことの記憶が仕事のモチベーションになっているんだと思います」(CFM・佐々木)

初音ミクは、それまでの歌声合成ソフトの市場規模をはるかに超えるヒットとなった。当初想定していた、アマチュアミュージシャン向けの“仮歌”づくりのためのソフトではなく、楽曲の“リードボーカル”の歌い手として使用されていたからだ。

ヤマハの剣持が語る。

「われわれの最終目標は、電子楽器で完全に人間の声を再現することです。そして、それが実現したときはじめてリードボーカルとして使われるだろうと思っていました。だから、この段階で“初音ミクの歌”がつくられるとは正直思っていませんでしたね。でも、よく考えると、昔から電子楽器が発展する過程ってこういうものだったんです。つまり、楽器の製作者がより本物に近い音を追求していく一方で、その楽器を使う演奏者は、その途中段階の不完全な音に“新しさ”を見いだし、今までになかった表現を生みだす。

初音ミクができた当初は、聴くもの聴くものが面白いものばかりで、僕自身、ニコニコ動画を見て楽しんでました。そのなかから、『ワールドイズマイン』のような、本当に深みのある曲も生まれるようになった。あの曲をはじめて聴いたときは涙が出ました」

『ワールドイズマイン』を作詞作曲したryo(リヨウ)は、比較的初期から初音ミクを使い、07〜08年頃のボーカロイドシーンを牽引したクリエイターである。そしてもうひとり、当時のシーンの中核にいたクリエイターが、kz(ケーゼット)だ。

もともと音大の先輩が使っていたことから、初代『VOCALOID』を知ったというkz。彼は、初音ミクが発売された際、「この声にエフェクトかけると面白い音が出るんじゃないか」と思い、すぐに購入した。

当時は、笑える要素のある“ネタ曲”がたくさん作られていたなかで、クラブサウンドを前面に押し出したkzの『Packaged』は瞬く間に話題となった。

「こんなに反応があるとは思わなかったので、“期待されてるんだから次もつくったほうがいいのかな”、くらいには感じましたけど(笑)。別にそこで再生回数が伸びたからって、どうなるってもんでもなかったし。でも、僕のつくった曲に対して勝手にイラストとかPVとかつくってくれる人がいて、それが面白かった。なかには、まったく正体を明かさずプロ以上にクオリティの高いものを投稿する人もいましたよ」

ひとつの作品をもとにして二次創作、三次創作が生まれるのが、ニコニコ動画をはじめとするネットカルチャーの特徴である。ボーカロイド/初音ミクというシーンは、その典型だ。

そして、08年5月、kzはアルバム『Re:package』でメジャーデビューを果たす(livetune feat.初音ミク名義)。はじめてメジャーの世界に送り込まれたこの初音ミクのCDは、オリコンウイークリーチャート初登場5位、累計売り上げ枚数6万枚という成功を収め、音楽業界の注目を集めた。

すでに、初音ミク現象は、驚くべき速さで世間に広がりつつあった。





■ボーカロイド好きが集まれる場をつくる

当初から、ボーカロイド/初音ミクの曲の主な受け皿になっていたニコニコ動画。その運営に携わる阿部大護(だいご)は、もともとavexで音楽のプロモートに携わっていたものの、ニコニコ動画にのめり込みすぎて、その運営会社のドワンゴに転職したという経歴を持っている。

彼は、ユーザー/運営の双方の立場からこの文化を見てきた人間として、ひとつのターニングポイントを指摘する。

「明らかに状況が変わったのは、08年7月に行なったイベント『ニコニコ大会議2008』で、運営側から“MAD削除宣言”を出したときです。それまでは、アニメなどのテレビ番組を編集した“MAD動画”と呼ばれる違法な動画がたくさん投稿されていました。これを取り締まると宣言したら、当然ユーザーからは悲鳴が上がったんですが、その後、オリジナルのコンテンツとしてボーカロイド曲の投稿がぐっと増えたんですね」

さらに、外部からの援護射撃も加わった。09年7月、ゲーム会社のセガよりPSP用ゲーム『初音ミク−Project DIVA−』が発売されると、初週10万本、累計20万本を超えるスマッシュヒットを記録。翌10年7月には第2弾が発売され、こちらも累計40万本を超えるヒットとなり、いまだに売れ続けているという。

これらのゲームをきっかけに、UFOキャッチャーの景品やフィギュアなどが世に出回るようになり、ボーカロイド/初音ミクの知名度は一気に上昇した。

ゲームの開発を担当したセガの林誠司は、企画立ち上げ当初の舞台裏を語る。

「07年の9月下旬に、クリプトンさんに連絡を取ってゲーム化の打診をしました。当初は、育成ゲームだったりアドベンチャーゲームだったりと、さまざまな形の企画を考えていました。ですが、たくさんいい曲がニコニコ動画にアップされていたので、“これでリズムゲームをつくろう”と、方向性を絞り込みました」

しかし、プロジェクトは難航する。普通はクライアントとして曲を発注する側のゲーム会社が、素人のつくり手に許可をあおぐというやり方は、企業のゲーム開発のセオリーをはみ出していた。

何より、ユーザーがつくったこの文化をどうゲームに落とし込めばいいかということに林たちは最も悩んだ。

「クリプトンさんからも、この初音ミクというツールを使ってくれているユーザーを大事にしてほしいと言われました。といっても、前例のないことなのでどうすればいいかわからない。歌うのはいいけど、しゃべるとイメージからズレちゃうんだろうなとか、ダンスはCGっぽさを残したほうがいいのかなとか……。とにかく、ユーザーの感覚を大事にして、“これはセガが勝手につくったものだ”と思われないようにしようと必死で考えました」(セガ・林)

こうした思いの上につくられたゲームがボーカロイドファンに受け入れられたかどうかは、売り上げの推移が示しているだろう。

また、セガは初音ミク関連のライブ運営にも携わっており、冒頭の「夏の終わりの39祭り」でも、映像制作に協力している。

そのライブに関わる同社の大崎誠は、初音ミクのプロジェクトに携わった経緯を笑って振り返る。

「僕はもともとニコ動が好きだったんです。特に、初音ミクが出てきたときの“未来感”には、僕だけじゃなく周りの理系のプログラマーがみんな『やべぇ!』って騒いだ。そんなとき、林さんのチームがゲームを出すって知って、僕らもアーケード版をやりたいって手を挙げたんです。でも、弊社で初音ミクの案件を取りまとめている者から『まずライブをやれ』と言われて。しかも、それを言われたのがゲーム発売直後の09年7月末で、ライブは8月31日ですよ。『ノウハウもないのに何言ってんだろ』って思いましたけど……。やったらやったで、ほんとに楽しかったんですよね」

このとき行なわれたイベント「ミクFES’09(夏)」では、ディラッドボードと呼ばれる透明のボード上にCGの初音ミクを投影するという技術を導入。その後も技術改良を重ねながらライブを行ない、11年7月にはアメリカ・ロサンゼルスで「MIKUNOPOLISinLOS ANGELES」を開催。有料で約5000人を集めるという、日本のアーティストとしては破格の支持を得た。これらの未来感のあるライブは世界中のメディアで驚きをもって取り上げられ、“Hatsune Miku”の名を広めることになった。

一方、大崎が当初からつくりたかったというアーケード版は10年6月に稼働開始する。

「僕は、極論するとジュークボックスでもいいと思ってたんです。そこに初音ミクの曲が流れてるだけで、なんとなくボーカロイド好きな人間が集まってくる。そんな場所をつくりたかったんですね。実は、コミケやボーカロイド専門の即売会って、すごく人が集まるんです。みんな、趣味が同じやつらと出会って、好きな作品をつくったクリエイターと握手がしたいんですよ」(セガ・大崎)



■海外のクリエイターとの連携を模索

海外のメディアからも、“COOL JAPAN”の代表として注目されていたボーカロイド/初音ミク文化。しかし、昨年末、初音ミクが世界的IT企業のグーグルによるCM『Google Chromeグローバルキャンペーン』のCMキャラクターに起用されると、世界の一流アーティストに肩を並べる認知度を得た。

そのテーマソングの作り手に抜擢されたのがkzである。

「あのCMの映像からは、ちょうど初音ミクがリリースされた頃の、どんどん作品が出てくるカオスな熱気を感じました。僕自身はミクがあったおかげで10段飛ばしくらいでメジャーデビューできたし、その後、ボーカロイドシーンからメジャーに行く道筋をつけたとは思います。ただ、僕らのプロセスが正解だったのかどうかは、10年くらいたたないとわからないと思いますけど」(kz)

現在、ボーカロイドを使って楽曲を作るクリエイターが次々とメジャーの舞台でデビューしている。その現状に関して、kzがデビューした際に宣伝を担当し、現在はディレクターとして複数のインターネット出身アーティストに関わる、元ビクターの西辺(にしべ)誠(現・フライングドッグ)は、こう語る。

「CD市場が縮小しているこの時代に、ボーカロイドというジャンルが確立され、一般の有名アーティストと並ぶくらい売れていることは、市場の活性化につながっていると思います。ただ、初音ミクはあくまでバーチャルな存在。クリエイターのポテンシャルを発掘してくれるものじゃない。僕らはクリエイターを育てるために、アニメ音楽や生身のボーカリストの楽曲にも積極的に起用し、40歳、50歳になっても音楽に関われるようにしてあげたいと思っています」

ヤマハの剣持も、「ボーカロイドは“楽器”です。大事なのは、その楽器を演奏する人=クリエイターなんです」という。

ボーカロイド/初音ミク文化を支えるのは、開発者たちの愚直な仕事ぶりであったり、クリエイターの作曲にかける姿勢、そして彼らを支える音楽業界やIT業界の愛情である。

この5年間で、ボーカロイド/初音ミクは日本の文化に浸透した。そして今、世界からの注目も増すばかりだ。

CFMの佐々木は今、海外に目を向けている。

「あまり表には出ないんですけど、海外にも初音ミクを使ったり注目してくれるクリエイターがたくさんいるんです。今後は、そういった人たちと積極的にコンタクトを取って、何か面白いことができればいいなって思っています」

ボーカロイドと初音ミクが世界の合言葉になる。そんな日が、遠くない未来に訪れるかもしれない。

(文中敬称略)

(取材・文/西中賢治 撮影/津田宏樹)

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