ヨーロッパ王者として乗り込んだ昨年のW杯では、思わぬ苦杯を呑んで2次リーグ進出は果たせなかった。長年にわたって競り合いを続ける最大のライバルからは、「国内連盟の会長が、国際競技連盟の快調も兼ねているのは不健全だ」という批判も受けた。しかしそれらを考慮に入れても、現在の野球界における「常識」を大きく書き換える、その壮大な作業の先頭に立っているのがイタリア人たちであることは、もはや否定の仕様がない事実と言っていいだろう。

 去る12日、オリックス・バファローズの先発投手として、千葉ロッテマリーンズの打線と対峙したのは、2度のWBCでイタリア代表の守護神を務めた、アレックス・マエストリだった。チェゼーナ生まれリミニ育ちの、日本球界初の生粋のイタリア人投手である彼は、アメリカのマイナーリーグ、オーストラリアのABL、四国独立リーグplusの3つのリーグを経て、ついに夢の舞台に立った。NPBでの初登板となった11日の試合では、7回途中まで投げて1失点。しっかりと先発の役割を果たし、初登板初勝利を飾ってみせた。

 昨年9月には、海の向こうのアメリカでもイタリア人がデビューを果たしている。フランスとの国境にもほど近い、サンレモ出身のアレックス・リッディは、わずか1か月ほどの短い期間ではありながらも、ここ数年低迷を続けるマリナーズで、三塁のレギュラーポジションを掴んだ。イタリアで生まれ育った選手としてはもちろん、MLBヨーロッパアカデミーの出身者としても、一軍までたどり着いたのは史上初という快挙だ。

 ここ最近、国際化の大きなうねりが押し寄せている野球界。その1つの中心軸を担うヨーロッパにおいて、イタリアは10年以上もの長い間、オランダとともに「古き大陸」の野球を引っ張る役回りを演じ続けてきた。2009年以降の彼らの姿を見れば、その成長ぶりは火を見るよりも明らかだ。2009年オフに完全プロの国内リーグがスタート。2010年にはヨーロッパ選手権で優勝し、インターコンチネンタルカップでも銅メダルを獲得(プロ2軍選抜で臨んだ日本は5位)。そして2011年と2012年には、日米のトップリーグでプレーする選手が現れた。この国の野球界の成長ぶりは、まさに驚異的と言っていい。

 小さいながら世界でも指折りの熱狂度を誇る、ネットゥーノという野球都市を擁しながらも、これまでのイタリア野球の存在感は、日米の商業報道においては微々たるものに過ぎなかった。しかし、今年に入ってからはG.G.佐藤(元西武、UGFフォルティチュード・ボローニャ1953)のイタリア移籍や、前述したマエストリやリッディの活躍により、その名が一気に知られるようになってきた。美食と芸術で知られるこの国が、「野球の国」としても一般的に認知される日は、そう遠くないのかもしれない。

 もっとも、この国の野球界をいわば代表する存在であるマエストリやリッディは、現時点では決して恵まれた立場にいるわけではない。マエストリは育成上りということもあり、今季の年俸はわずか220万円。一部報道では、初登板時に使っていたグラブは、わずか5000円だったとも伝えられている(今では高校球児ですら、数万円はする特注品を使っているというのに)。背番号で野球をするわけではないものの、背負っているのは91というかなり大きな番号。まだ1試合しか投げていないことも含め、確固たる地位を築いたわけではない。

 その点に関しては、マリナーズのリッディも全く同じ。昨季は約1か月の一軍帯同で、打率はお世辞にもいいとは言えない.222。今季も、最大の武器である長打力は高く評価されながらも、マイナー時代から目立っていた粗さが克服しきれず、早々とAAA級タコマに落とされてしまった。地元の看板スターである、イチローのヤンキースへの電撃移籍によって、シーズン116勝を挙げた2001年を知るメンバーがいなくなった今、得点力不足に悩むマリナーズ打線にとっては、リッディの打棒は大きな魅力であるはず。しかし現時点では、彼のバットはジャック・ズレンシックGMをやきもきさせる存在にしかなっていない。