この小説に賛成? それとも反対? 高橋源一郎の“大問題作”

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 未曾有の大災害となった「3・11」が起き、原子力発電所の事故が表面化した直後からしばらく、確かに表現の世界には異様な雰囲気が漂っていた。「自主規制」だとか、もしくは「自粛」だとか、そういう通常の言葉ではとても言い表せないような、「表現」を根底から覆すような「何か」が流れていたように思う。あれから半年以上が経って、そうした空気は以前ほど感じられなくなってはいるが、「あれは一体なんだったのだろう」と考えても、未だにちゃんとした答えが出てこないのである。

 そうした最中で、震災や原発事故をモチーフにした文学を提示した作家がいる。
 川上弘美さんは震災後、『神様 2011』(『群像』2011年6月号初出、後に講談社刊)を発表する。これは川上さんが18年前に書いた『神様』という短編を書き直したものなのだが、このとき、書き直す前と書き直した後の2つの作品を同時に雑誌に並べて掲載したのである。『神様 2011』には『神様』のときには出てこなかった、原子力関係の用語が使われる。『神様』のときに出てきた子どもは出てこない。かわりにいるのは防護服を身に付けた作業員だ。
 この作品は話題となった。作家の高橋源一郎さんも「奇妙なこと」だと、『恋する原発』(講談社刊)の中でつづられている「震災文学論」という評論で指摘し、作品を分析している。閉塞した空気が流れていた表現の世界に、一石を投じたできごとであったということは、言えるのではないか。

 そんな高橋さんの『恋する原発』も、震災と原発をテーマにした小説である。
 大震災のチャリティーとしてアダルトビデオを製作しようとする男たちを描いた“愛と冒険と魂の物語”との触れ込み(帯)で、作中には下ネタが並び、政治ネタにも突っかかり、場面転換には放射能マークを使う。タブーだらけの世界、見ないよう考えないようにしてきた事柄に真っ向から挑んだ作品だといえる。
 しかし、あまりの内容の過激さ(というべきなのかどうかは分からないが)のためか、『群像』10月号での掲載が見送られ(11月号に掲載)、さらに早稲田大学で行われた高橋さんの講演会で、この「恋する原発」という言葉を使った広報が禁止されたそうだ。

 高橋さんは、これまでナンセンスギャグや下ネタを入れ込んだ作風の小説を執筆し、新たな文学の旗手として佳作を発表し続けてきた。そういう意味では、この作品は高橋さんらしい作品といえようが、「原発」や「震災」がその作風に組み合わさったことで、どうして人々の目は変わったのだろうか。
 上記の早稲田大学講演会の一連の騒動をまとめたTogetterページ「『恋する原発』は『あり』or『なし』?」( http://togetter.com/li/196059 )の議論では、「表現の自由はあるけれども、あまりに社会的にセンスのないタイトル」といった否定的な声もあがっていたが、その一方で、ツイッター上に並んだ本書の感想には賛成の言葉も多い。

 ツイッター等で話題となり賛否両論を生んでいる本作。「3・11」をきっかけに大きな論争を呼んだ「表現のあり方」について、私たちは「不謹慎だ」「表現は自由だ」という思考のみで止まることなく、考え続けなくてはならないのかも知れない。震災後、表現者もみな、混乱したのだ。これは単純な話ではない。
 その混乱から一歩を踏み出すために、みんなが次の問いをじっくり考え、まずは自分なりの答えを見出す必要があるのではないだろうか。

 「あなたはこの小説に賛成ですか? それとも反対ですか?」
(新刊JP編集部/金井元貴)



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