岡田ジャパンの初戦(対チリ戦)は3万7261人(満杯率=75%)。第2戦(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦)は2万6971人(54%)。そして6日に行われた対タイ戦の観衆は3万5130人(55%)だった。途中から雪模様になった悪天候を考えれば、やむを得ない面なきにしもあらずだが、いずれにしても岡田ジャパンが、スタートから低満杯率を続けていることは事実である。
 困ったことはそれだけではない。いずれもナマ観戦し損なったことを悔やむような試合内容ではない点だ。寒い中、敢えてスタンド観戦するに足り得るエンターテインメント性に、著しく欠けているのである。お茶の間で観戦した人を「次の試合は絶対に、スタンドで見てやるゾ!」と、悔しがらせる内容だとは思えない。
 
 でも、ゴール裏のサポーター席は違った。90分、ずっと盛り上がりっぱなしだった。例によって、ジャンプしながら応援歌を歌い続けた。傍目にはずっと喜び続けている風にしか見えない応援を、抑揚なく繰り返した。人間が本来備えているはずのナチュラルな感情を、敢えて押し殺しているのだろうか。喜怒哀楽の「怒哀楽」をそこに見いだすことはできないのだ。お寒い試合内容に対し、怒りの気持ちは少しも湧かないのだろうか。ブーイングで、ハッパを掛けようという気は少しも起きないのだろうか。
 もっともその数は、最近グンと数を減らしている。最盛期はゴール裏席から溢れ、一般席まで広がっていたものだが、最近は、その数分の一に縮小している。タイ戦が行われた「さいスタ」も、片側ゴール裏席の3分の1程度を埋めたに過ぎなかった。
 
 ゴール裏に陣取るサポーターの年齢層は概して若い。40代のおじさんを、そこに発見することは難しい。思えば「ジョホールバル」のときに、30歳だったファンはいまや40歳。「ドーハの悲劇」のときに30歳だったファンは44歳だ。2002年の日韓共催W杯からも、もうすぐ6年が経過しようとしている。
 野球は大人のスポーツ。サッカーは若者のスポーツといわれた時代は、終わろうとしている。ここ2、3年でファンになった人の絶対数は、そう多くいない。全サッカーファンに対する新規参入者のパーセンテージは、微々たるものになっている。サッカーも、大人のスポーツになってきたというわけだ。
 
 つまりファンの目は肥えてきた。吟味したり、選別したりする力を備えたファンが主流になっている。最近のスタンドに目立つ空席は、その象徴といっても良いだろう。チリの2軍、ボスニアの2.5軍との親善マッチに、うん千円は払えないのだ。いくらW杯予選とはいえ、相手が弱小のタイでは、物足りなさを覚えるようになっている。
 だから岡田サンも、10年前と同じ「ノリ」で、代表監督に就いてはまずいのだ。ファンがこの10年で成長した分と同じだけ、岡田サンも監督として成長していなければ、代表のサッカーは、かつてと同様の、魅力的なエンターテインメントにはなり得ない。
 
 悪く言えばスレてしまったファンの目を、カッと見開かせるような画期的かつ斬新なサッカーでないと、日本代表産業のさらなる発展は見込めない。「世界を驚かすサッカーを!」という前に「日本を驚かすサッカー」をしなければダメだ。日本人をワクワクさせるようなサッカーじゃないと、世界をワクワクさせることはできないのだ。目が肥えているのは彼らの方。順序を間違えてはいけない。
 そんなこんなを考えると、僕は心配で、岡田サンのケツを叩きたくなる。いや、背中を押したくなる、か。いずれにしても、タイに4−1で勝ったからといって、「喜」の感情は、これっぽっちも湧いてこないのである。(了)

杉山茂樹
1959年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、サッカーを中心とするスポーツのフリーライターとして多数の雑誌に寄稿するほか、サッカー解説者としても活躍。1年の半分以上をヨーロッパなどの海外で過ごし、精力的に取材を続けている。著書には、『史上最大サッカーランキング』 (廣済堂刊)『ワールドカップが夢だった』(ダイヤモンド社)など多数。
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