タモリというお笑いの巨人が持つ圧倒的な凄み
「笑っていいとも!」の番組終了の裏に隠された、テレビ局とタモリの確執とは?(写真:getty)
平成終了まで、あとわずか。この31年間、人気番組の終了や大物タレントの引退など、お笑い業界にもさまざまな変化があった。タモリが司会を務めたバラエティ番組「笑っていいとも!」の終了も、そのひとつ。
30年以上続いた国民的長寿番組が突然終了したのはなぜか? 平成の世を駆け抜けたお笑い芸人の歴史と事件を振り返った『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)から、一部抜粋してお届けする。
「俺、聞いたんやけど、『いいとも』終わるってホンマ?」
2013年10月22日放送の「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で、突然乱入してきた笑福亭鶴瓶が妙なことを言い出した。さらに妙だったのは、これに対してタモリが平然とこう答えたことだ。
「来年の3月で、あの、『いいとも』は終わりますよ」
「いいとも」の終了が公に告げられた歴史的瞬間だった。あまりに唐突な発表だったため、ほかの出演者も観客もどう反応すればいいのかわからないようで、あからさまに戸惑っていた。タモリの口ぶりは事の重大さに似つかわしくないほど普段どおり淡々としていた。それが混乱に拍車をかけていた。
「いいとも」が終わるのではないかという噂話は少し前から飛び交っていた。タモリは「マスコミに知られて報道されてしまうよりは、自分たちで先に言ってしまったほうがいいだろう」と思い、鶴瓶を飛び入りさせて発表を行うことにしたのだ。
「いいとも」の長い歴史の中では、生放送ならではのハプニングがたびたび起こっていたが、最後にして最大のサプライズはMCであるタモリ自身が仕掛けた形となった。
タモリとスタッフの確執
週刊誌報道によると、これ以前からタモリと「いいとも」のスタッフの間では不協和音が鳴り響いていたのだという。終了が発表される少し前から、視聴率が下降線をたどっていて、裏番組の「ヒルナンデス!」「ひるおび!」に負けることが多くなっていた。
そこで、2013年4月から総合演出として新しいスタッフが加わり、テコ入れをすることになった。彼は40歳以上の主婦層をターゲットにして巻き返しを図ろうとしていた。
タモリはこれに反対した。目先の視聴率を意識しすぎると本来の視聴者を失うことになってしまう、と主張したのだ。だが、総合演出はタモリの意見に耳を貸さなかった。オネエ系のイケメンを紹介する「オネメンコンテスト」など主婦層向けのコーナーが始まった。
タモリはこれに納得せず、このコーナーのときには舞台から姿を消し、ボイコットをするようになった。MCであるタモリが番組の一部に出ないというのはそれまではありえないことだった。その後、タモリはしばしば番組中にいなくなることがあったのだが、これに関して番組内では何の説明もなかったため、視聴者の間でもさまざまな臆測が飛び交うようになっていた。
そんな状況の中で、タモリが自ら降板を申し出た。フジテレビ側は必死で引き止めたが、タモリの意志は固かった。最後は自分なりのやり方で番組の幕引きを図った。
終了発表から実際に終わるまでの半年間は、「いいとも」という歴史的な番組のウィニングランとでも言うべき期間だった。ほぼ通常どおりの内容ではあったが、「テレフォンショッキング」のゲストとして、普段は出ないような豪華な顔ぶれが見られたりした。
マツコ・デラックス、萩本欽一、ナインティナイン、所ジョージ、安倍晋三、木村拓哉、黒柳徹子などがこの時期に出演していた。中でも、現役の内閣総理大臣である安倍の出演は大きな話題になった。
2014年3月31日の最終回のゲストは、タモリと並ぶ「お笑いビッグ3」の1人であるビートたけしだった。たけしは、もともと「いいとも青年隊」として「いいとも」に出ていた羽賀研二が詐欺事件で逮捕されたことなどを盛り込んだ毒舌ネタ満載の表彰状を読み上げて、「いいとも」の最後を祝った。
とんねるずとダウンタウンが奇跡の共演
そして、最終回の昼の生放送は何事もなく終わった。タモリも普段どおり淡々と番組を締めくくっていた。というのも、この日の夜に放送された特番「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」こそが、実質的な最終回だったからだ。
「グランドフィナーレ」の冒頭では、タモリが長年ファンだと公言していた吉永小百合が、中継で初めて「いいとも」に登場。いつも冷静なタモリが珍しく本気で照れている姿が新鮮だった。番組の中盤では、お笑い界のレジェンド芸人が次々に出てきて、順番にタモリとトークをすることになっていた。
ところが、1組目に登場した明石家さんまが延々としゃべりまくり、次のゲストが出てくるタイミングがなかった。そこで、次に出るはずだったダウンタウンが、ウッチャンナンチャンを引き連れて飛び入りしてきたのである。
ダウンタウンの松本人志は「われわれもほら、とんねるずが来たらネットが荒れるから」と言っていた。昔からダウンタウンととんねるずは不仲であるとか共演NGだと噂されていたため、それを自らネタにしたのである。
ここで誰もが予期していなかった事態が起きた。ダウンタウン、ウッチャンナンチャンに続いて、とんねるずが乱入してきたのだ。石橋貴明は開口一番「なげーよ!」と噛みついた。
さらに、爆笑問題、ナインティナインもそこに加わり、タモリ、さんま、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、ナインティナインの7組が同時に出ているというテレビ史上初の光景が展開されることになった。
一流芸人たちの「あうんの呼吸」
のちに芸人たちがラジオ番組で明かしたところによると、松本が「とんねるずが来たらネットが荒れる」と発言した瞬間、楽屋のテレビでそれを見ていた石橋が乱入を決意して、マネジャーに「(木梨)憲武に行くぞって言え」と声をかけた。連絡を受けた木梨も「行く」と即答した。石橋は着替えて準備を終えると、爆笑問題、ナインティナインにも声をかけて、一緒に乱入することにした。
この経緯を振り返ると、松本と石橋が一流芸人ならではのあうんの呼吸で無言のやり取りをしていたことがわかる。松本は「ネットが荒れる」発言でとんねるずを誘い込んだ。そして、石橋がいち早くそれに勘づいて、誘いに応じることにしたのだ。
先輩であるとんねるずが出ていくと言えば、爆笑問題とナインティナインはそれに従うしかない。この2組もそれぞれにダウンタウンとは遺恨があると噂されているのだが、そんなことを構っていられる状況ではなかった。こうしてテレビ史上初の、そして恐らく最後の超豪華共演が実現したのである。
この共演劇が感動的なのは、松本と石橋のやり取りがほとんどの視聴者に気づかれることなく暗黙のうちに行われていた、ということ。そして、お互いが利害や対立を超えて「番組を盛り上げる」という目的のために動いたということだ。
このような奇跡的な共演が実現した裏にあるのは、タモリという人間の人徳だろう。タモリという媒介がなければ、彼らが共演することは決してなかったはずだ。この瞬間、タモリがお笑い界を1つにつなげたのである。
当時、私は「グランドフィナーレ」を見ていて、一視聴者としてこのうえなく興奮も感動もしたのだが、心の片隅でふと「あっ、これはテレビ自体の最終回なんだな」と気づいてしまった。
もちろん、報道機関としてのテレビ、気晴らしとしてのテレビは今後も存在し続けるに違いないのだが、ここで言う「テレビ」とはそういう意味ではない。数千万人規模の大衆がそれだけを求め、心を奪われ、酔いしれる。そういう意味での「テレビ」はこれで最後なんだな、というふうに感じられたのだ。
華やかでにぎやかな「祝祭」としてのテレビ、「楽しくなければテレビじゃない」のテレビは、あのときに大団円を迎えたのだと思う。
自由になったタモリ
「いいとも」はフジテレビの、そしてテレバラエティの精神的支柱のような存在だった。その後、フジテレビでは「SMAP×SMAP」「ごきげんよう」「とんねるずのみなさんのおかげでした」「めちゃ×2イケてるッ!」など、歴史を彩った長寿バラエティ番組が次々に終了していった。
一方、タモリというタレントにとっても「いいとも」終了は重大なことだった。「いいとも」が終わることでいよいよタモリのタレント生命にも限界が見えてくるのではないか、という説もあった。何しろ終了時点でタモリは68歳という高齢である。メインの仕事だった「いいとも」を失ってしまえば、そこからさらにタレントとして飛躍するのは難しいのではないかと思われていた。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、それは杞憂にすぎなかった。「いいとも」が終わった後、タモリは今まで以上にのびのびと好きなことに打ち込む活動を始めた。長期休暇を生かしてプライベートでも妻と豪華客船クルージングに出かけていることなどが報じられた。
また、過去に何度かレギュラー放送されていた「ブラタモリ」は2015年から毎週放送されるようになり、どの回も高視聴率を記録している。むしろ「いいとも」という枷が外れたことで、タモリ自身はますます活発で自由になっているようにも見える。32年続いた「いいとも」でさえも、タモリという巨人を彩るほんの1ピースにすぎないのである。