女の嘘:「私、一人じゃ生きていけない…」男が簡単に騙される“子鹿女”の裏の顔
女は、息を吐くように嘘をつく。
それは何かと敵の多いこの世の中で、力に頼らず生き抜くために備わった、本能ともいうべき術なのだ。
それゆえ女の嘘は自然であり、かつ巧妙。特に男が見破ることなどほぼ不可能である。
これは、日常の彼方此方に転がる“女の嘘”をテーマにした、オムニバス・ストーリー。
第1話:子鹿女・奈美の持論
-私は、か弱い女のフリをして生きよう-
そう決めたのは、確か小学生の頃。
けれどそういう立場にいると反感を買うことも多くて、正しいことを指摘しているだけなのに大人から「思いやりがない」とか「弱い者の気持ちがわからない」とか言われて面倒でした。
そんな時、何かでこんな話を読んだんです。
ライオンと対峙する子鹿の話。
小さくてか弱い子鹿が、大きくて強そうなライオンと向かい合っている。
そのシーンを見た10人中10人が「子鹿がかわいそう」「か弱い子鹿を助けてあげたい」と思うでしょう。
もしかしたら、ライオンは強そうに見えるだけで、本当は子鹿を虐めるつもりなんかないかもしれない。逆に子鹿の方が、か弱そうに見せているだけで物凄い凶暴かもしれない。
けれど見ているだけの人は真実など知る由もなく、子鹿を助けようとするに違いない、というお話。
ああ、つまり人って結局、自分より弱い人、馬鹿な人、不幸な人が好きなんだって。自分より強そうな者を憎み、弱そうな者に手を差しのべようとする、そういう生き物なんだって。
…だったら私は、子鹿側の女になってやる。
そう、幼心に悟ったんです、私。
時は経ち、26歳になった奈美。小学生の頃に悟った持論の正しさを痛感する出来事が起こる。
あっさり捨てられる、“強そうな女”
「…佐江、大丈夫?」
西麻布『亀吉』の半個室で、私は急に黙り込んでしまった佐江を覗き込んだ。
大学時代からの親友・佐江は大手広告代理店で働くバリキャリ。
普段はかなり忙しそうで、“仕事終わりに食事でも”と誘いのメールをしても“22:00以降なら”などと言われてしまい、有名どころとはいえ弁護士秘書の私とはまるで時間が合わない。
それなのに今日は佐江のほうから“話を聞いてほしい”と連絡があったのだ。
…直感で、ピンときた。それで私は、人目を気にせず話せて、かつ佐江の大好きなモツ鍋が良いだろうと考え『亀吉』を予約したのだ。
そして案の定、その直感は当たっていた。
佐江には1年ほど付き合っていたテレビ局勤務の男(剛・30歳)がいたが、つい先日、彼の部屋で見覚えのないヘアクリップを発見したらしい。
そして当然の如く浮気を問い詰めたところ、佐江の方がフラれてしまったというのだ。
「剛くん、一体どうしちゃったのよ。本命は佐江のはずでしょ?…って、そもそも浮気自体あり得ないんだけどさ。ああムカつく。私が行って、一発殴ってやりたいわ」
私の目の前で、佐江は今にも泣き出しそうなほどに落ち込んでいた。
むしろ話を聞いているだけの、部外者のはずの私のほうが、問題の彼・剛に対し怒りがふつふつと湧いてくる。
剛には一度だけ会ったことがあるが、何がそうさせるのか妙に自信満々で、女性に対し上から目線で口を利くのが私は最初から気に食わなかった。…そういう男こそ、実際は小心者なのに。
「奈美、ありがとう…。でも、もういいのよ」
憤慨する私に、佐江はそっと前髪をかきあげ、儚げに首を振った。
「もういいって…このまま引き下がるの?」
彼女の言葉に目を丸くしながら、私は佐江が自分とは真逆の性格をしていることを思い出した。
実際の佐江は、私なんかよりずっと女っぽく、情にもろく、繊細なハートの持ち主。しかしそれをあえて隠すようにかっこいい系の服を選び、眉尻も目尻も上がったクールなメイクで、どこから見ても自立したいい女を演じているのだ。
見た目だけではない。例えばこれまでの恋バナを振り返ってみても、私とは彼氏への接し方がまるで違うのだ。
佐江は、実際は乙女なくせに、男にワガママを言うことも甘えることもないらしい。むしろ彼氏がいても率先して重い荷物を運んだりすると聞いたこともある。
…そんなの、私にはありえない。
今回のことも、私が佐江の立場だったら、絶対に黙って引き下がったりなんかしない。何が何でも、彼を取り戻そうとするだろう。
しかし佐江に、そんな発想はないようだ。
「私、剛にいい女だったって思ってほしいの。剛は私の、芯の強いところが好きだって言ってくれた。だから…泣きも縋りもしたくない」
何かを吹っ切るように顔をあげると、佐江ははっきりとそう言った。
その表情には強い自尊心が滲んでいたが…しかしその声はかすかに震えていたし、実際、彼女は大好物のはずのモツ鍋も喉を通らないほど落ち込んでいるのだ。
-女が強く見せて、いいことなんかないのに。
そう思わず言いかけて、しかし私は途中でやめた。
佐江だって、美しく賢い女だ。そんな彼女がわざわざ自分を強く見せるのに、理由がないわけがない。おそらく彼女はどこかのタイミングで、脆く弱い自分に生きづらさを感じたに違いないのだ。
不器用だとは思うが、否定することはできなかった。
「佐江は正真正銘、いい女だよ。…剛くんには勿体無い」
私は居た堪れない思いで、佐江の手を握った。
…本当に、男ってやつは上っ面しか見ていない。
佐江を振った男は、彼女が本当は懸命に涙をこらえていることなど知る由もなく、今ごろ「助けて!」と声高に叫ぶ別の女に手を差し伸べているに違いないのだ。
-女は、か弱いフリをしておくに限るー
私はこの夜、改めて持論の正しさを思い知った。
佐江の失恋話に心を痛める奈美。しかし、か弱い自分を演じ続ける奈美は、それで幸せなのかというと...?
彼の目に映る、偽物の私
「ただいまー」
佐江と別れたあと、私は半同棲中の彼・翔太(28歳)の家に戻った。
総合商社に勤める彼は乃木坂にマンションを借りているので、夜に予定がある日は翔太の家に泊まらせてもらうのが常だ(私の家は学芸大学にあるため、ちょっと遠い)。
「ねぇ翔太、聞いて!今日ね、佐江と会ってたんだけど…」
翔太はソファにうつ伏せで寝転びながら、何やら動画を見ていたけれど、私はお構いなしに甘えたそぶりで抱きつくと、彼のスマホを取り上げる。
しかし翔太は私のワガママなど慣れたもの。「もー、見てたのに」と膨れながらも、その目はまったく怒っていない。
「だって大変だったの。佐江の彼がね…」
ソファで彼に抱きついたまま、先ほど佐江から聞いた話を今度は私が翔太に話す。
その言葉尻は佐江が話したものより随分と乱暴になっていたが、それは私のフィルターを通してしまっているから仕方がない。
興奮気味にまくしたてる私の話を、翔太は「うん」とか「それで?」とか言いながら穏やかに聞いてくれる。
翔太は本当に優しい男で、私は彼のこういうところが大好きなのだ。…まっすぐで、誰のことも疑わない素直なところが。
「…ひどいと思わない?」
ようやくすべてを語り終えると、私は同意を促すべく彼に問いかける。
しかしそんな私に、翔太は突然冷たい眼差しを向けてきた。
「奈美はどうする?…もし俺が、別れようって言ったら」
「…え?」
ふいにそんなことを聞かれ戸惑ったが、私はその刹那、条件反射の如く泣き顔を浮かべた。
「そんな…そんなこと言わないで。私は翔太がいないとダメだって、生きていけないって、知ってるでしょ?」
そう言いながら、私は自らの言葉に感極まってしまったようで、知らぬ間にほろり、と涙まで溢れた。
「ちょ…泣かないで、冗談だよ。そうだよな、奈美は一人じゃ虫も殺せないもんなぁ。大丈夫だよ、俺がそばにいてやるから」
翔太は慌てた様子で私を抱き寄せると、「冗談に決まってるだろ」と実に満足そうな様子で笑った。
そんな彼の腕の中で私は、自分が翔太の目に“子鹿”として映っていることを再確認し、ホッと胸をなでおろす。
愛してくれるなら、優しくしてくれるなら、そう思っていてくれればいい。
それは...偽物の私だけれど。
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