先日まで出現確率がUPされていた『武蔵』

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【ほぼ週刊艦これ通信】

今再び注目される大和型戦艦

 先頃、海底に眠る姿が確認されたことで一躍話題になった戦艦『武蔵』。テレビやネットの報道で繰り返し今の姿が映し出され、プラモデル売り場には同艦の商品が並べられている。

 旧日本海軍が生み出した巨大戦艦――大和型の2番艦である『武蔵』は長崎で建造され、1942年(昭和17年)8月5日竣工。当時世界最強とも言われた46cm三連装砲を3基搭載し、横幅の広い船体の主要区画は、滅多なことでは貫かれないだろう分厚い装甲で覆われていた。

 また戦時中に数度の改装を受け、1番艦『大和』が高角砲多数を装備したのに対し、『武蔵』は機銃を針鼠のように載せていたとされる(高角砲の製造が間に合わなかったため)。

 沖縄近海で悲劇的な結末を迎えた『大和』と比べ、『武蔵』はこれまであまりスポットを当てられることがなかった。だが、彼女の辿った道も『大和』同様、間違いなく悲劇への一方通行だった。

「そんな攻撃、蚊に刺されたようなものだ!」

 1944年(昭和19年)10月、マリアナ諸島など中部太平洋を制した連合国軍は、日本の継戦能力を失わせるべく、フィリピン諸島を目指した。フィリピンは開戦初頭に日本が占領しており、重要な海上交通路――シーレーンの中間に位置していた。

 フィリピンを奪われれば、日本は立ち枯れる。しかし同年6月のマリアナ沖海戦などで航空戦力のほとんどを失っていた旧日本海軍には、戦艦『大和』『武蔵』『長門』『扶桑』『山城』『金剛』『榛名』しか「主力」と呼べる艦が残っていなかった。

『伊勢』『日向』はこの時点で航空戦艦に改装されており、空母も『瑞鶴』『瑞鳳』『千歳』『千代田』が残存していたが、載せられる航空機もなく、練度の高い搭乗員も失われていた。

 そこで空母や旧式戦艦を囮にして、『大和』や『武蔵』を敵の攻略部隊へ突っ込ませるという、非情な作戦が実行された。だが敵も当然、攻略部隊――最終的には20万近い兵士たちを守ろうと、全力で防戦する。

 狭いシブヤン海で回避運動もままならないところを、『武蔵』は5波・延べ200機以上からの空襲を受けた。爆弾多数と魚雷20本という命中弾に耐えた『武蔵』だが、随伴していた駆逐艦『島風』や『清霜』『浜風』に生存者を託すと、その海で永遠に脚を止めた……。

「ああ、この主砲を存分に撃ち合いたかったな」

『艦隊これくしょん -艦これ-』における『武蔵』は、大和型戦艦として恥じない攻防性能をもち、新たな生を得て戦場に赴くことを喜んでいるかのようなセリフが多い。ただそれは「戦いを嗜む」という側面と同時に、「自分がもつ能力を思う存分発揮できる場所を得た」という喜びにも受け取れる。

 充分な働きのできなかった鬱憤を晴らす……今度こそ、守るべきものを守るという誓いを果たす――『艦これ』の艦娘たちは、無念の想いや課せられた責任を果たそう懸命に“生きる”姿が一貫して描かれている。海底で眠る『武蔵』もまた、この自身の新しい絵姿を楽しんでくれていると信じたい。

(取材・文/秋月ひろ)