脳科学者 茂木健一郎氏

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脳がいちばん喜ぶのは「変化」だ。だから、あらゆることが生々流転する現代社会は、脳にとって最高に楽しい状況だといえる。言い換えれば「変化を楽しめない人」は生き残れない──。

■なぜ学歴エリートほどリスクを取らないか

【脳科学者・茂木健一郎】津坂さんは外資系投資ファンドの日本法人の代表としてグローバルな投資を手がけられていますが、現在の日本は魅力的な投資先なのでしょうか。海外での会合に参加するたびに、グローバルに経済を見ている人たちが、日本の社会や企業に対して強い不満を抱いているのをひしひしと感じます。いったいこの国はどうなってしまうのでしょうか。

【TPGキャピタル代表・津坂 純】大きな危機であると同時に、大きな転換点を迎えているのだと思います。エズラ・F・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されたのが、1979年。その後、貿易摩擦などから「ジャパン・バッシング(日本叩き)」が始まり、バブル経済が崩壊。「失われた10年」を経て、「バッシング」は「パッシング(日本外し)」に変わりました。日本への関心度の低下が続いています。たとえばダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でも、日本人の発言が注目を集めることは滅多にありません。

【茂木】2011年度のヤング・グローバル・リーダーズに選出された齋藤ウィリアムさんが、ダボス会議についてこう話していたのが印象に残っています。

「ダボス会議は基本的にどのセッションも定員オーバーになるのですが、11年1月に菅直人首相(当時)がスピーチをしたときには聴衆が集まらず、政府関係者が慌てて人を集めていたんですよ」

なぜこんなことになったのでしょうか。

【津坂】グローバルなシステムの中で、現在の日本がうまく機能していないことが、大きな要因でしょう。それは金融の世界だけではありません。東京大学が「秋入学」への全面移行を提案し、話題を集めました。世界の主要大学は秋入学なのに、日本だけが「春入学」にこだわっている。秋か春かは、「small thing(取るに足らないこと)」ですが、結果として日本の大学は世界から取り残されてしまった。それでもまだ危機感が十分ではありません。人より目立つな。全員が一等賞なのだ。そんな横並びの現状維持の発想が根強いように感じます。

【茂木】「東大が秋入学になるかどうか」は騒ぐほどのことではありませんよね。変化としてはむしろ「not enough(十分ではない)」です。あらためて思うのは、日本のエスタブリッシュメントやエリートと言われてきたような人たちが、まったくリスクを取ろうとしないことです。リスクを取らないことが最大のリスクなのに、そこから目を背けている。

【津坂】同感です。やはり危機意識が希薄な気がします。英語では「out of the box thinking(箱の外の思考)」と言いますが、グローバルな競争に勝つためには、従来の枠にとらわれない発想で物事に取り組む必要がある。言い換えれば、既存の秩序を壊していかなければならないのです。戦後、日本人は必死に働きました。いまより英語が苦手だったのに、「馬鹿野郎、売り上げが立つまで帰ってくるな!」と会社に言われて、海外を飛び回った。電機、自動車、商社、銀行、いずれもそうです。60年代までの日本は必死に頑張る国でしたし、素晴らしいイノベーターもたくさんいました。

■市川海老蔵はハーバードなら合格

【茂木】僕は東大理学部を卒業してから、東大法学部に学士編入したのですが、その同級生たちには失望しました。自分の将来について、「大蔵省に入って、3年後には地方の税務署の署長になって、地元の名士の娘と結婚して、官僚のうちはあまり給料を貰えないから妻の実家のお世話になって、天下りを2回して、退職金をたくさん貰って――」といった話を真顔でするからです。この学部はもうダメだとつくづく思いました。津坂さんは高校卒業後にハーバード大学に進み、現在は日本の「ハーバードクラブ(同窓会組織)」の役員をお務めです。東大とハーバードの違いとは何なのでしょうか。

【津坂】ハーバードの教育のすべてがいいと言うつもりはないのですが、ほとんどの授業が議論の中で進められます。「正解は何か」を求めるのではなく、「よりよい結論に至るプロセス」が学びの中心に据えられているからです。

【茂木】NHKが「ハーバード白熱教室」という番組でマイケル・サンデル教授の「Justice(正義)」という政治哲学の授業を紹介したところ、大きな反響がありました。教室には1000人を超える学生が詰めかけていますが、対話形式で授業が進んでいきますね。

【津坂】ハーバードでは「ソクラティック・メソッド」と呼ばれています。古代ギリシアの哲学者ソクラテスのように、教師と生徒が対話を重ねながら問いを掘り下げていくシステムです。

【茂木】日本からの留学生は、まずそのスタイルに驚くそうですね。教師は正解を示そうとせず、いつまでも議論が続く。日本の教育システムでは、正解を覚え込むのが勉強とされてきました。日本の文系エリートを養成してきた東大法学部では、いまだに多くの教授たちが90分間しゃべり続け、学生たちはそれをノートに取り続けている。情報のやりとりは一方的で、学生は、教師が言ったことを覚えることを求められるわけです。

日本では「ハーバードは優秀」と言うときに、偏差値というヒエラルキーでトップにいる東大と同じようなイメージを当てはめがちですが、それは全然違うんですよね。多言語話者について書かれた『Babel no more』(未邦訳)という本には5カ国語を操るハーバードの卒業生が出てきます。彼のIQは105だったそうです。よく冗談で言うのですが、歌舞伎俳優の市川海老蔵は、東大には絶対に入れないと思いますが、英語さえできればハーバードには入れる可能性がある。

【津坂】もちろん数学や語学力など、入学に際して基盤となる能力は必要です。しかし、米国の大学は受験生の総合力で判断します。アカデミー賞主演女優賞のナタリー・ポートマンも、ハーバードを卒業していますね。日本の教育制度では、そういう「その他」が評価されません。

【茂木】AO入試は、日本では「ゆるい入試」とほぼ等価になっていますよね。どうも日本人には「全人格的な判断をされたくない」という風潮があるようです。

【津坂】どういう意味ですか?

【茂木】ツイッターでの反応なんですが、単に試験で測られるのはいいけれど、人間として裸にされてジャッジされるのは嫌だというんです。しかしアメリカでは、人間としての魅力や力を訴えていくことが常に求められますよね。

【津坂】いまは世界的に転換期にあると思います。たしかに日本は「失われた20年」を過ごしました。でも、見方を変えると、これから新しい「100年勝負」が始まるところともいえます。インターネットの影響が大きいですね。英語が世界の言語になり、英語を学べば世界中とつながることができる。そしてソーシャルネットワークやEコマースなど、これまでとは秩序の違う世界が出てきました。

【茂木】同感です。僕はインターネットについては非常にパッションを持っています。僕の専門である脳科学の視点から見ると、インターネットの本質は「contingency(偶有性)」なんです。日本語に訳しづらいのですが、「必然と偶然が混ざり合う状態」という意味です。規則性はあるが、ランダムな要素もあるため、何が起きるかわからない。だから様々なリスクとチャンスがあるわけです。

こういう世界と向き合うためには、東大よりもハーバードの教育のほうが優れていることは明らかです。正解を覚え込ませる教育は「偶有性」を扱えない。

【津坂】インターネットを使えば、どれだけ夢が実現するのかということを、教育でバンバン教えていくべきですよね。大切なのは、たったひとつの正解に満足することではなく、よりよい答えを求めて常に問い続ける姿勢です。誰しもある予測のもとに計画を立てて動き出すわけですが、予測が外れても次の手を打てばいい。残念ながら、日本ではエリートほどリスクを取らない傾向がありますね。

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TPGキャピタル代表 津坂 純
1961年、東京都生まれ。ハーバード大学卒業。ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。メリルリンチ、ゴールドマン・サックスなどを経て2006年からTPGキャピタル代表。TPGは運用資本4兆円以上のPEファンド。卒業生組織である日本ハーバード・クラブのディレクター(役員)も務める。
脳科学者 茂木健一郎
1962年、東京都生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。著書に『脳と仮想』(新潮社)など。

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(山田清機=構成 門間新弥=撮影)