『独居老人スタイル』都築 響一/筑摩書房
味わい深いカバー絵とカバー裏のオブジェは、本書に登場する独居老人によるもの。

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本文の前におかれる、カラー写真からインパクト十分。
全裸で逆立ちしていたり、ゴミだらけの部屋に住んでいたり、首をつっていたり(死んではいない)する老人たち。

現代美術や建築・写真・文芸などさまざまな分野で、誰もが気付かなかった鉱脈を掘り当てる都築響一。今回注目したのは、高齢化社会の日本で増加傾向にある、一人暮らしの高齢者だ。
『珍日本超老伝』・『演歌よ今夜も有難う』といった、年配率高めのユニークな人々を取材した著作、その続編といえる本書『独居老人スタイル』。
著者が独居老人たちに聞く事柄は、大まかに分けると2つ。現在の一人暮らしに至るまでの経緯と、どのような生活を送っているか。シンプルな問いから、彼らの見た目だけではわからない、意外な半生や日常が浮かび上がってくる。

たとえば先ほど挙げた、首をつる老人・首くくり栲象(たくぞう)さん。
昭和22(1947)年生まれの栲象さんは、高校を卒業して、演劇を志し群馬から上京。パフォーマンスアートに、突如目覚める。上野公園で猿回しの芸を見たからかもしれない。というものの、痙攣パフォーマンスを経て、なぜ首をつることにしたのか自分でも理由はよくわからないと話す栲象さん。
理論ではなく、感覚で生きる人なのである。

現在は、自宅の庭を舞台にしての公演「首くくりアクション」を、十数年に渡り行っている。開催は、月に4、5日。ただし、それ以外の日も日課として首はつる。
合間にすることといえば、コーヒーを飲んだり、本を読んだり。最後は、こたつに潜り込んで寝ることの繰り返しを黙々とこなす。
毎日首をつる理由について、芸能とは〈昨日の内容っていうのが、今日も当てはまるとは限らない〉からだと語る栲象さん。
同じことをしているようでも、昨日とのパフォーマンスの質の違いや課題を確認するために、一日一日が重要なのだ。

本書に登場する老人のほとんどは、自分なりの生活パターンを持っている。その中に、首つりのような傍から見れば非日常の出来事が、習慣として溶け込んでいる。本人はそれを特別なこととも思ってもいないし、誰かに評価されたいとか、何かを成し遂げたいとも考えていない。
だからこそ、人の目に触れることのなかった業績や財産が、思わぬところに転がっていたりもする。

昭和9(1934)年生まれの輸入洋品雑貨屋『ラスタ』店主、水原和美さん。レゲエ・エスニックファッションに身を包み、常連の若者たちとしゃべったり、店が終わっても彼らとドライブしたりと、忙しい日々を過ごす。
近所の老人たちのゴシップや病気の話なんて興味なし。同年代の友達がいるかという質問に、〈ひとりもいないわよ、大っ嫌いだから!〉。
若々しい老人だ、で済ませることは簡単だけど、本書はそれだけで終らない。
カメラが趣味という水原さんは、仕入れを兼ねて海外へ出かけた時に撮影した写真を見せてくれる。
そこに写る現地の人々であり、彼らの着る衣服。それは、他の文化圏のファッションを、水原さんの視点で切り取った貴重な記録でもある。
単に派手で威勢がいい老人、というわけでない。未知の世界の価値観を受け入れ、物の良し悪しを自分の目で見極めてきた自信と懐の深さが、言葉であり姿勢となって表れているのだ。

そんなマイペースに生きる独居老人たちのおもしろさを、笑いにして体現する男が浅草の街にいる。
昭和25(1950)年生まれ、芸能界での活躍を夢見て牧伸二や泉ピン子の付き人を経験するも、大成しなかった。
ディズニーランドのダンサー、ストリップの合間のお笑い、山小屋の従業員。一つの場所にじっとしていられず、興味を持ってしまったが最後、〈ああ、俺はこれがやりたかったんだ〉と職を転々とした。失恋もした。やがて行き着いたのが、チャップリンの格好で太鼓を叩き、通りすがりの店を宣伝する道化師「プッチャリン」だった。
失敗続きの半生を語りながら、プッチャリンは〈バカですねえ〉と嘆く。

ところが、彼の腰の落ち着かなさは、今もなお健在だった。
埼玉県に家賃4万円の一戸建てと、福島県に家賃5000円のボロ家を借り、浅草の串揚げ屋のビルの上にタダで住まわせてもらう、現在の奇妙な3重生活を、〈バカですねえ〉と笑う。
〈明るい哀愁〉を漂わせながら、読んでいるこちらがずっこけてしまうような、とぼけた味と愛嬌もあるプッチャリン。その姿は、若い頃あこがれていたというコメディの三枚目役のようだ。

一人暮らしの老人に、さびしくて暗いイメージを持っていた自分を、〈バカですねえ〉と笑いたくなる。
(藤井 勉)