/タコ焼きの秘密は、あの多壺鍋。十三世紀のタイで作られ、オランダやフランスに渡って鉄板になった。そして、1900年ごろの神戸で、それで作っていたエスカルゴのベニエ(小麦衣焼き)の具がタコに変わったらしい。/

 ウチこそ、タコ焼きの元祖、という店がいくつかある。じゃあ、なんでタコが入ってるのか、ちゃんと説明してみせろよ。博物館で当時の現物まで抑えたわけじゃないが、おおよその道筋はわかった。その謎を解く鍵は、あの丸い凹みのある多壺焼器にある。じつは、あれ、驚いたことに、アジアからヨーロッパ、カナダまで、世界中にあるのだ。

 話は、十三世紀のタイから始まる。スコータイ朝第三代ラームカムヘーン大王が、中国から陶工たちを招聘した。それまでタイでは水の滲みる素焼の土器しかできなかったのだが、この華人陶工たちによって釉薬が持ち込まれ、宋胡禄として、タイの一大輸出産品となった。また、タイでは、昔からカノムコック(米粉のココナッツミルク焼き)が甘い菓子として好まれていたが、これを作るのに、いちいちバナナの葉で小分けしていた。それが、釉薬の登場によって、多壺陶器鍋に取って代わる。これこそ、まさに、あのタコ焼き器の大元。

 話はまだ続く。この多壺陶器鍋が直接に日本に入ってきたのなら、山田長政の時代から日本にもカノムコックのような食べ物があっただろう。だが、日本に米粉はあってもココナッツミルクは無く、カノムコックのようなふんわりとした焼き菓子を作ることはできなかった。だから、そのための多壺陶器鍋も必要がなかった。そうでなくても、カノムコックには、甘く、なんの具も入ってはおらず、現在のタコ焼きとは根本的に違う。

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