/直接浅薄な刺激と興奮で庶民から小銭を毟り取っても、その繁栄は徒花。地理歴史、自然科学、アートやスポーツを幅広く知ってこそ、人生に深みが生まれ、その勉強の努力や苦労を助けるところにこそ、物やサービスが売れ、真の文明的な繁栄がある。/

 いくらカネが溢れても、投資から投資へカネが空回りするだけで、実際の生活の質は豊かにはならない。それは、本を読めない連中、楽器を弾けない連中が、本や楽器をくるくるとたがいに物として転売しているだけのようなもの。江戸時代数百年の繁栄は、教育の普及によって庶民が読書や音曲、趣味、旅行など、生活を楽しむ術そのものを身につけたことによることが大きいことを思い出そう。

 いまの経済では、物を買うことでしか人は社会に参加できない。だが、いくら物を買ったところで、ごちゃごちゃとした物の山に埋もれ、狭い家がさらに狭くなるだけ。いよいよ何もできなくなる。そもそも物は道具にすぎない。それを使って楽しむには、相応の教養や技量がいる。楽器やカメラが典型だが、それを使って楽しめるところまで至るには、相応の教育と練習がいる。そこからきちんと解決しないかぎり、本当の意味での文明の繁栄にはならない。

 車もそうだ。免許が無ければ、車は買っても仕方無い。どこか行ってみたいところが無ければ、免許を取ろうとも思うまい。そして、どこか行ったところで、何だかわからなければ、意味が無い。たとえば、ようやく免許を取って気になる相手を車に乗せ、出雲大社や縁結び大社に連れてきたところで、その相手が、ここってどこ? こんな古くさいところなんか大嫌い、電車で行ける出銭ランドの方がよかったのに、では、すべてムダ。

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